咄嗟のことで声を抑えることができなかった。
 いや、声よりも水をぶっかけるなんて、今時ドラマでも見ないことをやってしまったのがヤバい。
 
 記者はもちろん、圭吾、盛良くん、麗香さんがポカンとした表情で私を見ている。
 そして、周りのお客さんたちも私の方に集中していた。
 
 その中で望亜くんだけが、眉一つ動かさずに無表情をしている。
 というか、ボーっとしていたのだった。
 
 ……やってしまった。
 これ、もう完璧に終わりだ。
 
 マネージャー初日にして、クビが確定したでしょ、これ。
 
 
 
「赤井、よくやった!」
 
 ゲラゲラと笑いながら、ポンポンと私の頭を叩いてくる盛良くん。
 
 あの後、記者は何個か無難な質問をした後、そそくさと喫茶店を出て行った。
 そして私たちもその場に居辛くなり喫茶店を出て、今はファミレスに来ているのである。
 
 まだ夕方ということもあり、お店の中にはお客さんはまばらといった状況だった。

「笑い事じゃないわよ」
 
 大きくため息をついて頭を抱える麗香さん。

「……本当にすみませんでした」
「麗香さん、まさか赤井さんをクビにするとか言わないよね?」
「……相手の出方次第かしら」
 
 圭吾が私を庇うように言ってくれたが、麗香さんは目を伏せたままで私の方を見てはくれない。
 怒っているというよりは、本当に困ったというような感じだ。
 
「はあ? 喧嘩売ってきたの、あっちだろ」
「記事を書くのはあっちよ。なんて書かれるかわかったもんじゃないわ」
「そんなにヤバそうなの?」
「発行部数が多いわけじゃないし、大手の出版社ってわけじゃないんだけど、アイドル業界についてはなんか変に人気があるところなのよね」
「あ、思い出した! フリプリ潰したとこか!」
「……」
 
 盛良くんが言った言葉に、無言で頷く麗香さん。
 
 フリプリというのはフリープリンセスという地下アイドルグループだった。
 人気が出始めて、メジャーデビューするってときに、雑誌でメンバー内の不仲や裏の顔、恋愛関係のスキャンダルなど、あることないことを書かれてしまう。
 もちろん、メジャーデビューは流れて、当初メンバーは8人だったが随分と減って、今は確か2人組になってしまったはずだ。
 
「逆に言うと、あそこで良い記事書いてもらえると、一気に人気が加速する可能性があったのよ」
「……」
 
 何も言えない。
 そんな大きなチャンスを私が潰してしまったんだ。
 
 なんだろ。
 圭吾の件で炎上一歩手前までやらかして、今度はケモメン自体の解散の危機を招いている。
 
 私のせいで……。
 
 気づくと私の目から涙が溢れていた。
 ポトポトと膝に涙が落ちていく。
 
 私なんか、マネージャーなる資格無かったんだ。
 ううん。
 そもそも、圭吾の妹にならなかったら、こんなことにはならなかった。
 
 ただのファンだったら、こんなことにはならなかったのに。
 
 すると、圭吾がそっと私の涙をハンカチで拭いてくれた。

「はい。これ、使って」

 こんなときでも、圭吾は本当に優しい。
 
 でも、その優しさが今は凄く胸に刺さって痛い。

「うわ、お前、ハンカチなんて持ち歩いてんの? マメだな」
 
 ……盛良くんはホント空気が読めないな。
 でも、ちょっと、その間が抜けた言葉のおかげで少しだけ心が軽くなった気がする。

「でも、麗香さん。相手は最初から悪い記事を書くつもりだったんじゃないの?」
「……ええ。そうね。持ち上げるよりは潰す方が話題になるくらいの人気だし」
「赤井さんがああ言わなくても、結局は変な記事を書かれたと思うけど」
「けど、まあ、マネージャーに水をぶっかけられたとなれば、インパクトはすげえよな」
「……」
 
 一瞬でその場が固まる。
 
 盛良くん。
 あなたはどっちの味方なの?

「とにかく、記事が出るまではどうしようもないわ」
「今から謝りに行くのは?」
「多分、逆効果ね」
「……ホン……トウに……ごめん……なさい」
 
 声がつっかえて、ちゃんとしゃべられない。
 何度謝っても、足りないくらいなのに。

「……ごめんね、赤井ちゃん。ことと次第によっては責任取って辞めてもらうかも」
「……は、い」
 
 コクリと頷く。
 辞めて責任が取れるならいくらでも辞める。
 でも、私が辞めたところで、きっとなんの役も立てない。
 ケモメンが叩かれることには変わりがないはずだ。
 
 そこで突然、ズビビビビという大きな音が店中に響き渡った。
 
 それは望亜くんがコップにわずかに残ったオレンジジュースをストローで吸った音だった。
 
 そういえば、もちろんこの場に望亜くんはいるのだ。
 全く話に入って来てなかったのだけれど。
 
 そして、店に入って初めて望亜くんが口を開いた。

「多分、大丈夫」
「え? どういうことなの、望亜?」
 
 だけど、望亜くんは麗香さんの質問に答えず、再びズビビビビという音を立ててジュースの残りを吸ったのだった。
 
 
 
「タレントが家に送り届けるまでがマネージャーの仕事だ」
 
 ファミレスを出て、その場で解散ということになったとき、盛良くんが私の腕をつかんだ。
 
「え? ……でも、私、もうマネージャーじゃ……」
「バーカ。まだクビになってねーだろが」
「……でも」
「盛良は、朝、迎えに来てもらってるでしょ。今度は俺が赤井さんに送ってもらうから」
「ダメだ」
「なんでだよ!」
「お前、赤井を家に連れ込んで、慰める気だろ?」
「そうだよ、悪い?」
「お前なぁ。こんなときに、赤井が孕んでもみろ。完全にケモメンは終わりだっつーの」
「なっ! べ、別に俺は赤井さんに手を出すつもりは……」
 
 顔を真っ赤にして、妙に焦る圭吾。
 そこで麗香さんが私の肩をポンと叩いた。

「赤井ちゃん、盛良、お願いできる?」
「は、はい……」
 
 断れるわけがない。
 本当はすぐに一人になりたかったけど。

「うー。盛良ばっかりズルいぞ」
「おら、赤井、行くぞ」
「ま、待ってください」
 
 盛良くんが歩き出し、慌てて私は後を追った。
 
 そして、このときあることに気づいた。
 
 いつの間にか望亜くんがいなくなっていたことに。
 麗香さんの話では、いつもそうらしい。
 
 アイドルとは思えない、影の薄さだった。