また、特にあの後輩の子、乃愛(のあ)(それどころじゃなくて若槻には聞きそびれたものの、ほかの子が呼んでいるのを聞いて名前が分かった)の執心は突出していた。

 頼れる存在になるかもしれないけれど、好意を(かわ)し続けるのは大変だ。

 常に一緒にいたがる彼女から逃げるようにして、いまはお手洗いの個室へ閉じこもっていた。

 女子トイレと間違えないように、と意識していたお陰でその点は大丈夫だったものの、男子トイレに入るのは何となく後ろめたいような思いがしてしまう。

(……そんなことより)

 姿勢を正して気を取り直す。
 いま何より気にしなければならないのは、彼の提示してきた条件だ。

『1週間……いや、5日あげる。それまでに自分のしたことを思い出して、ちゃんと謝罪してくれたら考えてあげてもいいよ』

 いまのところ元に戻る気配がない以上、真剣に考えてみなければならない。

(でも……何も覚えてないのに)

 彼自身のことはおろか、過去のことは記憶が曖昧なのだ。
 当時のことは“黒歴史”でしかなく、なるべく思い出さないよう頭の奥底に封印してきた。

 あの頃のわたしを思えば、恨みを買っていても不思議ではないかもしれないけれど、若槻との接点がまるで思い出せない。

 同級生たちとは既に縁を切っており、連絡先も知らないから、第三者に聞きようもなかった。
 もう顔も名前も覚えていない。

「どうしよう」

 途方に暮れてしまう。
 どうすればいいんだろう?

 思い悩んだままお手洗いを出ると、ふと廊下の先に“わたし”の姿が見えた。
 綾音と一緒にいるみたいだ。

(綾音……)

 若槻は彼女の目をちゃんと欺けているのかな。
 そうであって欲しいという気持ちと、わたしじゃないことに気づいて欲しいような気持ちとがせめぎ合っていた。

「ねぇ、円花。さっき菅原と話してなかった?」

 会話が聞こえる距離まで寄ると、耳に飛び込んできたとんでもない内容に驚く。(いぶか)しむように眉を寄せた。

「あ、うん。……彼のこと、きみも知ってたっけ」

「え、なに言ってんの? 円花があたしに相談したんじゃん」

「……そっか。ごめん、ちょっと記憶が曖昧で。話してたけど、それがどうかした?」

 綾音はどこか怪訝そうに“わたし”を凝視していた。
 内容そのものにも若槻の発言にも、ひやひやしながら聞き耳を立てる。

(菅原くんのこと、若槻にも言っておくんだった)

 そうしないと、何も知らない彼が菅原くんにつけ込まれかねない。

「どうかした、って……菅原はストーカーのはずでしょ?」

「あ、付き合うことにしたんだ」

「えっ!?」