「夏の野外フェスイン長野!」
「エンシオ初参戦!」
「いえーい!」
「ではいきます、『スタート』」
 観客の期待の眼差しと声援。それに応えるエンシオの笑顔。いつも以上にテンションの上がったトークのあと、奏さんがシーと観客の歓声を止める動きをした。セットリストには『スタート』としか書かれていない。何が始まるのだろう、と思って、僕は観客席の隅からドキドキしながら見守っていた。
 突如アカペラから始まる『スタート』。フェスでアカペラ。そう来ると思わなかった。フェスにはエンシオのファン以外の人たちも、もちろんたくさん来ている。その人たちをも引き込むほどの美しいハーモニー。和音。

 会場がしんと静まる。空気を震わせるように響いていく四人の声。サビアレンジが終わり、少しの余韻──その空気を変えるかのように打ち鳴らされるドラムの音。
 本当は僕が叩きたい。エンシオのバックで。繊細でいてそれでいて強く激しく心を揺さぶるこの曲を。
 不安の海で迷いそうな心に光をともしてくれるようなエンシオの歌を、後ろから支える存在になりたい。
 少しの嫉妬と、あらためて沸き上がる決意。何度でも前へ進む勇気をくれるエンシオの歌に、目の奥がぐっとなるのを堪えながら大きな拍手を送る。
 二曲目は『make dreams come true』。エンシオの名前を一躍有名にした曲だ。そして歌は休むことなくデビュー曲『Any song is ours』へと続いていく。

 怪我をしてから一年が経とうとしている。
 病院の先生や音楽スタジオのインストラクターさん、そして響也さんの協力のおかげで、練習パッドでのドラム練習をはじめて半年。まだ思い切ったプレイをする自信はないけれど、自分のドラムを取り戻しつつある。

 僕の声は生きている、僕のドラムの音も生きている。入院中、響也さんはそうタブレットに書いてくれた。それは今も、僕の机の上に置いてある。
 かなり元には戻ってきたけれど、体調によって聞こえが悪くなることがある。なんで僕はドラムをやろうとしているのだろう、やっぱりそんなこと無理じゃないだろうかと急に泣きたくなる時がある。
 思えば思うほどズキズキと頭が痛くなって、まるで孫悟空の輪のように暗い靄のようなものが僕を締め付けてくる。
 そんな時は、タブレットの文字を見る。そして引き出しから音楽プレーヤーを取り出し、再生ボタンを押す。

『僕の声が、君の言葉になる』『君の声は、いつも僕を強くする』
 響也さんは、周りの音、自分の音、今まで普通にそこにあったものに手が届かなくなり、足掻けば足掻くほど足元が覚束なくなっていく僕を、ずっと待っていてくれた。優しい音をずっと聞かせ続けてくれた。
 その音を頼りに僕は道を辿った。辿った先にはみんなが待っていて、僕が失くしたと思っていた音を拾っていてくれた。

 アルバイトは週二から再開して、今は定期検診とドラムレッスンのある日以外はほぼシフトを入れている。少しでも高杉さんやメンバーのみんなの仕事がしやすいように、出来ることはやりたい。
 僕の仕事がやりやすいように、奏さんと響也さんが、スケジュールのやりとりをアプリで一元管理出来るようにしてくれた。時々電話の声が聞き取りづらい時のある僕にとっては、アプリはとても助かる。
 歌維人さんと詠汰さんは、高杉さんや年上組の目を盗んで、スタジオでコーラ休憩に呼んでくれる。

 僕の二十歳の誕生日には、みんなでお祝いをしてくれた。
 僕は一人で夢を追っていたわけじゃなかったと分かった。音楽と一緒だ、と思った。だれかより先に進むものでもない、一人で孤独に歩むものでもない。だれかの力を借りながら少しずつ前へ進んで、そしていつか自分の力がだれかの支えになるように。そんな風にして夢は叶えていくものだ。
 そうエンシオのみんなから教わった時、僕はもう一度夢を見てもいいんだ、と思えたんだ。