そっか、と円花は小さく頷いた。

「……それがきみの意思なんだね」

 ほとんど音にならないような呟きをこぼし、鈍い痛みの響く身体を起こす。

「ちょっと、大丈夫? 横になってた方がいいんじゃない?」

「……なあ、さっきは守りきれなくてごめんな」

「僕もごめん。菅原がきみを憎んでることは分かってたけど、まさかあそこまでするとは思わなくて」

 それぞれの言葉を聞きながら、円花は布団を剥いだ。
 床に足をつき、ベッドから下りると悠々と窓際へ歩み寄る。

「────“あの人”は身体が弱かったけど、親代わりとして、家でひとりぼっちだった自分の面倒をずっと見てくれてた」

 カーテンの隙間から外を眺める。
 墨汁をぶちまけたような夜空には月も星も見えない。

「あの日……塾から帰ってきたときにはもう、姉さんは冷たくなってた」

 ────玄関を開けてすぐに、階段の下に広がる小さな血溜まりに気がついた。
 その傍らに落ちていた生徒手帳を拾い上げ、嫌な胸騒ぎを覚えながら姉を呼ぶ。

 姉はキッチンで倒れていた。そばには水がこぼれていて、コップが転がっている。
 普段から飲んでいた薬の包装シートも一緒に。

 生徒手帳は円花のものだった。
 彼女が姉に何かしたんだと、それを見て分かった。

「何の話……?」

「家族も好きな人も、あいつに奪われたんだよ。ずっとあいつが憎かった……!」

 円花が感情を(たかぶ)らせると、掴んでいたカーテンにしわが寄る。
 わななく背中を見つめ、それぞれが困惑していた。

「ま、円花……?」

「……ちがう。まさか、菅原なのか?」

「じゃあ、きみが……あの、亡くなった女の人の────」

 円花はゆっくりと振り返る。先ほどまでの苛烈(かれつ)な激情は嘘みたいに凪いでいた。
 わざわざ肯定するまでもなく、何も答えずに彼らの後方へ向かう。

「待った……。落ち着いてくれ、菅原。さっきも言ったけど、茅野に対しては本当に誤解で────」

「俺は、何があっても成し遂げるって決めてるから」

 そう言うと、備えつけの台の上に置いてあった優翔の鞄を漁った。
 目当ての代物、包丁は刀身(とうしん)にハンカチを巻きつけた状態でそこに入っていた。

(……やっぱり)

 こんなことだろうと思っていた。
 優翔は甘いのだ。
 だから円花にも絆されるし、自分にも(あざむ)かれる。

 今晩の出来事ひとつ取ってもそう。大事にせずおさめようと、ひとまず包丁を隠していたのだろう。
 お陰で助かった。
 円花は(さや)代わりのハンカチを捲ると、逆手(さかて)に持ち直した。