「え……」

 若槻だった。困惑気味に驚いた表情がみるみる怒りへと変わっていく。

「ここで何してるんだよ」

 眉間にしわを寄せ、声を低める。
 彼らしくない荒々しい口調。“わたし”越しに強い憤りを顕にする彼に戸惑ってしまった。

 わたしの知る彼は、紳士的で優しい仮面を被った悪人で、笑いながら平気で人を傷つける鬼畜(きちく)
 身に覚えのない恨みで脅して追い詰めてくる悪魔。

 常に余裕に満ちていて、優位にいるはずの若槻が、こんなふうに怒っているところなんて初めて見た。

「な、何って……お見舞いだけど。妹に会いにきて何が悪いの?」

 ばっ、と腕を引いて振りほどく。
 怯んだ素振りを見せないよう精一杯強がったものの、若槻は厳しい態度を崩さなかった。

「きみが来るようなところじゃない。いますぐ帰ってくれ」

「何で……。いまさら無関係だなんて言わないでよ。ひと目でいいから会わせて。そしたら何か思い出せるかも」

 そう言って再び取っ手を掴むと若槻の方を見やる。ほんの一瞥(いちべつ)のつもりが、釘づけになった。

 感情的に取り乱しているわけではないけれど、明らかに怒りの込もった双眸(そうぼう)でわたしを睨みつけていた。
 静かに炎が燃えているような、温度の低い怒り方。無言で非難しているようでもある。

「若槻……?」

 思わず手を引っ込めてから、困惑してその名を呼ぶ。
 “わたし”は躊躇するように目を伏せたあと、観念するべく短く息をついた。

 それから────病室の扉を開く。
 音もなくスライドしたその奥には、思いもよらない光景が広がっていた。

 部屋の大部分を占めるのはよく分からない機械の数々。ものものしく並び、中央のベッドを取り囲んでいる。
 そこに横たわる女の子、恐らく彼の妹の結菜ちゃんは、点滴のほか機械から伸びる無数の(くだ)に繋がれたまま目を閉じていた。

「え……」

 掠れた声で呟いたきり言葉を失ってしまう。
 目の前の状況に圧倒され、理解と反応が追いつかない。

「……遷延性意識障害(せんえんせいいしきしょうがい)。いわゆる植物状態ってやつ。残念ながら話すことなんかできないよ」

 そう言った“わたし”の声もまた機械みたいに無感情な響きをしていて、心情がまったく読み取れなかった。

「それだけじゃない。結菜はもう……病気で、余命幾ばくもないんだ。もってあと3か月って言われてるけど、いつどうなってもおかしくない」

「そんな……」

 あまりの事実に唇も声も息も震える。
 衝撃と動揺が感情を追い越し、彼の言葉の意味を理解するのでやっとだった。

「……きみのせいだ」

 扉を閉めた若槻がわななく。
 取っ手を強く握りしめたまま、俯いて絞り出すように言った。おさえ込んでいた感情を絡めとりながら。

「え……っ?」

「いますぐ帰ってくれ。二度とここへは来るな!」