「バカみたいにやりたいことをやって、好きに生きればいいさ。自分の人生なんだから」
 そんなことを言われても、自由にするわけにはいかない。自分の足元にはいくつもの道が広がっているのかもしれない。けれど、私は自分の罪と父さんの命令に縛られて、そのうちの1本しか歩けない。仮に道が分かれていたとしても、せいぜい3本程度だろう。
 何も言えずに黙っていると、奏翔は諦めたのか、その場を立ち上がって離れていった。階段を降りる音は聞こえないけれど、ホッと肩の力が抜ける。
 しかしそれは束の間でしかない。
 引き戸を開ける音がした。図書室ではなく、向かい側の音楽室からだ。もし音楽の授業中だったらどうするんだと思いながらも、そのまま放っておく。このまま、もう私には話しかけてこないでほしい。付き合うとか、一週間だけとか、そんな話すら聞いてやるもんか。
 しばらくして聞こえてきたのはピアノの音だった。どこかで聞いたことのあるような楽しげなメロディーだが、曲名は思い出せない。それにしても、こんなに穏やかな曲だっただろうか、と首をかしげたくなる。きっと自分なりにアレンジして弾いているのだろう。それか、似たような別の曲なのかもしれない。
 涙のことは忘れてよく聞こえないなぁ、と思いながら防音イヤーマフを外す。寝不足で鋭く痛む頭に優しく響くメロディーだ。まるで魔法にかけられたかのように、痛みがすーっと和らいでいく。あまりに心地よくて、そのまま眠ってしまいそうだ。音楽の知識は乏しく、中卒以下のレベルだが、これがクラシックだということだけはわかる。未弦と弓彩もよくクラシックを弾いていたから。
 もしかしてこれを奏翔が弾いているのかと思い、立ち上がって引き戸を開けると、その音に引き寄せられるように近づいていく。何だろう、この感覚は。特別好きな曲でもないのに、どうしても気になってしまう。 
 同じメロディーの繰り返しかと思いきや、次には全然違うメロディーが現れる。しかし、さっきの雰囲気と微妙に絡み合っていて、どの鍵盤をどう弾けばこんな繊細で、それでいて穏やかなメロディーになるのかと思うほどだ。