「マスターは、どうして福留さんにしがらみがあると分かったんですか?」

 さっき福留さんに対して、「ああすればこうすればといろいろ考えてしまう」と言っていた。もしかしたら須崎さん自身がそうやって生きてきたから、福留さんの葛藤を感じ取ったんじゃないだろうか。

 須崎さんは、ん? というように顔を上げ、そのまま視線をしばらく宙に泳がせてから、意を決したように口を開いた。

「前に福留さんがいらした時、近々バラコの新豆が入荷します。もしお時間あればお喋りでも……と言ったんです。その時は結局何もお話することもなくコーヒーだけ飲まれて帰られたんですが、何か胸のつかえのようなものがあるのでは、でもそれを口に出せないのではと思ったんです。僕もそうでしたから」

 やはり須崎さんにもしがらみがあった。──そして、それはたぶん。

「僕が以前シェフをしていたのはご存じでしたね、そう言えば」

 須崎さんはそこで口を噤むと、ドアに掛けてあるプレートをCLOSEへと返しに行ってから、再びカウンターへと戻ってきた。続きを話そうかどうか迷っている風にも見えた。

「はい。俺、外食産業には疎くて、同じ部署の者から聞いただけなんですけど」
「ああ、あの眼鏡の女性かな。面談のあと、ずいぶんと話題に出して下さって、ちょっと恥ずかしかったですけれど」

 森本さん、抜かりないな。須崎さんのいたレストラン(名前はなんだったか)を推してるって言ってたもんな。
 チェックの厳しい森本さんのお眼鏡にもかなう須崎さんの腕前。さすがにサ店での様子だけでは窺い知ることは出来ない。一体どんなシェフだったんだろう。

「あの方は昔の僕をご存じだったので、気恥ずかしくて言えなかったのですが、大川さん、聞いてもらえますか?」
 上手く話出来るか分かりませんが。そう前置きする須崎さんに、俺はもちろんですと頷いた。

 須崎さんは昔の話をし始めた。
 
「僕の家は母子家庭なんですが……子どもの頃、夜勤を終えて帰宅した母が、僕の作った味噌汁の香りに嬉しそうな笑顔を見せてくれて……。その記憶がずっと残っていた。僕は料理を作る人になりたいと思うようになっていました。
 それと同時に、僕は昔から人の気持ちにとても敏感な人間でした。僕の言動はおかしくはないか。だれかを傷つけたりはしていないか。周りと違ってはいないか──そんな風に絶えず周囲を気にしながら生きてきました。人が傷つくのを見るのにも敏感だった。だれかが怒られていると自分も怒られているような気持ちになったものです。