私の名前は田辺 蛍高校二年生。父親の転勤でこの町に引っ越して来た。東京都から少し離れたこの町はとにかく坂が多かった。私の通学路は堤防沿いの道を電柱十八本と少しで左に曲がる。その後は延々と続く坂道を登らなければならない。坂の突き当たりに大きな樹の生えた和風家屋が建っている。それが私の家だ。
「あ〜綺麗!」
丘陵地の天辺から見下ろした町はまるでおもちゃ箱、赤茶色のレンガ造りの私が通う高等学校は童話に出て来るお城の様だ。そして町の真ん中には大きな川が流れ橋が何本も架けられていた。川の名前は知らない、今度誰かに聞いてみよう。
「ねぇねぇ、聞いた?」
「なに、どうしたの?」
「 蛍 、隣のクラスの井浦くんて知ってる?」
「うん、知ってる」
一ヶ月ほどで私はクラスメートの輪に馴染み小声の内緒話に招かれる様になっていた。
井浦くんとは隣のクラスの井浦 市太郎くんの事だ。上背があり頭ひとつ分高くて廊下の向こう側から歩いて来ても直ぐに分かる。そしてすれ違いざまに聞こえる重低音の特徴的な声は耳に残った。
「それがさ」
「え、井浦くん演劇部に入ったの?」
「科学部の部長だったよね、辞めちゃったの?」
「それが掛け持ちだって」
「えええ、なにそれ」
井浦くんは二年生なのに科学部の部長をしている。そもそも科学部は所属している人数が少なく半強制的に押し付けられたのだと部活動発表で日頃の鬱憤を晴らし教師や生徒の笑いを誘っていた。
「あ、ほら井浦くん」
「科学部には見えないよね」
「見えない」
「見えないよね」
「うん」
科学部と聞けば学力第一で眼鏡を掛け無口と思われがちだが井浦くんはそうではなかった。見栄えが良く友好的で親しみやすい男子。井浦くんに密かに好意を寄せている女子は多く黙っていても井浦くんの噂話は私の耳に入って来た。
「井浦くん、彼女がいるみたい」
「誰、どの子!何クラス!」
「それが下級生みたい」
「えええ、なにそれ!」
井浦くんに下級生の彼女がいると知った私は気落ちした。
(あれ?なんで私、ガッカリしているの?)
意味不明の落胆に疑問符を浮かべた私だったが四組との合同授業では井浦くんの姿を探した。
(やった!今日も近い!)
化学の授業で座った席が近いと胸が弾んだ。
「田辺、ぼんやりしない!危ないぞ!」
「ごめんなさい!」
けれど話しかけるきっかけも無く私はその背中を見ているだけだった。
放課後の体育館は暑い。
「は〜い!二年生!練習試合するよ!」
「はい!」
私は中学校から始めた女子バドミントン部に入部していた。
(あっ!井浦くんだ!)
演劇部は女子バドミントン部と同じ体育館の舞台の上で活動していた。私はストレッチ運動をする井浦くんを盗み見した。生っ粋の文化部だった井浦くんの身体は想像以上に硬くいつも副部長に弄られ悲痛な声を挙げていた。その滑稽な姿に私は思わず失笑した。
「こら!田辺さん、よそ見をしない!」
「すみません!」
こうして私は度々注意をされたが部活動公認で井浦くんの姿を堪能出来る時間があった。演劇部は寸劇と言って簡単な台本を使い短い劇を部員同士で披露しあう。その際、バドミントンの練習試合の掛け声は寸劇の妨げになるだろうと私たちは体育館の床に座ってそれを見守った。
(あれ?)
ある日の事、寸劇が始まった舞台から井浦くんの姿が消えた。不思議に思っていると臙脂色の緞帳の隙間から視線を感じた。よくよく目を凝らして見ると井浦くんだった。
(井浦くんだ!)
心臓が跳ね上がった。その時視線が絡み合った気がした。いやまさか井浦くんとは一度も話した事がないし接点もない。私の後ろに誰かが座っているのかと背後を振り返ってみたがそれは気のせいだった。顔が赤くなり脇に汗をかき喉の渇きを感じた。
(胸がドキドキする)
そこで井浦くんの寸劇が始まった。これまで井浦くんは村のおじいさんやおしゃべりするカエルの役を面白可笑しく演じていた。俳優の才能があると思う。ところが今日は様子が違った。井浦くんは上級生の女子の手をとり舞台の袖から静かに歩いて来た。
(これ、ラブストーリー?)
井浦くんが病気で倒れた上級生を抱き締める姿を見ていると胃がムカムカして来た。これは寸劇なのだと頭で理解していても胸が騒ついて落ち着かなかった。
(なに、なんでこんなにイライラするの?)
それがいわゆる嫉妬心である事に気付くまで然程時間は掛からなかった。
(私、井浦くんの事が好きなのかもしれない)
舞台のスポットライトに照らされた井浦くんが上級生を抱き締め最後の台詞を涙ながらに叫んだ。
「君が、君が好きだ!」
その時、尾骶骨から脳髄まで何かが駆け上がり白い靄がかかった。心臓が鷲掴みにされ血管が脈打った。「好きだ!君が好きだ!」全く都合の良い解釈だがそれはまるで自分に対する告白の様に聞こえた。
(好き、井浦くんが好き)
舞台の上、フェイスタオルで首筋の汗を拭う井浦くんが眩しく見えた。
「は〜い!打ちっぱなし始めるよ!準備して!」
「・・・・・・」
「田辺さん!ぼんやりしない!」
「あっ!はいっ!」
それからラケットを握ったものの指先が震えてシャトルを何度も落としてしまった。
(好き、井浦くんが好き)
持て余したこの感情をどうしたら解消出来るのか?私は三日三晩悩んだ挙句、井浦くんに話し掛けようと決めた。
一年後
ところが私の決意は井浦くんを間近にすると脆も崩れ去りその横顔を見つめるだけで精一杯だった。クラスもまた三組、四組と別々で私は先生を恨めしく見た。同じクラスならば話し掛ける機会もあった筈だ。そして高等学校最後の夏休みがやって来た。夏期講習を終えた私は体育館を覗いて見た。
(お盆だもんね、お休みだよね)
演劇部の活動は休みで化学室のカーテンも閉め切られていた。
(あ〜暑い、自転車通学にしようかな)
私は額から噴き出す汗をハンカチで拭いながら自宅を目指し川沿いの堤防を歩いていた。すっかり温くなったペットボトルのスポーツドリンクに口を付け、見下ろした河川敷は黄色いカモガヤの花が満開だった。
(暑い)
幅の狭い橋を通り過ぎたところで聞き慣れたあの呪文の言葉が聞こえて来た。
(あ!この声!)
それは演劇部の発声練習だった。
「さ、し、す、せ、せ、そ、さ、そ」
「た、ち、つ、て、て、と、た、と」
橋下を覗き見ると一台の白い自転車が堤防に立て掛けられていた。橋の陰になった場所には井浦くんが座っていた。周囲には誰もいない。私は唾を飲み込んで握り拳を作った。そして大きく息を吸って深く吐いた。
(よし!)
コンクリートの階段を砂利を踏みながらゆっくりと降りた。あと二段というところで突然井浦くんが振り向いた。
「・・・・・・!」
緊張で鼻の奥がツンとなった。井浦くんは幽霊でも見たかのような表情で私を見た。私は精一杯の笑顔を作った。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
「演劇部の井浦くんだよね?」
「ど、どうして僕の事を」
「科学部の部長さんが演劇部に入部したって有名だよ」
「そうなんだ」
「隣、座っていい?」
たったこれだけの会話で心臓が飛び跳ねて貧血を起こしそうになった。私は最高潮に達した緊張を紛らわせる為に小石を拾って川面に投げ入れた。二人の間にポチャンと何かが沈む音が響いた。
「ここ、涼しくて気持ち良いね」
「あ、うん」
「いつもここで練習しているの?」
「うん」
突然、接点のない同級生から話し掛けられた井浦くんは怪訝な顔をしていた。
「聞き覚えのある声だな〜って思って覗いてみたら井浦くんだった」
「え、僕の声が分かるの?」
「うん、他の男子よりも声が低いから」
「田辺さんは耳が良いんだね」
もう言うしかない、こんなチャンスは二度とない。私はもう一度唾を飲み込んだ。
「だって、井浦くんの事が気になるから」
橋の上を小さな子どもたちが賑やかに走って行った。川面に小石を投げ入れていた私は髪の毛を掻き上げ下を向いた。顔は真っ赤に色付いているに違いなかった。
「私、聞こえたんだ」
「何が聞こえたの?僕、田辺さんと話すの初めてだよね?」
「あの時、聞こえたの」
見上げると至近距離に井浦くんの顔が顔があった。薄い二重の切れ長の目、こんなに間近で井浦くんの顔を見た事はなかった。
「聞こえたの」
「え?」
「あの時、聞こえたの」
「あの時って?」
「劇で井浦くんが大きな声で言ってたよ」
「僕、なんて言ってた?」
「君が好きだって」
「あれは寸劇の台詞で言ったんだよ」
「その時、君が好きだって聞こえたの」
精一杯の告白だった。突拍子のない事を口にしとんでもなく恥ずかしくなった私は勢いよく立ち上がった。目眩がしたので両脚を踏ん張り制服のスカートに付いた砂利を手で払った。井浦くんは呆気に取られていた。
「またね」
私は一段跳びでコンクリートの階段を登り堤防を全速力で走った。トートバッグの中の筆箱がガシャガシャと音を立て慌てて転びそうになった。
(あれじゃただの勘違い女子じゃない!)
息も絶え絶えに坂道を駆け上がり見下ろした景色の中にあの橋を見つけた。私は「明日こそ告白しよう!」と十二回目の決意をした。
夏期講習最終日、私は体育館を覗いていた。
(やっぱり演劇部はお休みかぁ)
正面玄関に向かう渡り廊下から何気なく校舎を見上げると三階の一番端にある化学室のカーテンが開いていた。
(科学部、今日は部活やってるんだ!)
瞬間、私は階段の手摺りに手を掛け薄暗い階段を駆け登っていた。灰色のリノリウムの床で上履きの音がキュッキュッと鳴いた。体育館からバスケットボールをドリブルする音が忙しなく響いて来たが校舎の中は人の気配がなく静まり返っていた。
(静かだな、本当にいるのかな?)
足を進めるごとに心臓が高鳴った。それに化学室を覗いて井浦くんがいたら何と声を掛ければ良いのか真剣に悩んだ。
(こんにちは?元気?あ、偶然?偶然な訳ないじゃない!)
ゴクリと息を呑み化学準備室の前で立ち止まってみたがそこに人の気配は感じられなかった。
「お、お邪魔しま〜す」
やはり化学室には誰も居らず開けっ放しの窓でクリーム色のカーテンが風にはためいているだけだった。少し残念な気持ちと安堵が入り混じり全身から力が抜けて椅子に座り込んだ。座り込んだそこまでは良かった。
「なに、これ」
壁一面の黒板を見た私は愕然とした。そこには似ても似つかぬ井浦くんとキラキラの目をした可愛らしい女の子の似顔絵が描かれていた。
「なに、これ、嘘」
井浦部長♡佐藤瑠璃ちゃん LOVE LOVE という文字、その周囲には桜色の白墨で塗り潰された大小のハートが飛び交っていた。想像するに井浦くんが付き合っている噂の下級生はこの佐藤 瑠璃ちゃんで間違いなかった。
「どうしよう」
そして今夜は天体観測に行く日で19:00に駅前集合とあった。
(瑠璃ちゃんも行くんだ!)
私の身体は考えるよりも先に化学室を飛び出し階段を駆け降りていた。トートバッグの中で筆箱がガシャガシャと音を立てた。井浦くんと佐藤瑠璃ちゃんが手を繋ぎキスをする姿を想像し頭を左右に振った。
(そんなの嫌!)
照り付ける太陽に負けそうになりながらも焦茶のローファーは堤防の一本道を走りに走った。八本目の電柱、狭い橋、けれど発声練習の呪文はなく「あぁ、今日はいないのか」と膝に手を突いて熱いアスファルトに座り込もうとしたその時、視界の端に白い自転車が見えた。
(井浦くん!いた!)
腰を屈めて橋下を覗くとそこには見慣れた背中があった。ハンカチで額と首筋から噴き出す汗を拭い取り柑橘系のオーデコロンを手首に一滴垂らして擦り合わせた。ベルガモットとグレープフルーツの香りに背中を押された私は逸る気持ちを抑えながら静かに階段を降りた。
「こんにちは、井浦くん」
「田辺さん」
今日は警戒される事もなく井浦くんは至って普通だった。
「座ってもいい?」
「うん」
「今日、部活動はお休みなの?」
今夜は天体観測だ、そんな事は承知の上で敢えて訊ねてみた。
「ああ、うん。今夜は天体観測に行くから昼間の部活はないんだ」
「天体観測ってあれ?望遠鏡とか担いで行っちゃう感じ?」
「うん」
「青春だね」
「そうかな」
「うん」
井浦くんから佐藤瑠璃ちゃんとの関係を聞き出したかったが会話の糸口が見つからなかった。私は昨日と同じ様に小石を拾っては川面に落として無言の時間を繋いだ。横目で見遣ると井浦くんは本を読んでいるのかいないのかその指は動かなかった。
「井浦くん」
「なに」
「あの子も行くの?」
一瞬の間。
「あの子って誰?」
「科学部の一年生の」
「一年生の誰?」
もう聞くしかなかった。
「一年生の女の子、佐藤瑠璃ちゃん」
「え、どういう事?」
「瑠璃ちゃんも天体観測に行くの?」
私はつい前のめりになっていた。
「佐藤さんも科学部だから行くよ?なんで?」
「なんでって」
その時、カモガヤの茂みから茶色い猫が飛び出した。微妙な緊張感に押し潰されそうになった私にとっては救いの神だった。
「あっ!猫!」
「え、どこ」
「あそこ!ほら!黄色い花の中に茶色の猫!」
「茶色?」
「茶色の白いシマシマ!」
井浦くんは的外れな方向に首を伸ばしていた。
「ほら!あそこにいるよ!」
「どれ?」
「自転車の後ろだよ!」
「ああ、あれかな?」
「尻尾を振ってる!」
興奮気味の私は井浦くんの肩を遠慮なく叩いていた。
「え、猫も尻尾を振ったりするの?」
「振ってる!振ってる!ブンブン振ってるよ!」
けれどその時私は佐藤瑠璃ちゃんの事を訊ねた事を後悔していた。もし「うん、彼女だよ」なんて言われたらこの場所で泣いてしまうに違いなかった。
「かーわいいー!」
「本当だ猫だ、でもなんだか怒っているみたいだよ」
「そうかなぁ、触りたいなぁ」
そんな不安を気取られぬ様に精一杯戯けてみせた。
「可愛いなぁ、撫でたいなぁ」
「引っ掻かれちゃうよ」
「猫、飼いたいなぁ」
「猫好きなんだ」
「うん、好きなんだ」
井浦くんは指先を動かし「ちっちっちっ」と猫にちょっかいを出していた。
「井浦くん」
「うん」
「あのね」
「そういえばさっきの話の続き」
「・・・・・・」
井浦くんがゆっくりと私に振り向いたその時、私の唇が井浦くんの頬に触れた。
「えっ、なに!」
「なにって、なに」
井浦くんは信じられないと言った表情で自分の頬を撫で、私は指先で自分の唇に触れた。心臓の鼓動が井浦くんに伝わるんじゃないかと思った。
「井浦くん、私も天体観測に連れて行って欲しいな」
「こっ、今夜、部活のみんなと一緒に行く?」
「そんな意味じゃなくて」
私は精一杯の笑顔で平静を装ったが動揺した井浦くんの手は忙しなくペットボトルを探していた。ようやくそれを手にしてキャップを回した瞬間、熱で膨張した炭酸水が飛び散った。
「そ、そんな意味じゃなくて?」
「流れ星が見たいなって思ったんだ」
「流れ星」
「うん、まだ一度も見た事がないんだ」
井浦くんはぬるま湯になった炭酸水を飲み干した。
「流れ星、流星群だね」
「流星群って言うんだ」
「今年の夏はペルセウス流星群が見られるよ」
「ペルセウス流星群かぁ、流れ星、たくさん見える?」
「雲がなければ一時間に十個」
「すごい!見たい見たい!」
私と井浦くんは星のない青空を仰ぎ見た。
「綺麗なんだろうなぁ」
「綺麗だよ、僕も初めて見た時は感動したよ」
私は髪を掻き上げながら息を大きく吸って深く吐いた。
「その流れ星、井浦くんと一緒に見たいな」
「・・・・・・」
「駄目かな?」
井浦くんは俯き加減で唾をゴクリと飲み込んだ。
「僕も、田辺さんと・・・・です」
「え、聞こえなかった」
「僕・・・・・僕も・・・・・・」
川のせせらぎの音が悪戯をして井浦くんの声をかき消した。
「・・・・・さんと・・・・です」」
「僕も、なに?」
「・・・・あの」
「・・・・うん」
「たっ田辺さん!僕と流れ星を見に行きませんか!?」
「行きます!」
即答した私は右手を高々と挙げ、顔を赤らめた井浦くんは手元に小石を四つ並べた。
「なにしてるの?」
「これは秋の四角形」
「確かに、四角形だね」
私は丸い小石をひとつひとつ指差した。
「ペルセウス座は秋の星座なんだ」
「秋の星座なんだ」
「秋はペルセウス座の他にペガスス座とかアンドロメダ座があって明るい星が四つ並ぶんだ」
「物知りだね」
「科学部だからね」
「だね」
井浦くんは少し張り切って喋りすぎたと後悔したらしく襟足をかいた。
「その星が四角形なの?」
「明るい星を線で繋ぐと四角形になって見えるんだ」
「私でも見えるかなぁ」
「見えるよ」
「それは秋になったら見られるの?」
「うん」
「秋かぁ」
「秋の四角形が見られるのは十月の終わり頃だよ」
「まだまだ先だね」
「田辺さん、秋の四角形も一緒に見る?」
井浦くんの突然の提案は秋も一緒にいようと言っている様で私は上擦った声で「うん」と答えた。
「暑いね」
「うん、暑い」
橋下の日陰はすっかり眩しくなり盛夏が熱い風を運んで来た。井浦くんは白いトートバッグに気の抜けた炭酸水と砂利にまみれた本を入れ肩に担いだ。
「図書館行かない?」
「真面目か!」
どうやら佐藤瑠璃ちゃんの事は女子たちの噂の域を出ない勘違いだったようだ。
「星座の図鑑を見ようよ」
「あ、星ね」
「うん」
井浦くんは堤防に座っている私に手を差し出した。
「はい、掴まって」
「ありがと」
「お、も」
一瞬、重いと言われた私は「ひどい!」と顔を真っ赤にして怒った。
「ごめんね」
「・・・・」
「本当にごめんね」
「いいよ、今回だけ許してあげる」
青空が眩しい、きっと明日も晴れるだろう。
「ねぇ井浦くん」
「なに?」
「明日の花火大会一緒に行こう」
「うん、行こう」
私たちは手を繋いで一段跳びで階段を登った。
「あ〜綺麗!」
丘陵地の天辺から見下ろした町はまるでおもちゃ箱、赤茶色のレンガ造りの私が通う高等学校は童話に出て来るお城の様だ。そして町の真ん中には大きな川が流れ橋が何本も架けられていた。川の名前は知らない、今度誰かに聞いてみよう。
「ねぇねぇ、聞いた?」
「なに、どうしたの?」
「 蛍 、隣のクラスの井浦くんて知ってる?」
「うん、知ってる」
一ヶ月ほどで私はクラスメートの輪に馴染み小声の内緒話に招かれる様になっていた。
井浦くんとは隣のクラスの井浦 市太郎くんの事だ。上背があり頭ひとつ分高くて廊下の向こう側から歩いて来ても直ぐに分かる。そしてすれ違いざまに聞こえる重低音の特徴的な声は耳に残った。
「それがさ」
「え、井浦くん演劇部に入ったの?」
「科学部の部長だったよね、辞めちゃったの?」
「それが掛け持ちだって」
「えええ、なにそれ」
井浦くんは二年生なのに科学部の部長をしている。そもそも科学部は所属している人数が少なく半強制的に押し付けられたのだと部活動発表で日頃の鬱憤を晴らし教師や生徒の笑いを誘っていた。
「あ、ほら井浦くん」
「科学部には見えないよね」
「見えない」
「見えないよね」
「うん」
科学部と聞けば学力第一で眼鏡を掛け無口と思われがちだが井浦くんはそうではなかった。見栄えが良く友好的で親しみやすい男子。井浦くんに密かに好意を寄せている女子は多く黙っていても井浦くんの噂話は私の耳に入って来た。
「井浦くん、彼女がいるみたい」
「誰、どの子!何クラス!」
「それが下級生みたい」
「えええ、なにそれ!」
井浦くんに下級生の彼女がいると知った私は気落ちした。
(あれ?なんで私、ガッカリしているの?)
意味不明の落胆に疑問符を浮かべた私だったが四組との合同授業では井浦くんの姿を探した。
(やった!今日も近い!)
化学の授業で座った席が近いと胸が弾んだ。
「田辺、ぼんやりしない!危ないぞ!」
「ごめんなさい!」
けれど話しかけるきっかけも無く私はその背中を見ているだけだった。
放課後の体育館は暑い。
「は〜い!二年生!練習試合するよ!」
「はい!」
私は中学校から始めた女子バドミントン部に入部していた。
(あっ!井浦くんだ!)
演劇部は女子バドミントン部と同じ体育館の舞台の上で活動していた。私はストレッチ運動をする井浦くんを盗み見した。生っ粋の文化部だった井浦くんの身体は想像以上に硬くいつも副部長に弄られ悲痛な声を挙げていた。その滑稽な姿に私は思わず失笑した。
「こら!田辺さん、よそ見をしない!」
「すみません!」
こうして私は度々注意をされたが部活動公認で井浦くんの姿を堪能出来る時間があった。演劇部は寸劇と言って簡単な台本を使い短い劇を部員同士で披露しあう。その際、バドミントンの練習試合の掛け声は寸劇の妨げになるだろうと私たちは体育館の床に座ってそれを見守った。
(あれ?)
ある日の事、寸劇が始まった舞台から井浦くんの姿が消えた。不思議に思っていると臙脂色の緞帳の隙間から視線を感じた。よくよく目を凝らして見ると井浦くんだった。
(井浦くんだ!)
心臓が跳ね上がった。その時視線が絡み合った気がした。いやまさか井浦くんとは一度も話した事がないし接点もない。私の後ろに誰かが座っているのかと背後を振り返ってみたがそれは気のせいだった。顔が赤くなり脇に汗をかき喉の渇きを感じた。
(胸がドキドキする)
そこで井浦くんの寸劇が始まった。これまで井浦くんは村のおじいさんやおしゃべりするカエルの役を面白可笑しく演じていた。俳優の才能があると思う。ところが今日は様子が違った。井浦くんは上級生の女子の手をとり舞台の袖から静かに歩いて来た。
(これ、ラブストーリー?)
井浦くんが病気で倒れた上級生を抱き締める姿を見ていると胃がムカムカして来た。これは寸劇なのだと頭で理解していても胸が騒ついて落ち着かなかった。
(なに、なんでこんなにイライラするの?)
それがいわゆる嫉妬心である事に気付くまで然程時間は掛からなかった。
(私、井浦くんの事が好きなのかもしれない)
舞台のスポットライトに照らされた井浦くんが上級生を抱き締め最後の台詞を涙ながらに叫んだ。
「君が、君が好きだ!」
その時、尾骶骨から脳髄まで何かが駆け上がり白い靄がかかった。心臓が鷲掴みにされ血管が脈打った。「好きだ!君が好きだ!」全く都合の良い解釈だがそれはまるで自分に対する告白の様に聞こえた。
(好き、井浦くんが好き)
舞台の上、フェイスタオルで首筋の汗を拭う井浦くんが眩しく見えた。
「は〜い!打ちっぱなし始めるよ!準備して!」
「・・・・・・」
「田辺さん!ぼんやりしない!」
「あっ!はいっ!」
それからラケットを握ったものの指先が震えてシャトルを何度も落としてしまった。
(好き、井浦くんが好き)
持て余したこの感情をどうしたら解消出来るのか?私は三日三晩悩んだ挙句、井浦くんに話し掛けようと決めた。
一年後
ところが私の決意は井浦くんを間近にすると脆も崩れ去りその横顔を見つめるだけで精一杯だった。クラスもまた三組、四組と別々で私は先生を恨めしく見た。同じクラスならば話し掛ける機会もあった筈だ。そして高等学校最後の夏休みがやって来た。夏期講習を終えた私は体育館を覗いて見た。
(お盆だもんね、お休みだよね)
演劇部の活動は休みで化学室のカーテンも閉め切られていた。
(あ〜暑い、自転車通学にしようかな)
私は額から噴き出す汗をハンカチで拭いながら自宅を目指し川沿いの堤防を歩いていた。すっかり温くなったペットボトルのスポーツドリンクに口を付け、見下ろした河川敷は黄色いカモガヤの花が満開だった。
(暑い)
幅の狭い橋を通り過ぎたところで聞き慣れたあの呪文の言葉が聞こえて来た。
(あ!この声!)
それは演劇部の発声練習だった。
「さ、し、す、せ、せ、そ、さ、そ」
「た、ち、つ、て、て、と、た、と」
橋下を覗き見ると一台の白い自転車が堤防に立て掛けられていた。橋の陰になった場所には井浦くんが座っていた。周囲には誰もいない。私は唾を飲み込んで握り拳を作った。そして大きく息を吸って深く吐いた。
(よし!)
コンクリートの階段を砂利を踏みながらゆっくりと降りた。あと二段というところで突然井浦くんが振り向いた。
「・・・・・・!」
緊張で鼻の奥がツンとなった。井浦くんは幽霊でも見たかのような表情で私を見た。私は精一杯の笑顔を作った。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
「演劇部の井浦くんだよね?」
「ど、どうして僕の事を」
「科学部の部長さんが演劇部に入部したって有名だよ」
「そうなんだ」
「隣、座っていい?」
たったこれだけの会話で心臓が飛び跳ねて貧血を起こしそうになった。私は最高潮に達した緊張を紛らわせる為に小石を拾って川面に投げ入れた。二人の間にポチャンと何かが沈む音が響いた。
「ここ、涼しくて気持ち良いね」
「あ、うん」
「いつもここで練習しているの?」
「うん」
突然、接点のない同級生から話し掛けられた井浦くんは怪訝な顔をしていた。
「聞き覚えのある声だな〜って思って覗いてみたら井浦くんだった」
「え、僕の声が分かるの?」
「うん、他の男子よりも声が低いから」
「田辺さんは耳が良いんだね」
もう言うしかない、こんなチャンスは二度とない。私はもう一度唾を飲み込んだ。
「だって、井浦くんの事が気になるから」
橋の上を小さな子どもたちが賑やかに走って行った。川面に小石を投げ入れていた私は髪の毛を掻き上げ下を向いた。顔は真っ赤に色付いているに違いなかった。
「私、聞こえたんだ」
「何が聞こえたの?僕、田辺さんと話すの初めてだよね?」
「あの時、聞こえたの」
見上げると至近距離に井浦くんの顔が顔があった。薄い二重の切れ長の目、こんなに間近で井浦くんの顔を見た事はなかった。
「聞こえたの」
「え?」
「あの時、聞こえたの」
「あの時って?」
「劇で井浦くんが大きな声で言ってたよ」
「僕、なんて言ってた?」
「君が好きだって」
「あれは寸劇の台詞で言ったんだよ」
「その時、君が好きだって聞こえたの」
精一杯の告白だった。突拍子のない事を口にしとんでもなく恥ずかしくなった私は勢いよく立ち上がった。目眩がしたので両脚を踏ん張り制服のスカートに付いた砂利を手で払った。井浦くんは呆気に取られていた。
「またね」
私は一段跳びでコンクリートの階段を登り堤防を全速力で走った。トートバッグの中の筆箱がガシャガシャと音を立て慌てて転びそうになった。
(あれじゃただの勘違い女子じゃない!)
息も絶え絶えに坂道を駆け上がり見下ろした景色の中にあの橋を見つけた。私は「明日こそ告白しよう!」と十二回目の決意をした。
夏期講習最終日、私は体育館を覗いていた。
(やっぱり演劇部はお休みかぁ)
正面玄関に向かう渡り廊下から何気なく校舎を見上げると三階の一番端にある化学室のカーテンが開いていた。
(科学部、今日は部活やってるんだ!)
瞬間、私は階段の手摺りに手を掛け薄暗い階段を駆け登っていた。灰色のリノリウムの床で上履きの音がキュッキュッと鳴いた。体育館からバスケットボールをドリブルする音が忙しなく響いて来たが校舎の中は人の気配がなく静まり返っていた。
(静かだな、本当にいるのかな?)
足を進めるごとに心臓が高鳴った。それに化学室を覗いて井浦くんがいたら何と声を掛ければ良いのか真剣に悩んだ。
(こんにちは?元気?あ、偶然?偶然な訳ないじゃない!)
ゴクリと息を呑み化学準備室の前で立ち止まってみたがそこに人の気配は感じられなかった。
「お、お邪魔しま〜す」
やはり化学室には誰も居らず開けっ放しの窓でクリーム色のカーテンが風にはためいているだけだった。少し残念な気持ちと安堵が入り混じり全身から力が抜けて椅子に座り込んだ。座り込んだそこまでは良かった。
「なに、これ」
壁一面の黒板を見た私は愕然とした。そこには似ても似つかぬ井浦くんとキラキラの目をした可愛らしい女の子の似顔絵が描かれていた。
「なに、これ、嘘」
井浦部長♡佐藤瑠璃ちゃん LOVE LOVE という文字、その周囲には桜色の白墨で塗り潰された大小のハートが飛び交っていた。想像するに井浦くんが付き合っている噂の下級生はこの佐藤 瑠璃ちゃんで間違いなかった。
「どうしよう」
そして今夜は天体観測に行く日で19:00に駅前集合とあった。
(瑠璃ちゃんも行くんだ!)
私の身体は考えるよりも先に化学室を飛び出し階段を駆け降りていた。トートバッグの中で筆箱がガシャガシャと音を立てた。井浦くんと佐藤瑠璃ちゃんが手を繋ぎキスをする姿を想像し頭を左右に振った。
(そんなの嫌!)
照り付ける太陽に負けそうになりながらも焦茶のローファーは堤防の一本道を走りに走った。八本目の電柱、狭い橋、けれど発声練習の呪文はなく「あぁ、今日はいないのか」と膝に手を突いて熱いアスファルトに座り込もうとしたその時、視界の端に白い自転車が見えた。
(井浦くん!いた!)
腰を屈めて橋下を覗くとそこには見慣れた背中があった。ハンカチで額と首筋から噴き出す汗を拭い取り柑橘系のオーデコロンを手首に一滴垂らして擦り合わせた。ベルガモットとグレープフルーツの香りに背中を押された私は逸る気持ちを抑えながら静かに階段を降りた。
「こんにちは、井浦くん」
「田辺さん」
今日は警戒される事もなく井浦くんは至って普通だった。
「座ってもいい?」
「うん」
「今日、部活動はお休みなの?」
今夜は天体観測だ、そんな事は承知の上で敢えて訊ねてみた。
「ああ、うん。今夜は天体観測に行くから昼間の部活はないんだ」
「天体観測ってあれ?望遠鏡とか担いで行っちゃう感じ?」
「うん」
「青春だね」
「そうかな」
「うん」
井浦くんから佐藤瑠璃ちゃんとの関係を聞き出したかったが会話の糸口が見つからなかった。私は昨日と同じ様に小石を拾っては川面に落として無言の時間を繋いだ。横目で見遣ると井浦くんは本を読んでいるのかいないのかその指は動かなかった。
「井浦くん」
「なに」
「あの子も行くの?」
一瞬の間。
「あの子って誰?」
「科学部の一年生の」
「一年生の誰?」
もう聞くしかなかった。
「一年生の女の子、佐藤瑠璃ちゃん」
「え、どういう事?」
「瑠璃ちゃんも天体観測に行くの?」
私はつい前のめりになっていた。
「佐藤さんも科学部だから行くよ?なんで?」
「なんでって」
その時、カモガヤの茂みから茶色い猫が飛び出した。微妙な緊張感に押し潰されそうになった私にとっては救いの神だった。
「あっ!猫!」
「え、どこ」
「あそこ!ほら!黄色い花の中に茶色の猫!」
「茶色?」
「茶色の白いシマシマ!」
井浦くんは的外れな方向に首を伸ばしていた。
「ほら!あそこにいるよ!」
「どれ?」
「自転車の後ろだよ!」
「ああ、あれかな?」
「尻尾を振ってる!」
興奮気味の私は井浦くんの肩を遠慮なく叩いていた。
「え、猫も尻尾を振ったりするの?」
「振ってる!振ってる!ブンブン振ってるよ!」
けれどその時私は佐藤瑠璃ちゃんの事を訊ねた事を後悔していた。もし「うん、彼女だよ」なんて言われたらこの場所で泣いてしまうに違いなかった。
「かーわいいー!」
「本当だ猫だ、でもなんだか怒っているみたいだよ」
「そうかなぁ、触りたいなぁ」
そんな不安を気取られぬ様に精一杯戯けてみせた。
「可愛いなぁ、撫でたいなぁ」
「引っ掻かれちゃうよ」
「猫、飼いたいなぁ」
「猫好きなんだ」
「うん、好きなんだ」
井浦くんは指先を動かし「ちっちっちっ」と猫にちょっかいを出していた。
「井浦くん」
「うん」
「あのね」
「そういえばさっきの話の続き」
「・・・・・・」
井浦くんがゆっくりと私に振り向いたその時、私の唇が井浦くんの頬に触れた。
「えっ、なに!」
「なにって、なに」
井浦くんは信じられないと言った表情で自分の頬を撫で、私は指先で自分の唇に触れた。心臓の鼓動が井浦くんに伝わるんじゃないかと思った。
「井浦くん、私も天体観測に連れて行って欲しいな」
「こっ、今夜、部活のみんなと一緒に行く?」
「そんな意味じゃなくて」
私は精一杯の笑顔で平静を装ったが動揺した井浦くんの手は忙しなくペットボトルを探していた。ようやくそれを手にしてキャップを回した瞬間、熱で膨張した炭酸水が飛び散った。
「そ、そんな意味じゃなくて?」
「流れ星が見たいなって思ったんだ」
「流れ星」
「うん、まだ一度も見た事がないんだ」
井浦くんはぬるま湯になった炭酸水を飲み干した。
「流れ星、流星群だね」
「流星群って言うんだ」
「今年の夏はペルセウス流星群が見られるよ」
「ペルセウス流星群かぁ、流れ星、たくさん見える?」
「雲がなければ一時間に十個」
「すごい!見たい見たい!」
私と井浦くんは星のない青空を仰ぎ見た。
「綺麗なんだろうなぁ」
「綺麗だよ、僕も初めて見た時は感動したよ」
私は髪を掻き上げながら息を大きく吸って深く吐いた。
「その流れ星、井浦くんと一緒に見たいな」
「・・・・・・」
「駄目かな?」
井浦くんは俯き加減で唾をゴクリと飲み込んだ。
「僕も、田辺さんと・・・・です」
「え、聞こえなかった」
「僕・・・・・僕も・・・・・・」
川のせせらぎの音が悪戯をして井浦くんの声をかき消した。
「・・・・・さんと・・・・です」」
「僕も、なに?」
「・・・・あの」
「・・・・うん」
「たっ田辺さん!僕と流れ星を見に行きませんか!?」
「行きます!」
即答した私は右手を高々と挙げ、顔を赤らめた井浦くんは手元に小石を四つ並べた。
「なにしてるの?」
「これは秋の四角形」
「確かに、四角形だね」
私は丸い小石をひとつひとつ指差した。
「ペルセウス座は秋の星座なんだ」
「秋の星座なんだ」
「秋はペルセウス座の他にペガスス座とかアンドロメダ座があって明るい星が四つ並ぶんだ」
「物知りだね」
「科学部だからね」
「だね」
井浦くんは少し張り切って喋りすぎたと後悔したらしく襟足をかいた。
「その星が四角形なの?」
「明るい星を線で繋ぐと四角形になって見えるんだ」
「私でも見えるかなぁ」
「見えるよ」
「それは秋になったら見られるの?」
「うん」
「秋かぁ」
「秋の四角形が見られるのは十月の終わり頃だよ」
「まだまだ先だね」
「田辺さん、秋の四角形も一緒に見る?」
井浦くんの突然の提案は秋も一緒にいようと言っている様で私は上擦った声で「うん」と答えた。
「暑いね」
「うん、暑い」
橋下の日陰はすっかり眩しくなり盛夏が熱い風を運んで来た。井浦くんは白いトートバッグに気の抜けた炭酸水と砂利にまみれた本を入れ肩に担いだ。
「図書館行かない?」
「真面目か!」
どうやら佐藤瑠璃ちゃんの事は女子たちの噂の域を出ない勘違いだったようだ。
「星座の図鑑を見ようよ」
「あ、星ね」
「うん」
井浦くんは堤防に座っている私に手を差し出した。
「はい、掴まって」
「ありがと」
「お、も」
一瞬、重いと言われた私は「ひどい!」と顔を真っ赤にして怒った。
「ごめんね」
「・・・・」
「本当にごめんね」
「いいよ、今回だけ許してあげる」
青空が眩しい、きっと明日も晴れるだろう。
「ねぇ井浦くん」
「なに?」
「明日の花火大会一緒に行こう」
「うん、行こう」
私たちは手を繋いで一段跳びで階段を登った。