先輩は恍惚とした表情を浮かべ、腕の中で震える僕を見ながら笑っている。茫然としていると、先輩が顔を近付けてきた。なにをされるか察し、とっさに顔をそらす。焦りと戸惑いで身体に力が入らない。僕は変わらず先輩の腕の中に囚われている。死に物狂いで暴れれば、この場は逃げられるかもしれない。でも、僕の秘密を周りに吹聴されたら、と考えると本気で振り解けなかった。
あごを掴まれ、無理やり顔を正面に向けさせられた。涙目の僕を見下ろす先輩の口元は愉快そうに弧を描いている。
誰か、助けて。
そう願った時、聞き慣れた声が聞こえた。
「安麻田、どこだ!」
僕の名を呼ぶ大きな声。階下から聞こえてくる声の主は土佐辺くんだった。
特別教室が集まる北校舎は昼休みには人がほとんど居ない。端から順番に空き教室を一つ一つ確認して回っているようだ。
「あーあ、またアイツか」
先輩は笑みを消し、不機嫌そうな顔で小さく舌打ちをした。そして僕を睨み付ける。
「アイツ、瑠衣くんのなに?」
「と、友だち、です」
先ほどまでとは違う冷たい目を向けられ、身体が強張った。いつもニコニコしている先輩が見せた違う一面に震える声で答える。
「図書館でも毎回邪魔されたってのに今日もかよ。ずいぶんと勘の良い奴だな」
確かに、図書館で会った時は土佐辺くんが来ると先輩はすぐに立ち去っていた。文化祭でもそう。土佐辺くんも最初から先輩を警戒していた。