確かに自己紹介の時、私はただヘッドフォンと勘違いされないことを願いながら、クラスメイトたちの視線を恐れて俯き、しどろもどろにこう言った。
「た、高吹楓音(かのん)です。耳が敏感なので、防音イヤーマフをつけています。静かな声で話してください。め、面倒なら話しかけないでください……」
 その瞬間、クラスメイトたちは唖然とし、担任の藤井先生は苦笑いしていた。結果として、入学早々誰にも話しかけられず、私は自然と一匹狼になった。クラスメイトたちも私に気を使うのが面倒だろうから、避けられるのも無理はない。
 次第に私の存在は薄れ、今では入学から1ヶ月が経ち、1年生の時と同じように「ヘッドフォンをつけた子」として誤解されていた。それが反感を買う原因にもなっている。まるで、あの時の自己紹介なんて誰も聞いていなかったかのようだ。
 そんなことを知らないはずの青年が、なぜ私を助けてくれたのだろうか。そのことが頭から離れず、どう切り出せばいいのかわからなかった。声を出そうとしても、うまく言葉が出てこない。口をパクパクさせるばかりで、まるで餌を欲しがる金魚のようだった。
「校内を歩いていたら、急に胸騒ぎがしたんだ」
 しびれを切らしたのか青年は少し不機嫌そうに言った。どうやら通りすがりに助けてくれたらしい。
「お前もいやなら、ちゃんといやって言えよ。ったく……」
 彼はため息をつきながら続けた。
「で、名前なんだっけ?」
 その一言に衝撃を受けた。ついさっき自己紹介忘れたのかとクラスメイトに問いかけていたのだから、私の自己紹介を覚えてくれているのであろう。それなのに名前を知らないなんて……。
 想定外の状況に頭の中で「ズコーッ」というマヌケな効果音が鳴り響いた。
「た、高吹楓音……」
「もう一回言って」
「え?」
「いいから」
 仕方なく名乗ってみると彼の耳には聞こえなかったのか私の手を取り、自分の耳の方へと引き寄せた。距離が急に縮まり、心臓がドキドキと早鐘を打つ。
「……た、高吹楓音」
 突然のことに緊張し、声が震えた。どうにかなりそうだった。
「……ごめん」
 彼は我に返ったのか距離を取り、視線を逸らした。その耳が赤くなっているのが見え、私も同じように赤くなっているんだろうと思うと、無性に気恥ずかしくなった。
「俺は譜久原奏翔(ふくはらそなた)、1年」
 それから彼はつぶやくように名乗った。どこか古風で優雅な響きのある名前だ。
「えっと……譜久原くんでいい?」
 そう問いかけると間髪入れず「ダメ」と語気を強めて拒否された。思わず「え」と声が上擦る。
「奏翔って呼んで」
 彼はようやく私を見て、柔らかく微笑みながら真剣な眼差しを向けてきた。髪色が明るく少しチャラく見えるが、その目は本気だった。
「そ……やっぱり、くん付けでいい?」
 さすがに呼び捨てはハードルが高い。初対面で相手は異性。私は人見知りで普段、人と話すのは幼馴染で普通クラスに在籍している陽川未弦(ひかわみお)くらいだから、どう振る舞えばいいのかさえわからなかった。
「いや、呼び捨て以外は受け付けない。俺も楓音って呼ぶから」
 しかし、彼は語気を強めにしたままそう言った。強引だなと思いつつ、彼の意志は固そうだった。これは渋々頷くしかない。
「それより、どうして私の自己紹介を知ってるの?」
 なので名前を呼ぶのを避けるように話題を変えた。クラスも学年も違うはずの彼が、なぜ私の自己紹介を知っているのか不思議だった。
「その時、担任に校内を案内してもらってて、廊下まで聞こえてきたんだ」
 奏翔は揺るぎない瞳でそう言った。確かに、自己紹介の時、廊下から足音が聞こえたような気がするが、はっきりとは思い出せない。自己紹介に必死すぎて、細部まで覚えていなかったが、彼の説明には納得できた。