◆
家へ戻るなり、無心でカッターナイフを取り出した。細い手首にあてがう。
いつ元に戻ってもおかしくない。その前提を忘れかけていた。
この奇妙な日々は、何の前触れもなく終わるかもしれない。
元に戻る方法そのものには、何となく直感的に見当がついているが、そうすればもう、復讐を果たすチャンスは巡ってこないだろう。
僕の恨みや魂胆を知っている茅野が警戒しないはずもないし、恐らくはあのダンボールに隠していた物騒な武器やら何やらも見られたはずだから。
さっさと方をつけるべきだという、菅原の言葉は正しい。
いまなら、憎い彼女の身体も命も思うがまま。
「……っ」
どうしても、刃を肌に押し当てられない。
力を込めようとすると、震えて息が止まりそうになる。
かた、と諦めて机の上に置いた。両手を握りしめる。
(いましかないって、分かってるのに)
分かっているのにできないのは、菅原が言っていたように情が湧いたせいかもしれない。
『ごめん……なさい』
結菜のことを思い出すなり、いの一番に謝罪にきた彼女に。
『茅野がきみを襲う理由がどこにあるの?』
乙川に危うく殺されそうになったとき、助けに現れた彼女に。
どれもこれも、自分の身を守るための演技には見えなかったし、あの涙が嘘だとはどうしても思えない。
それに、昨晩聞き損ねた話とやらも聞かなければならない。
また、菅原の底知れない感情の熱量に圧倒されている部分もあった。
『だから、ものも言えずに動けなくなった結菜の代わりに復讐しよう、って……。そのために協力してるんですよね、俺たち!』
僕と彼は、結菜のため、という大義名分を正義と信じて疑わなかったけれど……。
それが正しいのかどうかも、結菜が望んでいることなのかどうかも、正直分からなくなっていた。
────まどかちゃん、ごめんなさい。
────あのことは秘密にしてください。
結菜が眠ることで葬った真相を、僕たちは知らない。
空白部分は都合のいい想像で補っただけ。
少なくとも僕は、自分の責任から逃れたくて、茅野ひとりに原因を押しつけた。
彼女を悪者にすることで楽になろうとしたんだ。
そんな彼女に復讐することで、自分の不甲斐なさを許してもらおうと。
(……こんなふうに迷ってる時点で、茅野に絆されてるのかもしれないけど)
かちかち、と刃を押し戻した。
猶予はあってないようなもの。でも、結論を出すのはいまじゃない。
そのとき、不意にスマホが震える。病院からの電話だった。
はっとして慌てて耳に当てると、看護師はまず“僕”じゃないことに戸惑っているようだった。
そんなこと、いまはどうでもいい。
はやる気持ちで適当な言い訳をして先を促す。
それを聞き、手足の先が急激に冷えるのを感じながら息をのんだ。
「結菜が……!?」
家へ戻るなり、無心でカッターナイフを取り出した。細い手首にあてがう。
いつ元に戻ってもおかしくない。その前提を忘れかけていた。
この奇妙な日々は、何の前触れもなく終わるかもしれない。
元に戻る方法そのものには、何となく直感的に見当がついているが、そうすればもう、復讐を果たすチャンスは巡ってこないだろう。
僕の恨みや魂胆を知っている茅野が警戒しないはずもないし、恐らくはあのダンボールに隠していた物騒な武器やら何やらも見られたはずだから。
さっさと方をつけるべきだという、菅原の言葉は正しい。
いまなら、憎い彼女の身体も命も思うがまま。
「……っ」
どうしても、刃を肌に押し当てられない。
力を込めようとすると、震えて息が止まりそうになる。
かた、と諦めて机の上に置いた。両手を握りしめる。
(いましかないって、分かってるのに)
分かっているのにできないのは、菅原が言っていたように情が湧いたせいかもしれない。
『ごめん……なさい』
結菜のことを思い出すなり、いの一番に謝罪にきた彼女に。
『茅野がきみを襲う理由がどこにあるの?』
乙川に危うく殺されそうになったとき、助けに現れた彼女に。
どれもこれも、自分の身を守るための演技には見えなかったし、あの涙が嘘だとはどうしても思えない。
それに、昨晩聞き損ねた話とやらも聞かなければならない。
また、菅原の底知れない感情の熱量に圧倒されている部分もあった。
『だから、ものも言えずに動けなくなった結菜の代わりに復讐しよう、って……。そのために協力してるんですよね、俺たち!』
僕と彼は、結菜のため、という大義名分を正義と信じて疑わなかったけれど……。
それが正しいのかどうかも、結菜が望んでいることなのかどうかも、正直分からなくなっていた。
────まどかちゃん、ごめんなさい。
────あのことは秘密にしてください。
結菜が眠ることで葬った真相を、僕たちは知らない。
空白部分は都合のいい想像で補っただけ。
少なくとも僕は、自分の責任から逃れたくて、茅野ひとりに原因を押しつけた。
彼女を悪者にすることで楽になろうとしたんだ。
そんな彼女に復讐することで、自分の不甲斐なさを許してもらおうと。
(……こんなふうに迷ってる時点で、茅野に絆されてるのかもしれないけど)
かちかち、と刃を押し戻した。
猶予はあってないようなもの。でも、結論を出すのはいまじゃない。
そのとき、不意にスマホが震える。病院からの電話だった。
はっとして慌てて耳に当てると、看護師はまず“僕”じゃないことに戸惑っているようだった。
そんなこと、いまはどうでもいい。
はやる気持ちで適当な言い訳をして先を促す。
それを聞き、手足の先が急激に冷えるのを感じながら息をのんだ。
「結菜が……!?」