「僕も同じです。この店を始めてから、改めて学ぶことばかりです」

「森本さん森本さん、柘植の木音頭が始まりますので、櫓までお願いします」
「はーい今行きまーす」
 運営本部からの呼び出しに、着替えに行っていた森本さんが小走りに走ってきた。柘植の木団地の住民が昔からお揃いで作っている浴衣だそうだ。俺はファイト、という意味を込めて両手でガッツポーズを作った。
「頑張ってくださーい」
「森本、行ってまいります」
 銀縁眼鏡をきらりと光らせて敬礼ポーズを取ると、森本さんは盆踊りの輪の中へと入って行った。

 高齢者が多いからという理由で、櫓は低く組まれている。一段高いところへ上った森本さんが位置についたところで柘植の木音頭がスピーカーから流れ、みんな楽しそうに踊り始めた。

「へぇ、柘植の木音頭ってこういうやつなんですね」
「地域によって盆踊りって違いますよね。僕の地元にもあります」
「私は小さい頃、柘植の木音頭を踊った記憶がありますよ」
「へぇ」
 曲が始まると、お客さんの入りは落ち着いた。須崎さん、大迫さんと言葉を交わしながら、しばらく盆踊りの様子を眺める。森本さんの踊りはキレがあってひときわ目立つ。

「この団地は良い団地ですね。ここにもう一度住めて良かったと思っています」
 大迫さんが俺に言った。
「もし、もしですけど、大迫さんがこの団地の活性化に一役買ってくれたらいいなぁって思うんですけど。試食会の時に森本さんが言ったこと、覚えてます? 大迫さんのクレープが食べたいって」
「ええ。覚えてますけど、冗談だと思っていました。私がやれることなんて微々たるもので」
「マスターのサ店の隣が豆腐屋さんなんですけど、来年引き上げちゃうんですよ。で、前にマスターにも応募してもらった「柘植の木団地チャレンジプロジェクト」第二弾やるんです。空き店舗や空き部屋を使って何か新しいことに挑戦してもらうっていうやつなんですけど。大迫さん、参加してみませんか?」
 大迫さんはきょとんとしている。その肩をぽんと叩いて、須崎さんは言った。
「ぜひチャレンジしてみましょうよ、大迫君」
 須崎さんのコーヒーに、大迫さんのスイーツ。こんな店舗が並んでいたら、絶対楽しい団地になる。俺はそう確信した。
「そうですよ。今回の一件は、きっとそのためのフラグです。完治したらぜひ応募してみてほしいです。俺も食生活、気をつけますんで」
「どうして大川君が?」
「いやぁ、毎日コンビニで買っている食材を見直したら、俺も反省すべき点が多々ありまして……」
「なるほど」

 須崎さんが察してくれたみたいで、にこにこと笑う。
「若いうちに食生活に気をつけるのは良いことですしね」
「はい」
 今まで先のことなんてあまり考えないで生きてきたけど、健康って大事なんだなと俺が学んだことは、須崎さんにも伝わっているに違いない。

「柘植の木音頭、一回目終わりましたね」
「お客さんがまた屋台の方に来るかもしれません。俺、他のところも巡回してきますね」
「ご苦労さまです」
 俺が櫓の様子を確認していると、須崎さんのいる屋台から大きな呼び込みの声が聞こえてきた。
「こちらでは、冷たいアイスコーヒーと美味しいクレープを売っていまーーーす!」