茅野がはっと息をのむ。
 街灯の薄明かりでも分かるくらい、その表情が強張っていた。

「乙川が言ってた。きみは人殺しだって」

「どうして、あの子が……」

「あの血まみれの靴下と関係あったりするの?」

 間髪入れずに核心に迫った。
 もしや、という予感がいつの間にか湧いて居座り、考えるほど確信に近づいていった。

 あんな異常な代物でも、この異常な響きとなら結びつく。
 血まみれの靴下と、人殺しという言葉。

 僕はそれ以上何も言わず、茅野の返事を待った。
 片時も視線を逸らすことなく一挙一動を目で追う。

 茅野は目を伏せたまましばらく口を噤んでいた。
 時が止まったかのような静寂は、だけど遠くから聞こえる車の走行音や虫の声によって、現実感に埋め尽くされている。

「……近いうち、話さなきゃって思ってた」

 やがて、何の前触れもなく茅野が口を開いた。

「結菜にも関係のある話だから」

 不意に飛び出してきた妹の名前に、すべての意識がかっ攫われる。
 思わず息が止まった瞬間、コツ、と硬い靴音が響いてきた。続いて靴裏が砂粒を弾くような音が耳につく。

「先輩────」

 振り向いた先にいたのは菅原だった。
 いつもは無一色のその顔に、わざとらしいとすら思えるほど不安そうな表情が浮かんでいる。



     ◇



(菅原くん……?)

 声に出そうになったのをどうにか押しとどめる。
 絶妙なタイミングで現れた彼は、案ずるように“わたし”に駆け寄った。

「大丈夫ですか? その怪我……」

 そう声をかけるのを聞き、忘れていた痛みが腕に戻ってきた。

「……ああ、うん。大したことないよ」

 やわく笑い返す“わたし”の表情は、いつも困ったときにわたしが浮かべるそれと随分似たものだった。

「急いで病院行きましょ。痕残ったら大変だから」

「あの────」

「……すみません。若槻先輩はもう帰ってもらえますか」

 わたしの身体に傷跡が残ろうと、菅原くんとの繋がりがバレようと、この際もう構わないと思って意を決したのに出鼻(でばな)をくじかれた。
 彼が“若槻先輩”と呼んだのは、間違いなくわたしの方だ。

「ちょっと待って。話が……」

「すみません。今日はもう勘弁してください」

 菅原くんの冷たいもの言いは敵対心むき出しで、わたしではなく若槻を相手にしているものだと理解するのに余りある。
 あくまで“わたし”の彼氏という(てい)を貫いていて、取り合ってもくれない。

 言葉を失って立ち尽くすと、遠ざかっていくふたりの背を眺めた。
 甲斐甲斐しくわたしを支えて歩く菅原くんと、彼に委ねているわたし。

(……どういうつもりなの?)

 菅原くんはいったい、何を考えているんだろう……。
 また、その人物像が霞んで逃げていく。