それなのに、まるで痛みがない。痛覚が麻痺している。
 茅野の体質なんだろうか?
 何となく薄気味悪い感覚を覚え、すぐに刃を下ろした。



 ────寝る前に、彼女の兄に確かめてみた。
 小、中学校時代の持ち物をどうしたのか、忘れてしまったという(てい)で。

「ぜんぶ捨てただろ? 卒業してすぐ」

「そう……だった?」

「ああ、俺も手伝ったし間違いないよ。……あ、でも」

 お兄さんは、ふと思い出したといった具合の軽い調子で続ける。

「ひとつだけ。生徒手帳が足りなかったような覚えがある。円花が中2のときの」

 それだけは捨てることなく未だにとってある、ということだろうか。ざっと見た限り、部屋にはなかったが。

 適当に礼を言って切り上げると、自室へ戻った。

 痛覚のことも聞きたかったけれど、さすがに怪しまれそうでやめた。
 尋ねるとしたら彼女本人だ。



     ◆



 教室へ入ると、小谷(こたに)綾音という彼女の親友(たぶん)が「おはよ!」と声をかけてくる。

「おはよう」

 何気なく返しながらも気は緩めない。

(この子はなんていうか、掴みどころがないんだよな)

 ボブヘアと八重歯が特徴的な彼女は、活発ではつらつとして見えるけれど、時折隙のない眼差しをする。
 何かを測っているのか、心を見透かしているのか分からないが、こちらとしてはたじろいでしまうからやめて欲しい。

 もともとそうなのか、()()茅野が偽物だと気づいているからなのか、どっちなんだろう。
 後者ではないと信じたい。

「円花、最近髪巻いてないね。あんなにこだわってたのに」

「あー……たまにはね、気分転換したいなって」

 こぼれた苦笑は本心からだった。
 ヘアアイロンを扱うのは思いのほか難しく、ただ寝癖を直してまっすぐにするので限界だ。

「ふーん。どっちも似合ってるし、いいと思うよ」

 探られているのかとつい警戒したのに拍子抜けする。さほど気にとめることなく納得してくれたようだ。
 思わずほっとしたとき、不意に慌ただしい足音が近づいてくる。

「わ────じゃなくて、茅野さん!」

 反射的に振り向くと、そこには血相を変えた“僕”がいた。



     ◇



「ねぇ……。あんたって病気だったりしないよね?」

 屋上へ連れ出すなりわたしは詰め寄る。
 不躾(ぶしつけ)は承知の上だったけれど、いまさらデリカシーなんてどうでもいい。彼に遣う気なんてない。
 “わたし”もとい若槻はきょとんとして首を傾げた。

「突然、何の話?」

「昨日の夜、手が急に痛くなったの! 何かで切れたみたいに熱くてすごく痛かった」

 ほとんどふて寝のように寝入ろうとしたとき、突如として左のてのひらに激痛が走ったのだ。
 驚いて飛び起きたけれど、傷跡のような異変はどこにもない。
 血が出ていないのが不思議なほどの痛みに、悶えると同時にひどく混乱した。
 いくらかましになったとはいえ、まだ痛む。

 だから、もしかしたらそういう持病があるんじゃないか、と推測したのだけれど、彼の様子を見る限りそんなことはなさそうだ。

「……そういうこと」

 ひとり腑に落ちたように呟いた若槻が不敵に笑う。