幸せの絶頂から一転、危機的状況に陥った俺たち。

 兵士たちをぶちのめすのは簡単だが、殺すわけにもいかないし、ドロシーを守らないといけない。それは簡単ではなかった。

 その時だった。院長の声が、雷鳴のように轟いた。

「なめんじゃないわよ! ホーリーシールド!」

 その瞬間、チャペル全体が眩い光に包まれた。

 院長はチャペルいっぱいに光の壁を作り出す。その光の壁は、まるで天上からの加護のように、神々しく輝いていた。

「な、何だこれは……」「シールド? 馬鹿な!」

 突っ込んできた兵士たちは光の壁に阻まれ動けない。こんな立派なシールドなど見たこともなかった彼らの顔には、驚愕と恐怖の色が浮かんでいた。

「あなたはもしや……『闇を打ち払いし者・マリー』?」

 驚いた兵士長は聞いてくる。その声には、畏怖の念が滲んでいた。

「あら、よく知ってるじゃない。あんたらが束になっても私には勝てないわよ!」

 吠える院長。その姿は、まさに聖なる戦士のようだった。

「いや、しかし、あの男はおたずね者で……」

「そんなの知らないわよ! 教会内で捜査するなら令状を持ってきなさい!」

 院長は鬼の形相で吠えた――――。

 そんな中、俺は逃げ出す算段を必死に考える。壁を壊してもステンドグラスをぶち抜いてもいいが、この神聖なチャペルを壊すのは気が引ける。どうしたものか……。

 と、ここでバタフライナイフを思い出した。

「そうだよ! ここで使うんだよ! レヴィア、サンキュー!」

 俺はナイフを取り出すとツーっと壁を切る。コンニャクのようにベロンと切り口を見せる白い壁。その現実離れした光景に思わず苦笑してしまうが、猶予はない。俺はグッと切り口を広げるとドロシーと一緒にくぐった――――。

 壁の外は色とりどりの花が咲き誇る花壇の真ん中だった。夕方、傾いたオレンジ色の日差しに花壇の花々にも陰影がつき、まるで絵画のように美しく幻想的に揺れている。

「外に逃げたぞ! 追えーーーー!」

 中から鋭い声が響いてくる。

 俺はすかさずドロシーをお姫様抱っこした。

「きゃぁ!」

 目を丸くして驚くドロシー。

「それでは奥様、これからハネムーンですよ!」

 俺は少しおどけてそう言うと、隠ぺい魔法と飛行魔法をかけてふわりと浮き上がった。その瞬間、二人の体が宙に浮く感覚に、ドロシーは不安そうにしがみつく。

 俺はそんなドロシーをやさしく見つめながら、徐々に高度を上げていった――――。

 街の上空を渡る風が二人の髪をなでる。

 下ではたくさんの兵士たちが俺を探しているが、もはや気にもならない。彼らの姿が小さくなっていくにつれ、俺たちの心は自由になっていった。

 アバドンによると院長も無事らしい。夢のようなお膳立てをして最後に体まで張ってくれた院長。いつか必ず恩返しをしなくては。その思いが、俺の心に深く刻まれた。

 空高く上がった俺たちの前に、夕焼けに染まった石造りの街が広がる。その美しい光景に、ドロシーが息を呑む。

「あなた……、見て……」

 彼女の声には、感動が溢れていた。

「うわぁ……。最高だね……」

 この美しい街から、今まさに卒業していく――――。

 多くの思い出の詰まったこの街を、去らねばならない時が来たのだ。

「もう二度と見られないかもしれないから、しっかりと目に焼き付けて」

 俺は孤児院の上空をゆっくりと回った。

 長年お世話になった石造り二階建ての古ぼけた孤児院、子供たちの遊んでいる狭い広場に、いろいろあった倉庫……。溢れんばかりのエピソードが次々と思いおこされてくる。それぞれの場所が、思い出を語りかけてくる。

 俺は倉庫を見つめながら、剣の整備中、ドロシーに破天荒な夢を語った日のことを思い出す。ドロシーは「私も手に入っちゃう?」って聞いていた。そう、今日まさに夢は成就したのだ。

 次に俺の店、そしてドロシーの部屋の上を飛んだ。

 店の跡を見下ろすと、そこで過ごした日々が走馬灯のように駆け巡る。初めて来たの客との取引、夜遅くまで帳簿と格闘した日々、そして少しずつ店が軌道に乗っていく喜び。全てが俺を形作る大切な記憶――――。

 だが同時にあのクソ勇者との最悪の出会いもここだった。俺は口をキュッと結ぶ。とはいえ、全ては終わったこと。今では不思議なほどどうでも良く感じられた。

 奴も、利用しようとチヤホヤしてくる貴族連中の被害者という面もあるのだ。ある意味かわいそうな奴かもしれない。今ごろプライドをベキベキにへし折られて、毛布にくるまって泣いてるのではないか? 俺は思わずクスッと笑ってしまう。

 ドロシーは何も言わず、静かに思い出の場所たちを眺めていた。その瞳には、懐かしさと別れの寂しさが混ざり合っていた。

 ありがとう……。

 ドロシーに、院長に、孤児院のみんなに、お客さんに、全ての関わった人たちに感謝の気持ちが心の底から湧き上がってくる。

 しかし去らねばならない。それが、俺の、そしてドロシーの選んだ道なのだから。