前島さんの表情が暗くなった。そう言えば前にも松木さんの物忘れの酷さを気にしていた。つまり、もしかしたら認知症の症状が出始めているのかもしれないという危惧だ。

「もっと気にしてあげたいんだけど、私もちょっとバタバタしててね……。包括支援サービスの方も聞いたっきりになってるみたいだし……。あ、そろそろ帰らなきゃ旦那にまた怒られる……っと、はは、余計なこと言っちゃった。じゃあね」
 マスター、お代ここに置いておくわね、と前島さんはカウンターに小銭を置いて、スーパーの買い物袋を二つ、重たそうに持って帰って行った。
 
 サ店は、昼の時刻を過ぎてアイドルタイムにようやく入ろうとしていた。この時間が須崎さんのお昼休みでもある。
「あ、じゃあすいません俺も帰ります」
「大川君、一緒にお昼どうですか? 仕事終わったところでしょう?」
「よく分かりましたね。いいんですか?」
「お使いを頼まれてくれればの話ですけど、隣のお弁当屋さんで」
「行きます行きます、お金も払いますし」
「ははは、弁当くらいご馳走しますよ。じゃあお願いします」
 やっぱり須崎さんは人のことをよく見ている。俺が昼飯まだだってのも、例のじっちゃんかじっちゃんの孫かトリプルフェイス的推理力で見抜いたのだろう。
 
 俺は隣の弁当屋でかろうじて残っていた焼き肉弁当と魚のあんかけ弁当を買って、いそいそとサ店へ戻った。
「マスターは魚かなーと思って」
「正解。再生君の推理力が冴えてますね」
「マスターほどじゃないです」
 そんな軽口を叩き合いながら、カウンターで横並びになって弁当を食う。思えば須崎さんとこうやって横並びに座るなんて、なかったかもしれない。
 いつもカウンター越しだとか向かいの席だとか……だった気がするな。
 そんなことを何気なく思いながら、ちらりと横を見た。須崎さんは弁当を美味しそうに食べている。
 
「だれかに作ってもらった料理は、美味しいですね」
「そうですね」
 前に須崎さんの過去を聞いたことがある。お母さんに作ってあげた味噌汁を喜んでもらえたという経験。料理を作る人になりたいと思ったきっかけだそうだ。
 今は一人でまかなえるだけの簡単なメニューだけど、コーヒーだけじゃなくてトーストやサンドイッチひとつとっても、手が込んでいるのがよく分かる。だれかに喜んでもらうのが好きなんだよな、須崎さんは。

 弁当を綺麗に平らげて、食後にどうですかといつものコーヒーを淹れてもらっている時、外がめずらしく騒がしいことにふと気がついた。
 高齢者の多い団地では、大声が聞こえることはあまりない。