「な、なんの楽器弾いたりするの?」
 さっき図書室で三羽先輩が「絶対音感がある」って言っていたから、奏翔は音楽にかなり詳しいのだろう。
 確か絶対音感って、ある音を聴いたときにその音の高さを正確に認識できる能力のことを言うんだっけ。私にはそんな才能がもちろんないし、なんの取り柄もないバカな一匹狼だから少し羨ましいなと思った。
「楽器か……まあ、ピアノかな。特にクラシックが多いけど、別に上手くもないし、ただ好きで弾いてるだけだよ」
 奏翔は両手でピアノを弾くジェスチャーをしながら、柔らかい口調で呟くように言った。言葉自体は謙遜しているようだが、その動きが本当に一音一音が聴こえてくるようで、彼が音楽を心から愛しているのが伝わってきた。
「ちなみに楽采はクラリネット、三羽先輩はトランペット担当だよ。ふたりとも、普段はバカみたいにじゃれ合ってるけど、演奏になるとすごく息が合うんだ」
 そう言って奏翔は、楽采と三羽先輩のことを少し自慢した。思い出してみると、クラリネットは黒い筒のような形をしていて、銀色の丸い部分を押しながら息を吹き込むと音が出る。そしてトランペットは、金色に塗られたメガホンみたいな形で、3つの丸い部分を押して音を出す。ふたりの組み合わせは、見た目ではチグハグに感じるかもしれないけど、案外うまく息が合うのかもしれない。
「あと、バイオリン姉妹もすごいよ。音楽室でよく3人で合わせてるんだけど、それを聞いた藤井先生がいつも寝ちゃってるんだ。その寝顔がまさに“ごくらく”って感じでさ、よっぽど聞き心地がいいんだろうな」
 奏翔はクスクスと笑いながら話す。その笑顔はとても優しそうで、柔らかかった。
「譜久原くん、そろそろ降りてらっしゃい。バイオリンのふたりが待ちくたびれたって。今日も合わせるわよー」
 下から藤井先生の声がした。まさに「噂をすれば影」と言う感じだ。開けっ放しにしていた扉から最上階を覗くと、藤井先生が肩をすくめながら「あら、ハシゴが壊れてる」と言っている。
「す、すみません。私がその……上がってたときに」
 まずい、バレた。古いハシゴだとはいえ、反省文を書かされる覚悟で謝った。
「こんなこともあろうかと、非常用のハシゴがもう一つあるのよね。さすが先生、用意がいいわ」
 しかし藤井先生は気にする様子もなく、すぐにそのハシゴを立て掛け直していた。隣には泉平くんがいて、藤井先生を手伝っている。
「じゃあ、俺行ってくる。楓音は?」
 ハシゴに手を掛け、くるりと体を向けて奏翔は問いかけてきた。
「私は帰ろっかな」
 あまり遅くなると、父さんが黙っていない。屋上にいたことが怪しまれないためには、早く帰った方がいい。
「そっか、また明日」
「うん……また」
 奏翔がハシゴを降りていくと、屋上には私ひとりになった。西の空を見上げると、もうダブルレインボウは消えていた。あの異世界のような感覚は忘れないだろうと思いながら、私もハシゴを降りて部活に行く奏翔を残して帰路についた。