どうしよう。後から肩をトントンとたたいて、顔を見られないうちにそっぽを向こうか。そう判断し、意を決して肩をたたく。
「うわぁっ!びっくりした……」 
 奏翔の肩がビクリと揺れ、即座に演奏は中断される。その驚きの声と急に静まる音を聞きながら、顔を見ないように窓の外を眺めた。雨は降っておらず、雲ひとつない空に梅雨らしいジメジメとした空気が鼻をかすめていく。カーテンは風に吹かれて、ゆらゆらと舞い上がっていた。まるで命が宿ったダンサーのようだ。
「……ごめん、いきなり止めちゃって」
「いや、俺が集中しすぎるのが悪いんだ。いつも一緒に合わせてる時も、どこまで弾くか言われてても、弾いてるうちに夢中になって忘れちゃうんだよ。しびれを切らした未弦先輩に肩叩かれるまで、バイオリンが止まってることにも気づかなくてさ……」
 奏翔は声に動揺を交えながら、自分を卑下するように言葉を並べた。椅子から立ち上がることもなく、体の向きも変える音もせず、見えないが顔だけがこちらを向いているのかもしれない。
 その口調の慌ただしさがおかしくて無性に吹き出してしまう。
 涙はいつの間にか収まっていた。それより、正式なコンクールの時には未弦も動きにくいかもしれないし、どうやって止めるのだろうか。いや、楽譜を最後まで弾くだけだから、気にすることもないのかもしれない。でも今の感じならコンクールの時も楽譜を無視していておかしくはない。それなら止まることもないのだろう。
「いや、コンクールでは譜面通りに弾くことを意識してるから、ずっと止めっぱなしで審査員に怒られることはないから安心して。今のは、どう弾けば楓音の心が動いて引き戸を開けてこっちに来るかを試してただけなんだ。引き戸の方に気を配りながら弾くべきだったんだけど、気づいたら自分が楽しんでしまってて……実験台にしてるみたいなこと言ってごめん」
 私の思考を読んだのか、奏翔は言い訳を始める。いつもの落ち着いた感じとは別人のように忙しなくて、よほど焦っているのがわかる。もはや音楽が大好きすぎるバケモノだ。