朝日が街を照らし、そこに暮らす人たちが疎らに出歩き始める頃、後からレッカー車に乗ってやって来たパパの同僚が、パパと同じランディのピックアップトラックを工場へと運ぶ段取りをしている。
「なんか混みいってたみたいだな。邪魔しちまって悪かったよ」
「いえ、それより本当にごめんなさい。わたしのせいで車どころか、旅の予定まで台無しにしてしまって」
 知らせを受けてお店を出た道路の脇で、レッカーに牽引されるランディのトラックを眺めながらわたしが謝ると、彼女は相変わらず笑顔のままで事もなげに答えた。
「予定?」
「あの、えっと、グランド・ブラフを撮りにきたんでしょ?」
 脇に置かれた黒い大きな荷物を指差すと、彼女は照れたような笑顔を浮かべ、煙草の煙をドーナツ型に気持ちよく吹き出すと言った。
「ああ、良いんだよ。それに収穫もあったしね」
「……収穫?」
 ランディはそれには答えず、吸いかけの煙草を挟んだ細い指で、こめかみ辺りをトントンとやりながら言った。
「しかし、あんたの親父さんはなかなかセンスあるね。まさかこの世に、あそこまであのオンボロと瓜二つなヤツが存在するとは思わなかったよ」
 レッカーされていくピックアップトラックは、パパの物なのかランディの物なのか、どちらか区別がつかないほどだ。色褪せたモスグリーンのボディが、雨上がりの芝生の合間に赤茶けた土が覗くように斑に見えるのまでそっくりだった。
「ほんとにそっくりね。まるで双子だわ」
 ランディは煙草の火をブーツの底で消しながら言う。
「アイツはアタシが十七歳で家を出たときに頑張って金を貯めて買ったものなのさ。まだまだ動いてもらわないと……、じゃなけりゃホームレスになっちまう」
 さして歳は違わないように見えるのに、こうして一人で大きな荷物を持って家を出ているというのを聞いて、何か事情があるんだろうと思った。
「どこに行くにもアイツに頼ってるからな。絶対直してやんないと。しかしアタシの扱い方もまだまだだね、いくらあんたが飛び出してきたからって、あの程度で止まっちまったんだ。酷使しすぎたのかもしれないな」
 ランディは相棒を労わるような視線でトラックを愛しげに見つめるとそう言った。
「ま、しばらく休暇だな」
「きっと、パパがしっかり見てくれるわ」
「そうだね、頼むよ。……ところで今度、アタシに連絡をくれよ。あんたのガイドでグランダッド・ブラフを撮りたくなったんだ」
「でもわたし、いつ退院できるのかわからないわ」
 申し訳なさそうに話すと、ランディは大きく肯いて笑いながらわたしの肩を力強く叩いた。
「もちろん! それまで待つよ。その価値があるって、アタシが決めたんだから」
「おーい兄ちゃん! 行こうか!」
 彼女のトラックを運ぶ段取りを済ませたパパの同僚が、遠くからこちらに向かって叫ぶと、彼女は煙草の吸い殻を地面に叩きつけて叫び返した。
「アタシは姉ちゃんだ! バカ野郎!」
 鼻で笑いながら、ランディは苦い顔をして視線を向ける。
「言いたかないけど、アタシを男だと見間違える間抜けに、車の修理なんてできるのかね?」
「大丈夫よ、後からパパも行くわ」
 わたしも彼女に調子を合わせて、苦い顔で笑い返した。
 トラックを吊り上げたレッカー車の助手席に乗り込んだランディが、窓を開けてわたしとパパに向かって手を振る。
「あんたたちならきっと『良い生き方』ってのができると思うよ!

 笑顔で話す彼女の顔に、新しい一日が始まったような朝日が照らすと、彼女のパーマのかかった飴色の髪がキラキラと輝いて見えた。

     †

 騒音で騒がしくなる前のダウンタウンの中へ、ランディを乗せたレッカー車が消えていくのを見送る。
「エレノア……悪いけど、そろそろ病院に戻らないと……」
 腕時計の時間を気にして申し訳なさそうにつぶやくアガサに、もう少しだけ待つようにお願いすると、病院から持ってきたママの形見のギターを抱えてパパの元へと歩み寄った。
 パパがそんなわたしを、不安そうな目で見つめている。
「パパ。このギターは、やっぱりわたしが退院するまでパパに持っててもらいたいの」
 差し出したギターを受け取ったパパは、ママを見るような目で愛しく見つめた。まるで恋人に向けるような優しい眼差しでギターを眺めている。
 そしてわたしにギターを突き返すと、パパは言った。
「俺に必要なのは、このギターなんかじゃなく、元気になったお前だよ。だから、このギターはお前が持ってるべきだ」
 わたしは瞼を閉じてゆっくり肯くと、涙が零れないように空を見上げてパパに言った。「ありがとう」って。
 人生という長い道筋の中で、人は皆、時に大きな壁にぶつかったり、とんでもない障害に随分と遠回りさせられたりするものだ。
 その過程で自分を大きく捩じ曲げたり、何かに染まったり、ごまかしたりして、なんとか足を前に出そうと必死でもがく。でも必ずしも前向きに、足を出し続けることができるとは限らない。
 孤独を感じたとき、人は驚くほど弱く、そして脆くなる。
 チャーリーを追い詰めて、数ある選択肢の中から「死」というものを選ばせてしまったのは、紛れもなくわたしのせい。その事実からは一生逃れることはできないし、今後もこの苦しみはずっと続いていくだろう。
 人は孤独に苦しむと、その状況を一瞬で消してしまいたくなる。浮かべたシャボン玉が境界線上で弾けて消えるように。
 チャーリーにできて、わたしにできなかったこと。――それは決して命を絶つという行為などではなく、自分に向けられた愛を感じ取ることができたかどうかだと思う。

 この世界は色々な愛で溢れている。
 目には見えにくいものだとしても、それは確かに溢れている。

 例えばそれは思い出の中だったり、友人だったり、家族だったり、恋人だったり……。病院の先生だったり、いつも通ってるカフェのスタッフだったり、職場の同僚だったり、何気なく挨拶を交わした名前も知らない人だったり……。
 そんな人たちの愛を感じたとき、辛さや苦しさは変わらなくても、もう少しだけ頑張ってみようって気持ちになれる気がする。そんなとき、自分にはもうこの道しかないって思い込んでたその場所に、まったく新しい道が開けていたりするんだ。
 わたしが自分自身を許すことは、きっとこの先ないのだろう。それでも、チャーリーはわたしを許してくれている。
 そう言い切れる自信は、わたしたちが常にお互いを、自分のことのように愛した双子だから。

 わたしたちはオレンジの片割れ。双子にかけられた、愛に溢れたママの魔法をわたしたちは知ってるから。

 ――Hi, D! Charley. Hi,D! Eleanor.

 エレノアとチャーリーは、お互いに半歩歩み寄ってハイディーになる。
 そしてわたしは、また一歩、足を前へと踏み出すの。