先程のことを思い返す。
生物教室で、授業を受けている時もふとそのことが頭をよぎった。
前を見てなくて、ぶつかりに行ったのだって僕なのに、まるで太陽のように温かく、眩しく、大きく、綺麗な笑顔で僕に微笑みかけた。
謝る僕を見て、困ったように眉を顰めながら、手を横に振っていた。
その様子だけ見ると、普通の人のようだ。
けれど、彼女には根本的に僕とは違うことがある。
それは、耳が聞こえないということ。
初回のホームルームで、クラス全体に知らされたその事実。
守本さんは、その綺麗な風貌から、入学式で注目を浴びていた。ずっとニコニコ座っていて、そんな素振りは一切なかった。
もちろん僕も動揺した。人生の中で、聾者と出会ったことがなかったのだから。そんな人がクラスメイトになって、どのように接していけば良いか分からなかった。
それは他のクラスメイトも同じだ。
担任が知らせた時の、妙に空気が揺らぐ感じ。どんな反応をとれば良いか分からなくて、静寂に包まれる感じ。
けれど、それはすぐに過ぎ去っていった。
いつの間にか、彼女の周りには人がたくさんいた。あの優しい笑顔に誘われるように、休み時間には必ず誰かがそばに居る。
本当に、いい人なんだと思う。
そのおかげで、僕のクラスは手話を覚える人もいるくらいだ。お互いにノートに文字を書き合って、口の形を見合って。
けれど、僕はそんな素直に近づくことは出来なかった。
怖かったのだ。
そして、羨ましかった。
自分を偽って、ズルをしないと僕は人と上手く関係を築くことが出来ない。僕は明瞭な視界も、透き通る聴覚も持ち合わせているのに。
けれど守本さんは、その人間性だけでたくさんの人から慕われる。それどころか、相手にまで良い影響を与える。
そして何より、あの揺らぎも濁りもない目を見て思った。
あの目に晒されると、僕が懸命に築いた土台が崩れるような予感がする。心のうちを全て見透かされているような気分だった。あの真っ直ぐな目を見れなかった。
僕は、決して関われない、正反対の人間。
けれど、どうしてだろう。
小学校の時だって、中学校の時だって、空気が読めない痛いヤツというレッテルが貼られていた。僕だって、自分が会話の中に入るたびに、空気が冷めるのを感じていた。それまで盛り上がっていたのに、僕が入ることによって生じた歪み。
僕だけが、置いて行かれた。
男子はともかく、関わりを持たなかった女子も僕との繋がりを避けるようになった。
だから、女子の接点なんて姉ちゃんくらいだ。
僕は、冷め切った頬が熱く、火照っていくのを感じた。電子レンジで温められるような、内側から出る熱さ。心臓からドグドグと熱い血が巡っていくのを感じる。
僕は、手の甲で赤くなった頬を冷やした。