「そんなことはないですが。でも今回は、大川君、森本さんがいてくれて本当に助かりました。特に大川君の後押しがなかったら、大迫君とこんな風にまた喋れなかったです。ありがとうございました」
「いやいや俺は何もしていませんよ」
「僕の過去を再生してくれたじゃないですか」
「何もしてませんて」
さて、みんなに心配も掛けたようだし午後のOPENにしましょうか。そう言って須崎さんはドアのプレートをひっくり返しに外へ出た。
 俺は一足先に冷房のゆるく効いているサ店でイヌツゲを見ながらマンデリンを飲んでいる。これから実行委員との打ち合わせだ。団地祭りは来週に迫っている。

「いらっしゃーい。よく味の沁みた玉こんにゃくありますよぉ」
「冷やしキュウリいかがですかー」
「焼きそばあるよぉっ」
「冷えたビール、ラムネはこちらでーす」
「……アイスコーヒーもあります」
「マスター、声小さいですよ」
「大川君、やっぱり呼び込みは必要ですか」
「お祭りなんで、頑張って下さい」
 大人数の前で大声を出すなんて須崎さんには荷が重いだろうが、今日は頑張ってもらわないと。
店で大量に作ってきてくれたアイスコーヒーをプラスチックコップに注いで、お客さんに手渡す。代金やお釣りの受け渡しもしなくちゃいけないので、須崎さんがあわあわしている。面白い。
 須崎さんの横では、甘い良い香りがしている。ホットプレートを使って焼いているのはバナナクレープだ。作っているのはなんと大迫さんである。
 そう、病院の先生の見立て通り、退院する頃にはほとんど右手の感覚も戻った大迫さんは、団地祭りに自分も参加すると言ってくれたのだ。
 ビストロ時代はパティシエも務めていたという大迫さんのクレープは芸術的に薄くて柔らかく、ふんわりとしていて美味しい。

「ええっ、どうしてヴァバール時代にこのクレープを出して下さらなかったんですかっ!!」
 森本さんが屋台の試食会で声を荒げたのも分かる。これは店で食べるレベルだ、マジで。
「あの、たまにでいいですから、サ店でクレープ出していただけないでしょうかっ」
「もちろん良いですよ」
 森本さんの前のめりな姿勢に、大迫さんはにっこりと笑った。大迫さんが笑うのを見るのは、それが初めてだった。

 巡回がてら立ち寄った須崎さんたちの屋台は大人気で、まぁたしかにこれなら呼び込みしないでもお客さんが来てくれるのは当然だ。

「あの頃は、もっと凝ったやつ凝ったやつ……ってこだわりが強かったんですよね。だけど、サ店で須崎君のサントスを飲んで反省しました。私は基本を忘れていたんだと」