数日後、再び俺はサ店を訪れた。今度はただのサボりだ。毎日書類と格闘したり、少数だがいまだにいる団地再生反対の住民から文句を言われたり、予算使いすぎと財政課から睨まれたりして、すっかり気分がクサクサしていた。ったく、こんなことやるために出向したんじゃないんだ俺は。

 ボールペンをカチャカチャと力任せにノックしながら思い出したのが、この店のことだった。一度様子を見に行って野次馬気分は収まったはずなのに、またなぜか行きたい気持ちが湧き上がる。あと、あのコーヒーの味わい。俺は外出と書かれたマグネットをホワイトボードにぺたりと貼り付けた。

 先日の賑わいから打って変わって、コーヒー一杯で暇つぶしをしている客が一人だけの、のんびりした空気が流れる店内。須崎さんは熱心にサイフォンの手入れをしていた。俺の鳴らすドアベルの音で顔を上げると、「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」とお決まりのフレーズを口にした。この分だと俺のことなんて覚えていないな。

「自分、柘植の木団地再生課の大川と言います」
 自ら名乗り出たところで、須崎さんはようやく驚いたような表情を見せた。
「ああ失礼しました。たしか面談の時にお世話になりましたね。今日もブレンドにされますか」

 へぇびっくりだ。覚えてたんだ。俺は心の中で小さく唸った。不愛想、言葉足らずという印象しかなかったから、なんだか意外だ。

「あ、いえ。今日はマスターのおすすめを」
「僕の、ですか。特にはないですが、今日のスペシャルコーヒーは、インドネシアのマンデリンです」
「じゃあそれを」
「かしこまりました」

 なるほど、自分の好みを押し付けないあたりも年配者には好感度が高いかもしれない。須崎さんは手際良く準備を始めた。
 二台あるヒーターのうち、一台にフラスコをセットする。中のお湯がボコボコと沸騰してきたようだ。別の容器にコーヒーの粉を入れ、それをフラスコに差し込んだ。なるほど、ここに沸騰したお湯が上昇してくるわけだ。なんだか理科の実験みたいで楽しい。須崎さんは竹ベラでお湯と混ざり始めたコーヒーの粉をゆっくりとかき混ぜる。流れるような動作は見ていて飽きない。
 調理台のどこかから砂時計が現れ、カウンターの上にポンと置かれた。すべての砂が落ちると、須崎さんはもう一度お湯に浸ったコーヒーを丁寧な手つきで混ぜた。俺にその意味はさっぱり分からないが、きっと仕上げの何かなんだろう。
 いつの間にか俺は須崎さんの手元を凝視していた。

「コーヒーがお好きですか」
「あ、え、いやすみません。なんだか面白くて」