「自己紹介、忘れたのか?それ、防音イヤーマフだぞ。特進クラスって、頭がいいやつばかりだと思ってたが、いじめなんてくだらねぇことするんだな。こいつがカンニングなんてするわけねぇだろ?」
 一瞬、聞き間違いかと思った。突然、真っ暗な世界に差し込んだ一筋の光のような言葉が、張りのある声と共に教室に響いたからだ。私は夢でも見ているのだろうか。
 その声の方を向こうとするなり、教室の入り口から見知らぬ青年が素早く入ってきた。唖然とするクラスメイトたちを強引に押しのけながらこちらに向かってくる。そのまま何も言わずに私の腕を掴み、ぐいっと引っ張ってきた。
 あまりの驚きで何も考えられない。一体目の前で何が起きているのやら。
 それすらわからないまま無意識にお弁当を手にした状態で抵抗する間もなく、私は彼に連れて行かれてしまった。背中には教室中の視線が突き刺さるのを感じたが、何も言えるわけなく、その青年の背中を見つめるしかなかった。
 教室を後にし、引きずられるようにして階段を駆け上がる。昼休み中の校舎は喧騒に満ちていたが、それは最上階に到着した途端、空気が凍りついたように静かになった。左手には音楽室、天井には屋上への扉が見える。
 ちなみにその屋上へは図書室のハシゴを使って行くのだが、立入禁止の札がかかっている。それでも、私は担任の藤井先生から喧騒を避けるためと特別に鍵をもらっていた。ただ、そこまで行くのに手間がかかるため、まだ一度も足を踏み入れたことはない。
 その下でようやく掴まれていた腕が解放され、私はいつの間にか過呼吸のように上がっていた息を整えた。
 その間に彼の姿を凝視する。赤茶色がかった寝癖のついた髪に、すっと通った鼻筋。深い琥珀色の丸い目が澄んでいる。 
 そして、私と同じ高校の制服である小紫色のネクタイ、灰色のブレザー。ほっそりとした体型ではあるが、身長は私より低い。163センチの私に対し、彼は155センチほどだろうか。
 やはり見知らぬ人だ。こんな人、見たことがない。クラスメイトでもないし、話した覚えすらない。誰だこいつ?
 頭の中で無数のクエスチョンマークが浮かび渦を巻いた。