人気(ひとけ)のない廃工場は、道端の街灯の明かりひとつが射し込んでいるだけの不穏な場所だった。
 下りたシャッターの前に立っていた乙川が、僕に気づいて身を起こす。

「……わ、本当に来てくれた」

 ほくそ笑む彼女に眉を寄せる。嫌な予感を覚えずにはいられない。

「大事な話って?」

「さすがに単刀直入ですね。秘密が多いと、不安になるのも無理ないですよねー」

「……茶化してないで早く教えて」

「うわ、茅野先輩でも不機嫌になることってあるんだ。それとも感じ悪いのが本性なのかなぁ」

 気色(けしき)ばんでしまいかけて、感情を落ち着けるように息をつく。
 乙川のペースに乗せられるところだった。
 口を噤むと、彼女が勝ち誇ったように笑う。

「ねぇ、先輩。あたし、知ってるんですよ。昔の先輩のこととか、3年前の出来事とか」

 この場にいて、これを聞かされたのが茅野本人だったなら、きっと心底動揺していたことだろう。
 だが、それなら僕も知っているし、訪れたのはなぜ乙川が知っているのかという疑問程度の戸惑いだけだった。

「先輩はいわゆる女子のリーダーみたいな感じで、わがまま放題な冷たい女王さまだったんですよね。それで何が気に入らなかったのか、結菜ちゃんをいじめて自殺に追い込んだ。……まあ、未遂だけど」

 結菜ちゃん、と彼女の口から自然に出てきたことに驚いてしまう。
 乙川は何をどこまで知っているというんだろう。

「でも、ぜんぶなかったことにして、いまものうのうと幸せに生きてる。綺麗に過去を清算して、うまくやり直せたと思ってました?」

 嘲るように笑い、小首を傾げる。

「そんな性悪女の分際で、よく若槻先輩に近づいたもんですよね。彼を好きになる資格なんてないのに」

「何で、きみが知って……」

 さすがに困惑して口を挟むと、彼女はおもむろに背に隠していた右手を突き出してきた。
 そこには包丁が握られている。微かな明かりを鈍く宿していた。

「そんなことどうだっていい!」

 突然の金切り声と鋭い刃先に怯み、絶句する。
 憎しみの込もった双眸(そうぼう)で彼女が()めつけてきた。

「目障りなんですよ。これ以上、若槻先輩を騙して惑わすなんて許さない……。消してやる」