少しちがう、と思った。駒じゃない。
 若槻は彼を利用しているつもりだったのかもしれないけれど、実際には若槻もわたしも綾音も乃愛もみんな盤上(ばんじょう)にいたんだ。
 それを操っていたのが、新汰くんだった。

 どうして一度も考えなかったんだろう。若槻と新汰くんが結託している可能性を。
 入れ替わってすぐに付き合い始めたことになっていたり、もともとバイト先が同じで面識があったり、いま思えば不審なことばかりだ。糸口はいくらでもあったのに。

 若槻が「待って」と制する。

「僕たちの茅野への恨みは誤解だったんだよ」

「もういいです。……俺ひとりでもやるから」

 状況は既に変わっていた。彼らももう味方同士とは言えない。
 根の深い新汰くんの恨みが、わたしに向けられる。

「菅原!」

 若槻の声も無視して、新汰くんが包丁を構えてこちらへ一歩踏み出す。
 とどめようと手を伸ばした若槻を易々と躱し、その後ろにいたわたし目がけて振りかぶる。

「……!」

 ぎりぎりで避けたものの、すぐさま立て直した彼に左の上腕を掴まれた。
 傷のある部分を締め上げられ、思わず悲鳴を上げる。

 繰り出された包丁を避けるには間に合わなくて、身を屈めると彼の腕ごと払い除けた。
 その反動でよろめいたわたしの靴裏が段差を滑る。

「あ……っ」

 息をのんだ。そのときには足元から地面が消えて、浮遊感に飲み込まれていた。
 揉み合いになった新汰くんを巻き込んだまま、否応なしに再び虚空へと飛び出す。

「円花!」

 兄の声が聞こえた気がした。
 次の瞬間にはまた、全身に鈍い衝撃を浴びる。

 どさ、と地面に落ちたあと、一拍遅れて包丁が降ってくる。
 真横に落ちた音がくぐもって微かに聞こえた。

 視界が回り続けているような感覚を覚え、身体に力が入らない。
 わたしはそのまま眠るように意識を失った。



     ◇ ◆ ◇



「円花……」

「ああ、もう……よかった」

 病室で目を覚ました円花は、まず目に飛び込んできた斑模様の天井を見て、病院に運ばれたことを悟った。

 霞んだ視界に涼介と綾音、優翔の姿を捉える。
 特に心配そうな面持ちの涼介には強く手を握られていたようだ。感覚を取り戻した指先から温もりが染みてくる。
 空いた反対の手を眺め、それから枕に流れる自身の長い髪を見た。

「……新汰くんは?」

「隣の病室。一緒に運ばれたんだけど、ふたりとも命に別状はないって」

 涼介が答えながら手を離し、そっと布団の上に置く。

「結菜、は……?」

「見つかったよ。病院の屋上にいたって。自力では動けないはずだから、誰かが運んだんじゃないかって……。とりあえず容態も安定して、危険な状況は抜け出した」

 これには優翔が答えた。
 結菜は依然として昏睡状態にあるため、自ら動くことはできない。
 万にひとつ目を覚ましていたとしても、筋力低下により歩行は不可能だろう。
 移動していたということは、誰かが運んだ以外にありえない。