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「……っ」

 唐突に切りつけられた左腕を押さえる。
 じわ、と服に染み込んであふれた血が指の隙間から滴った。

 その感覚はあるが、やっぱり痛みは感じない。
 今頃、茅野は異変に気づいていてもおかしくなかった。

(避けきれなかった)

 ぎりぎりで躱したつもりが、間に合わなかったみたいだ。
 とにもかくにもこのままじゃまずい。

(通報────)

 ポケットから取り出したスマホは、即座に察して詰め寄ってきた彼女に弾かれてしまった。
 地面に落ちたそれを、僕の手の届かないところまで蹴って遠ざける。

「余計な真似しないでくださいよ……。警察のお世話になったら、先輩だって困るでしょ? なんてったって“人殺し”なんですから」

 そのまま受け取りかけて、結局飲み込めずに困惑した。
 人殺し……?

 一瞬、結菜のことかとも思ったが、妹は生きている。
 乃愛自身も“未遂”と口にしていたし、そのことは分かっているはずだ。

「……何の話?」

「あたしが捕まるようなことがあれば、先輩のことも洗いざらい話しますから。殺人犯だって突き出します。それが嫌なら、大人しく消えてください」

「ちょっと待って……。本当に何のことか分かんないんだけど」

「とぼけないでよ、白々しい! そういうの、本当にうざい」

 その声がひときわ冷ややかに低められたかと思うと、乙川が握りしめた包丁を振り上げる。
 咄嗟に身を縮め、自分を庇うように両手を掲げた。顔を背けて強く目を瞑る。

「何してんの!?」

 不意に飛んできた声が空気を割った。
 ふと目を開ける。()()の声だと気づくまでに数秒要した。

「先輩……!?」

 乙川が慌てて包丁を背に隠す。
 ここまで大急ぎで飛んできたらしい僕もとい茅野は、肩で息をしながら、彼女から庇うように目の前に立った。

「……何してんの」

「それは、その……」

 強い調子で繰り返した茅野に、乙川は怯んだ様子で言い淀んだ。
 何を思ったか、隠していた包丁を差し出す。

「正当防衛なんです! 茅野先輩に襲われそうになったから、身を守ろうとしただけで」

 滅茶苦茶な言い分に一瞬、呆気に取られた。
 訝しむように振り向いた“僕”と目が合うと、我に返って慌てる。

「ちが────」

「茅野がきみを襲う理由がどこにあるの?」

 毅然と言い返したその後ろ姿を、つい驚きながら見つめる。
 意外だった。何も聞かずに僕を信じるなんて。