翌朝、朝から少し曇り空だった。
今日は少し涼しいといいけどな、と思いながら念のため折りたたみ傘をカバンに入れて、学校へ向かう。

後少しで学校に着く、という時だった。

「桜河さん、だよね?」

後ろから誰かに声をかけられた。

驚いて振り向くと、長身の男子学生が立っている。
制服で同じ学校の生徒だとはわかるけれど、見たことのない顔だ。

「え、桜河さんでしょ?」

もう一度聞かれてハッとする。

「あ、はい、、」

誰だっけ?会ったことある人だっけ、、?
私の頭の中をいろんな記憶がぐるぐる回る。

「あ、オレ高2の湯川(ゆかわ)(りく)

彼は爽やかな笑顔を見せてそう言うと、私の横に並ぶようにして歩いた。
切れ長の目に短すぎない明るい茶色の髪、160センチの私より頭ひとつ以上上にある顔。
180くらいあるのかな、、と関係ないことを考えてしまう。

「んー、、あー、、オレのことは知らない感じ?」

彼は一瞬不思議そうな顔をした。

え、知ってるのに思い出せないのかな、それってめちゃくちゃ失礼だよね。

と内心焦りまくる。

「あ、あのっ、、」

なんとか取り繕おうとする私の言葉をさえぎって、彼は

「ま、いいや。今はあんまり時間ないし。放課後!
ちょっと時間くれる?靴箱のとこで待ってるから」

早口でそういうと軽く手を上げて走っていってしまった。
私の返事も聞かずに。
私は呆気に取られてしばらく、彼が走って行ったほうを眺めていた。

放課後って、、、何?
放課後は瑛人とまた河原に行く予定があるのに、、

モヤモヤしながら教室に向かうと、教室に入るなり莉愛が転がるように飛んでくる。こんな時莉愛は、本当に小さな子犬のようでめちゃくちゃ可愛い。

「ひなっひなっ!ひなひなひなー!!」

私の名前を異常なくらい連呼している莉愛の後ろで舞も同じくなんとも言えない表情をして私を見ていた。

「おはよー、莉愛、舞ー」

とりあえずは何事もなかったようにカバンを自分の机に置く。

どちらかというと、私よりも莉愛の方が何事かあったような顔つきだ。

「どした?なんかあった?莉愛」

私が尋ねると、莉愛は一瞬ポカンと口を開けた。

「いやいやっ!私じゃなくて日菜がなんかあったんでしょ?何言ってんの?!」

興奮している莉愛に代わって後ろにいる舞が口を開いた。

「さっき、湯川先輩になんか呼ばれたんでしょ?」

「え、、?なんで知って、、」

言いかける私を遮って、莉愛が捲し立てるように言う。

「見てた人がいてすごい噂になってるよ?!」

そう言われて、周りを見ると他の女子もチラチラと私の方を見ている。

「え、ちょっと待って。脳みそ置いてけぼりなんだけど?なんでそんな噂になるの、、?」

全く理解しない私の言葉に莉愛だけでなく舞までが目を丸くしている。

「日菜、まさか湯川先輩知らないの?」

舞の言葉に頷くと2人はますます目を丸くする。
そして、なぜか2人は私に顔を寄せ、小声になった。

「湯川 陸。バスケ部のエースでファンクラブがあるくらいの人気の先輩だよ?狙ってる人いっぱいいるのに、誰もオッケーしてもらえないって」

「‥‥いや、、全然知らないし、、なんなら初めましてだったわ、私。」

私も何故か小声になる。

「で、、なんで噂に??」

「バカ、そんな人気者に呼び出されてるってことは、彼は日菜に告るつもりなんじゃないの?ってことだよ!」

莉愛が私の耳元で語尾を強めにそう言った。

「は?まさかっ?!」

思わず声が大きくなる。

「だからさ、、ほら。狙ってた人たちがみんな日菜にさ、、妬み的な、、」

莉愛は幽霊のようなポーズをして顔しかめてみせた。

「ええ、、?そんな、、」

顔を上げずに周りを見渡すと、あちこちでコソコソ言ってる女子たち。
小学校の頃の嫌な記憶が蘇る。

「でもさ、まだ告白と決まったわけじゃ、、」

ますます小さな声になる私を少し睨みながら、莉愛が
「じゃ、逆に他に何があるのよ!」と呆れたような声を出した。

「他に、、例えば、、」

言いかけるとチャイムが鳴り、担任が教室に入ってくる。

「とにかく絶対日菜狙いなんだって!」

莉愛は念を押すようにそういうと自分の席に戻っていった。

告白される?私が?その、、ファンクラブもあるっていう湯川先輩に?まさか、そんなことあるわけないじゃん。だってそもそも接点がないのに。

私の頭の中ではどうしても、今朝の彼が告白をしてくるとは思えなかった。だけど、私以外のみんなはどうやらそう思っているらしい。
じゃあ、もしも。
もしも彼が本当に告白してきたら?
私はどうすれば正解なの?

授業が始まっても、私の頭の中はそのことが占領して集中できなかった。

ファンクラブがあるような人気者がいることすら知らなかった私。
もともと誰かが好きとか、誰かが推しとか、そんな話を避けてきた。いつもいつも、本音を隠して毎日平穏に過ごすことだけを優先してきたから、誰かを好きになるなんて事まで気持ちの余裕がなかったのだ。
そもそも、顔も名前も知らなかった人が、私に告白なんてすることある?
やっぱりどう考えてもおかしい。

「だからー、告白以外に何があるの?って!」

昼休み。
お弁当を広げながら、莉愛が私を軽く睨む。

「分かんないけど、、」

「悪いけど、私も他に考えられないけどなあ」

相変わらずサラサラの髪を、お弁当の時間だけ唯一束ねてる舞が、卵焼きをつまんだままでそう言う。

「ね、それでもし告白されたら日菜はどうすんの?」

莉愛はハムサンドを少しずつ食べながら目をキラキラさせている。

「どうすんのって、そりゃ、、」

「もちろん、オッケーでしょ!」

私が答える前に莉愛が当然でしょっていう顔をして「ねえ?!」と舞にも同意を求めた。

「まあね、あれだけの人気者、断る理由もないっていうか、、」

舞も同じく、オッケーする感じの意見のようだった。

私は内心、もしも言われたら断るつもりでいた。
だけど、2人にこう言われると、断るとは言いづらい空気になってしまった。

「あー、いいなー、、あんなカッコいい人が彼氏とかマジでうらやましすぎー。あっ、いや、蒼耶(そうや)ももちろんかっこいいと思ってるよ?!」

莉愛はうっとりした表情で何かを見上げて、ため息をつく。ちなみに蒼耶というのは莉愛と昨年から付き合っている同い年の彼氏だ。
蒼耶はどちらかというと、可愛い系男子で少し小柄でいつも穏やかにニコニコしているようなタイプだ。だから、私から見ても2人はとてもお似合いだと思う。

「そうよ、蒼耶が聞いたら悲しむよ」

舞が嗜めるように莉愛をの肩を叩く。

「まあでも確かに長身で顔も良くて、スポーツもできて。湯川先輩が彼氏だったらめちゃくちゃ自慢だよねー。なんで私じゃないんだろー」

舞も冗談だか本気だかわからない調子でそんなことを言う。

「そういえばさ。」

急に莉愛が声を顰めた。

早紀(さき)も、湯川先輩狙いで中2の頃からずっと片思いしてるらしいよ。だから、日菜が声かけられたって聞いて、めちゃくちゃイラついてたもん朝」

莉愛は小声でそう言いながら、ちらりと教室の真ん中辺りでいつものメンバーとお弁当を食べている森川(もりかわ)早紀の方に視線を送った。

「え、、」

私も思わずそっと早紀の方を見る。

早紀は、クラスの中心的存在でプライドも高く気が強い。機嫌がいい時は誰とでもニコニコ話しているが、少しでも気に入らないことがあると、あからさまに態度に出る。だから、周りが気を遣って機嫌を損なわないようにしてるのも事実で、正直私たち3人も早紀の事は苦手だと思っているのだ。

「じゃっ、、じゃあオッケーなんかしたらやばいじゃん!」

ますます小声になって私は2人にそう言いながら、体を小さくして身を隠した。

「いいんじゃない?なんでも自分の思い通りにならないってこと、早紀に分からせるいいチャンスかも」


舞は無責任にそう言い、莉愛もうんうんと頷いている。

「そ、そんなことしたら早紀の機嫌がどうなるか?!」

想像するだけで恐ろしい。

「でもさ?断ったら早紀が無理な人を振ったってことになってもっと早紀のプライドズタズタじゃない?」

さらに恐ろしいことを言って莉愛と舞は頷きあっている。

「ええ、、じゃあ一体どうすれば、、?」

私は完全に食欲を失ってしまい、弁当の蓋を閉じた。

もうこうなったら、今日の呼び出しが告白じゃないことを願うしかない。
美術部にバスケ部部員募集のポスター書いて、とかさ?
あるんじゃない?そういう可能性も、、。

どうか告白じゃありませんように。

湯川先輩のファンが聞いたら顔面殴られそうな願いを胸に私は放課後を迎えたのだった。


靴箱で待ってるという、これまた人目につきそうな場所を指定されたがために、私はコソコソとしなければならなかった。
チャイムが鳴ると同時に、早紀は私の方をじっと睨んでいたし、他の女子もみんななんだか自分を見ている気がした。
別に悪いことをしているわけでもないのに、私は小走りでできるだけ顔を上げず、教室を出て靴箱へ向かう。

放課後に靴箱でと言われたって、6学年いるうちの学校の靴箱のあるスペースは結構広い。
私は、 とりあえず自分の靴を履き替えてその辺りを見渡してみるけれど、今朝出会った湯川先輩らしき人はいない。あれだけ長身だから見つからないわけがないから、どうやらまだ来てないようだ。

その時。
無言で早紀と数人の女子が私の横を通り過ぎた。
一瞬ちらりと、振り返った早紀が「バイバイ」と言いながら私に手を振る。その顔は全く笑っていなくて、私の背中にゾクっとした感覚が走る。

「バイバイ、、」

聞こえたか聞こえないか分からないレベルの小さな声でしか私は返事が出来なかった。心臓がドクドクドクと自分でも分かるくらい早く音を立てていた。だから

「今日は雨降りそうだからどうする?」

突然後ろから瑛人に声をかけられた時には、本気で腰が抜けそうになった。

「き、今日は、ちょっと私用事ができちゃって、、」

しどろもどろになりながら、そう言うと瑛人はあっさりと「そっか」と頷いた。

「じゃ、オレ一人で行ってみる」

瑛人は一瞬私の目の奥を見るような表情をすると、大股で校門の方へ向かっていった。

今の顔、、なんだろ、、?
私、変な顔してたのかな。。

それからも、かなり長い時間、その場で待っていたけれど湯川先輩は姿を現さない。
だんだんと生徒も減り、急に不安になる。

もしかして、からかわれた?
湯川先輩が私に告白するだなんて、周りに言われてそれを信じてしまったけど、これってからかわれただけなんじゃ、、。
そう考えると、その方が辻褄が合う気がしてきた。

私はもう一度、靴箱周りをぐるりと見渡して、歩き出した。

きっと湯川先輩は来ない、私はからかわれただけだ。

そう考えてどんどん歩き出す。
そして、急に耳がカッと熱くなるのを感じた。
なんだかめちゃくちゃ恥ずかしくてたまらなくなった。
信じて長い時間健気に待ってるとか、ヤバい、私。
かっこ悪すぎる。

下を向いて、手をギュッと握りしめて、下唇を噛み締める。小学生の頃もこんな風にして帰ったことがよくあったな、なんて思い出す。

途中でポツポツと雨が降ってきたけれど、傘もささずに
家を目指す。

そのまま、どこにも寄らずまっすぐ家に帰って、自分の部屋でまたあのノートを開いた。

✳︎何なの?自分が来いって言って来ないとか。私をからかったって事?ふざけるな。
みんなも、私に告るとかオッケーしろとか、テキトーなことばっかり言って、私の気持ちなんか誰も考えてない!マジで最悪!!

書き殴ってノートを乱暴に閉じた。
こんな風にずっと前から口にできない思いや、怒り、悲しみをここに書き殴ってきた。
書くことで、自分のモヤモヤを吐き出してきたつもりだった。

その時。

ピロリン♪
携帯の着信音。
莉愛と舞とのグループトークルームへのメッセージ。
莉愛からだ。

莉愛『どうだった?』

どうだったも何も、、

日菜『来なかったよ、多分からかわれた』

莉愛『は?何それ!?』

日菜『まあ、そんな気がしたよー』

莉愛『日菜、大丈夫?』

日菜『全然大丈夫。てか逆に来なくてヨカッタ』

本当は目いっぱい傷ついたし、悔しい思いもしたけれど。

莉愛『マジか。来ないとか信じられない、ムカつく、舞もそれ聞いたらブチギレだよ、きっと。』

日菜『かな』

莉愛『てか、こんな時に舞はどうしたんだよー』

グループトークではあるけれど、舞からの返信はなかった。

日菜『舞、生徒会じゃない?今日』

莉愛『そんなこと言ってたかもー!』

舞は生徒がもっと自由にできるように学校を変えたいと言って高1になってすぐ生徒会に立候補した。
その生徒会で月1で集まる会議が今日の放課後にあると言っていた気がする。
舞も私がからかわれたと知ったら怒ってくれるのかな、
そんなことを考えていたら時だった。

ピロリン♪

舞からのメッセージが、入った。
だけど、それは私や莉愛が想像していたものとは全然違っていた。

舞『日菜、なんで帰ったの?大変なことになってるよ』

日菜『大変な事って?』

舞『湯川先輩、日菜に約束すっぽかされたって。周りにかなり愚痴ってて』

え?

え?

どういう事?
来なかったのは向こうじゃん。

日菜『私、ちゃんと行ったけど、来なかったよ』

莉愛『そうだよ、日菜はちゃんと行ったよね』

舞『日菜、すぐ帰っちゃったんでしょ?湯川先輩、バスケ部だからさ、放課後って部活終わりに靴箱行ったみたいでさ。私、生徒会終わりに湯川先輩に呼び止められてさ』

部活?!

舞の話によると、湯川先輩はバスケ部の練習が終わり、その後着替えて靴箱に来たらしい。
私がいないから、私も美術部が長引いているのかとしばらく待ち、いつまで経っても来ない私にすっぽかされたと、私に振られたと、周りに言っていたらしい。
かなり、ショックを受けた様子で周りに話していたのだと。

舞『そして、タイミング悪いことにそれを早紀が聞いててさ』

日菜『は?早紀は私より先に帰ったはずじゃ、、?』

莉愛『ヤバっ、それはヤバい』

舞『早紀、バスケ部を見学に行ってたらしいよ。まあ、日菜に告るのを監視しにいったのかもだけど』

ちょっと待って。
ちょっと待ってよ。
いろんな事がおかしい方向になってるって!!
めちゃくちゃやばい方向になってるって?!
私がすっぽかした?振った?私が悪者になってるじゃん!
しかもそれが早紀の耳に入った?

もう最悪すぎる展開になってるじゃん、、、。

私は、再び眠れぬ夜を過ごすことになったのだった。