人気(ひとけ)のない廊下の端へ連れ出すと、腕を引き抜くようにして振りほどかれる。
 迷惑そうな表情をたたえていた。

「何の用? 落ち着くまで、表立った接触はできれば避けたいんだけど」

「どの口が言ってるの? わたしに近づこうとしてたくせに」

「いいから、本題は?」

 思わず反論するものの、取り合うことなく流されてしまう。
 それはさておくことにして、促されるままに口を開いた。

「……盗聴のこと、気づいた?」

 神妙なわたしを嘲笑するかのように、くす、と小さく笑う。

「何かと思ったらまた口止めか」

「ちょっと、茶化してる場合じゃないから」

「きみにとっては、ね」

「そうだけど……」

 何事も危機的状況なのはあくまでわたしの方だけ。
 悔しいけれど、確かに彼が優位な立場にいるのは間違いなかった。

 でも、そうと分かっていながら、わたしは毅然(きぜん)と次の言葉を口にする。

「取り引きしよう」

 不思議そうに首を傾げる“わたし”に構わず続けた。

「入れ替わってることが周りにバレないように、お互いこれまで通りに振る舞うの。昔のことも盗聴器のことも、黙っておいて欲しい」

「……言わなかった? 僕たちは対等じゃないって」

「そうかもしれないけど。わたしの行動次第では、あんただって困ることになるんだよ。お互いの身体と人生が懸かってるんだから」

 お互いがお互いの人質になっているわけだ。
 それぞれの体面(ていめん)を守るための最低限の譲歩だと考えれば、彼としても拒絶はできないはず。

「…………」

 吟味(ぎんみ)するような沈黙を経てから“わたし”が息をついた。

「……分かったよ。でも、少しでもおかしな真似したらただじゃおかない」

 その双眸(そうぼう)からは疑心が覗ける。
 わたしに対する信用や信頼は、露ほどもないみたいだった。

「忘れないで。僕はきみを傷つけることに躊躇なんてない」



     ◇



 昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴る。
 どうなることかと思ったけれど、ここまではどうにかやり過ごすことができていた。

(疲れた……)

 ひっきりなしに女の子たちに囲まれ、息つく間もない。
 夢をみている彼女たちに、いっそのこと彼のあの本性をバラしてやりたかったけれど、いまは自分が若槻だから意味がなかった。

 これまで通りに振る舞う、と言った自分の言葉を(ないがし)ろにするわけにもいかない。