「まこくん。ここに書いてあること試してみない」
麻衣はそういって、僕の顔を覗き込んだ。僕は、からだをうしろにのけぞらせた。僕が、そうすれば、そうするほど、麻衣はおもしろがって、笑った。麻衣が笑った顔はかわいいが、この手には載らない。この手に乗ると、明日僕はきっと物笑いのたねになるだろう。僕はそう想うものの、きらきらと光る川面の水面が反射して、麻衣が、もし、もっと、この春の雪のような、もっと、もっと、純粋にただただぼくひとりだけを愛してくれるようなひとであったならば、嬉しい、のかな。いや、それは麻衣じゃない。麻衣は、唇を少し動かして、面白い生物体みたいに僕をみている。僕は、川の流れにしたがって、無理やりみたいな、こんな、からかうことが目的のことじゃなくて、やっぱり、もっと、もっと、東京へ行って、おとなの男となって、そうして、それから、麻衣が敗北宣言をしたならば、この唇を荒々しく奪ってやるぜ、と想った。
「まことくんは、ぜんぜん、だね」
「ひとをからかうために、その、からだをつかうのはやめたまえ」
麻衣は、ちょっとひいた。
「もう、何千というおとこが、わたしの体を素通りしていった。わたしは透明人間扱いされてしまっている。まことくんには、まだ、わたしの姿が、みえる?」
「嘘ばっかり転がしていると、そのうち、罰があたるぞ」
麻衣はせつなそうに、胸をたたいた。
「わたしの、ここが、純粋性をとりもどすために、まことくんを必要としているの」
「たわけが。どうせ、おんなどものゲームであろうよ」
「バレた?あはははははは」
麻衣は、あっけらかんと笑った。わたしもつられて笑った。
川の水面はきらきらと乱反射していた。
のどかだ。
「やっぱり」
「やっぱりなあに」
「ひとりで、河原で本を読んでいると、川の流れに逆らいたいと想うけれども、君がここにいるだけで、川は全然違うものにみえるよ。白鳥もたぶん、いまのぼくのような心境を作曲したんだろう」
と僕は白鳥を口ずさんだ。麻衣はそんな僕から目をそらせ、じっと川の水面を眺めていた。
「ひとはひとりでいると、汚れちまった哀しみに吾愁い、ふたりでいると、日の当たる明るい丘の上に手をつないで、あなたが導いてきっと登れるとおもうものね」
と麻衣はじっとじっと過去のある一点にたいして固執しているような瞳でいった。
「だね」
僕は、軽く相槌をうった。麻衣はなにしろやっかいなおんなで、麻衣のいうことに同情したら、突然、馬鹿じゃないの。頭でっかちの妄想恋ばかり本を読んでしてるんじゃないわよと、罵倒するのだ、きっと。だけど、午後のこの時間に僕たちはここに並んで座っているだけで同じ心情をもちあわせた同士ともいえるだろう。