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 翌朝、昇降口へ入るなり甲高く甘い声が耳についた。

「先輩」

 最初はそれが自分に向けられたものだと気づかなかったのだけれど、あとを追ってきたその声の主に腕を引かれてはっとする。
 そこにいたのは、あの後輩の女の子だった。

「若槻先輩ってば。無視しないでくださいよー」

(……あ、そっか。“若槻先輩”ってわたしのことか)

 なかなか実感が湧かずに失念していた。

「ごめんごめん。ちょっとぼーっとしちゃって」

 苦く笑って誤魔化す。
 ついいつもの流れでわたしの靴箱に向かいかけていたのを軌道修正し、彼のクラスのそれへと向かう。

「ていうか、先輩。その怪我どうしたんですか?」

「あ……その、不注意で」

「えーっ、大丈夫ですか? あたしが鞄持ちますよ?」

「いや────」

 咄嗟に断ろうとしたものの、案外ありがたい申し出かもしれなかった。

 若槻が隣のクラスだということは知っているけれど、席までは知らない。
 この状態でそれは不自然で、誰にも聞けずに困るところだった。

「……じゃあ、お願いしてもいいかな。ごめんね」

「はーい、任せてください!」

 にこにこと終始嬉しそうな彼女は、この間とは随分印象がちがう。

(……そういうことか)

 ふと気がついた。愛らしい態度の理由は、わたしが若槻の見た目をしているからだと。
 彼女は若槻のことが好きなんだ。

 だからこそ、あのときはわたしを敵視していたわけだ。
 少し複雑な気もするけれど、こうなっては頼れる相手となりうる。慎重に接しないと。

(でも、まず……名前なんていうんだろう?)

 当然ながら彼女本人に尋ねるわけにもいかない。
 どうにかして知るか、隙を見て若槻に聞きにいくしかないだろう。

(そろそろ来るかな)

 一度扉の方を振り返ってみると、ちょうどその姿が見えた。
 自分自身を客観的に見るのは、やっぱりまだ妙な感じがする。

「……!」

 不意に前を横切っていった別の生徒の耳にあるイヤホンが目に入る。
 もうひとつ、失念していたことが浮かんで弾けた。

「ちょ……ちょっとごめん。先行ってて!」

「えっ? 先輩!」

 彼女を振り切ると、一直線に“わたし”のもとへ急ぐ。
 靴を履き替えるなりその手首を掴んだ。驚いたように“わたし”が顔を上げる。

「ちょっと来て」