「心……ですか……。心……」

 俺は呟くように繰り返した。その言葉が、胸の奥深くに響く。

「そう、心こそが人間の本体じゃ。身体もこの世界も全部作り物じゃからな、心だけが真実じゃ」

 レヴィアの言葉は、哲学的な深みを帯びていた。

 言われてみたら確かに、ここの世界も地球も単に三次元映像を合成(レンダリング)してるだけにすぎないのだから、自分の心は別の所にある方が自然だ。

「心はどこにあるんですか?」

 まさに人間の本質を問う質問が湧いてくる。

 俺は息を呑んでレヴィアの返事を待った――――。

 レヴィアはウイスキーをグッとあおると、座った目で俺を見る。

「なんじゃ、自分の本体がどこにあるのかもわからんのか? 【マインド・カーネル】じゃよ。心の管理運用システムが別にあるんじゃ」

 レヴィアの説明は、さらなる疑問を生み出した。

「そこも電子的なシステム……ですか? それじゃリアルな世界というのはどこに?」

 予想外の話に俺の声は少し震えた。

「リアルな世界なんてありゃせんよ」

 レヴィアは肩をすくめる。その言葉は、俺の常識を根底から覆すものだった。

「いやいや、だってこの世界は海王星のコンピューターシステムで動いているっておっしゃってたじゃないですか。そしたら海王星はリアルな世界にあるのですよね?」

 俺は必死に自分の理解を確認しようとする。

「そう思うじゃろ? ところがどっこいなのじゃ。キャハハハ!」

 レヴィアは嬉しそうに笑った。その笑顔には、全てを知り尽くした者の余裕が感じられる。

 俺はキツネにつままれたような気分になった。この世が仮想現実空間だというのはまぁ、百歩譲ってアリだとしよう。しかし、この世を作るコンピューターシステムがリアルな世界ではないというのはどういうことなのか? 全く意味不明である。頭の中で、理解の糸が絡まっていく。

 首をひねり、ジョッキをグッとあおると、レヴィアが新たな問いを投げかけた。

「宇宙ができてから、どのくらい時間経ってると思うかね?」

 その質いには、何か重要な意味が隠されているようだった。

「う、宇宙ですか? 確か、ビッグバンから百三十……億年……くらいだったかな? でも、仮想現実空間にビッグバンとか意味ないですよね?」

 俺は答えてはみるが、何だか無知を開陳しているようで恥ずかしかった。

「確かにこの世界の時間軸なんてあまり意味ないんじゃが、宇宙ができてからはやはり同じくらいの時間は経っておるそうじゃ。で、百三十八億年って時間の長さの意味は分かるかの?」

 レヴィアの問いかけには、深遠な真理が隠されているようだったが、あまりに壮大すぎてイメージが湧かない。

「ちょっと……想像もつかない長さですね」

「そうじゃ、この世界を考えるうえで、この気の遠くなる時間の長さが一つのカギとなるじゃろう」

 レヴィアの言葉は、何か重要な示唆を含んでいるようだった。しかし、時間が長いことが一体何に関わるのかピンとこない。

「カギ……?」

「お主が住んでおった日本でもAIが発達しておったろう」

「あぁ、ChatGPTとかみんな使い始めてましたね……」

「早晩人間の知能を超えてAIがAIを作り始めるじゃろう。そしたらどうなる?」

「えっ!?」

 俺は驚いた。確かにAIが人間を超えているなら、AIを改良するのもAIがやるのが自然である。でも、そうなったら人間はどうなってしまうのか?

「に、人間関係なくどんどん発達してっちゃう……って事ですか?」

「そうじゃ。そしてAIに寿命などない。これと138億年がポイントじゃな。カハハハ!」

「AIと138億年……」

 俺は考え込んでしまった。IT技術と壮大な時間。それが一体何だというのだろうか?

「まぁ良い、我もちと飲み過ぎたようじゃ。そろそろ、おいとまするとしよう」

 レヴィアは大きなあくびを一つすると、サリーの中に手を突っ込んでもぞもぞとし、(たた)まれたバタフライナイフを取り出した。

「今日は楽しかったぞ。お礼にこれをプレゼントするのじゃ」

 ニッコリと笑うレヴィア。

「え? ナイフ……ですか?」

 俺の声には、戸惑いが滲む。ナイフのプレゼントの意味がピンとこなかったのだ。

「ふふん、分からんか? これはただのナイフじゃない、アーティファクトじゃ」

 レヴィアは器用にバタフライナイフをクルリと回して刃を出し、柄のロックをパチリとかけた。するとナイフはぼうっと青白い光をおび、ただものでない雰囲気を漂わせる。それは、まさに神秘的な魔法の世界のアイテムだった。

 おぉぉぉぉ……。

「これをな、こうするのじゃ」

 レヴィアはエールの樽に向け、目にも止まらぬ速さでシュッと切り裂く。すると、空間に裂け目が走った――――。

 え……?

 レヴィアはニヤッと笑うと、その裂け目をまるでコンニャクのように両手でグニュッと広げた。開いた空間の切れ目からは樽の内側の断面図が見えてしまっている。

 そっと覗くとエールがなみなみと入って水面がゆらゆらと揺れるのが見えた。しかし、切れ目に漏れてくることもない。淡々と空間だけが切り裂かれていた。

「うわぁ……」

 俺はその見たこともない光景に()きつけられる。

「空間を切って広げられるのじゃ。断面を観察してもヨシ、壁をすり抜けてもヨシの優れモノじゃ」

 ドヤ顔のレヴィアの説明には、このアーティファクトへの信頼と愛着が感じられた。