息を切らせながら、盛良くんと一緒にスタジオに飛び込む。
 
 9時55分。
 ギリギリセーフ。
 
 あの後、時計を見ると9時が過ぎていたので慌てて盛良くんを着替えさせて家を出た。
 電車に乗っている間は何度もスマホの時間と睨めっこしてた。
 
 こんなに焦ったのは本当に久しぶりだ。
ケモメンのライブに遅刻しそうになった以来。
 ……あれ? 結構、最近だ。

「30分前にはついてるものよ」
 
 息を切らせて、膝に手をついて前かがみになっている私の頭をポコッと軽く叩いたのは麗香さんだった。
 
「……5分前行動って習いましたけど?」
「それは学校内のルール」
「すみませんでした……」
「でも、ま、遅刻させなかったのはお手柄ね」
 
 そう言って、ウィンクして笑ってくれる麗香さん。
 
 ああ……なんて素敵な笑顔なんだろう。
 私が男じゃなくても惚れちゃうね。
 
 息を整えて顔を上げると、スタジオの中央に既にジャージに着替えた圭吾と望亜くんがいるのが見えた。
 その2人の前には口ひげを携えた渋い、40歳くらいのおじさんが立っている。
 髪はオールバックで、体格はゴツイ。
 多分、ダンスの振り付けの先生だろう。
 険しい顔をしている。
 
 ……怖い。怒ってるのかな?
 
「先生、すいません。お待たせしました」
 気づくと既にジャージに着替えた盛良くんが圭吾と望亜くんの間に立っていた。
 
 うわ、着替えるの早い。
 ……って、あれ?
 もしかして、そこで着替えてた?
 
 盛良くんの生着替えがほんの近くで行われてたことになる。
 そして、そこから今日の朝の、盛良くんの裸を思い出してしまった。
 
 ジワリとマスクが赤く染まっていく感覚を感じる。
 
 ああー、もうこのマスク使えないな。
 てか、私、血に染まったマスクで電車に乗ってたってこと?
 
 ……言ってよ、盛良くん。

 まあ、言われても外すことはできなかったけど。

「あらん! いいのよー! 今日は遅刻しなかったわね! え、ら、い、わ!」
 
 口髭のおじさんの表情が一気に緩み、体をくねくねし始める。
 
 おおっとー。
 ギャップで攻めてきますか。
 まさか、そんなキャラだとは思いませんでしたよ。
 
 唖然とする私の肩を麗香さんがポンと叩く。
 
「じゃあ、私たちは化粧の練習をするわよ」
「あ、はい」
「……でも、まずは鼻血を止めるところかしら」
「へ?」
 
 見ると私の鼻血がポタポタと床に垂れていたのだった。
 
 
 3時間後。
 みっちりと麗香さんに化粧を教えてもらっていた中、ケモメンのメンバーもしっかりと練習をしていたようだ。
 スタジオ内は熱気に包まれている。

 ちなみに化粧の合格点はまだもらえず、結局、最後は麗香さんに化粧をしてもらった。
 化粧道は長く厳しい。

「盛良だけズルいよ」
 
 スタジオのドアを開けるなり、いきなり圭吾が口を尖らせて私に迫ってきた。
 ジャージの上は脱いでいてタンクトップ姿になっている。
 
 ああ……。
 改めて見ると、圭吾の身体って引き締まってるんだよね。
 細マッチョって感じ。
 
 盛良くんは細身って感じで、筋肉量は圭吾の方が若干上って感じかな。
 
 って、盛良くんの裸を思い出すから、そういうことを考えるのは止めなって!
 
「えっと、ズルいってどういうこと……ですか?」
 
 私は盛良くんと望亜くんはもちろん、圭吾にも敬語で話すようにしている。
 妹とマネージャーとの気持ちを切り替えるためにも、そうしているのだ。
 
 まあ、いきなり圭吾だけタメ口で話していれば、怪しいことこの上ないし。

「家に迎えに行ったこと」
「え?」
「俺のところには来てくれなかったよね?」
「でも、圭吾……くんは遅刻しないし」
「それでも来て欲しかったな。妹にも会わせたかったし」
 
 いや、それは無理だよ。
 マネージャーの赤井と妹の葵は、一生会うことはできない。
 なぜなら、同一人物だから。

「おい、赤井。今度からはもっと早く起こしに来いよ」
 
 タオルで汗を拭きながら、不機嫌そうにこちらに向かってくる盛良くん。

「お前のせいで、ギリギリだったじゃねーか」
「いや、それは盛良くんが朝ごはん作れっていうから……」
「だーかーら! 次からはそれを見越して、早く来いっての!」
「……盛良。まさか、お前、赤井さんの手料理を食べたの?」
 
 目を見開いて盛良くんを見る圭吾。
 
 ……そんなに驚愕することなのだろうか?
 
「大した味じゃなかったぞ。美味かったのはアンコくらいだ」
 
 いや、それ、私作ってません。

「起こしてもらって朝ごはんまで作ってもらうなんて……。それはもうマネージャーの仕事を逸脱してるよ」
 
 やや怒りをにじませている圭吾。
 
 ……やっぱり、そうだよね?
 起こしに行くのはわかるけど、料理まではやっぱり違うと思ってた。
 
「あん? マネージャーなんて家政婦みたいなもんだろ?」
「そんなことはない! せっかく俺たちについてくれたマネージャーだよ? 大切に扱わないやつは俺が許さない!」
 
 そう言って、いきなり私の肩を掴んで引き寄せる。
 
 ええー!
 いきなり!?
 もう、今日は朝から刺激が強すぎる!

「……べ、別に私は気にしてませんから」
 
 なんかこのままじゃ喧嘩になりそうだから、止めに入る。

「だってよ」
 
 ふふんと鼻で笑い、ニヤリと笑う盛良くん。
 この目は「なら、もっと雑用を頼んでも良さそうだな」って考えてそうだった。
 
 ……言わなきゃよかった。
 
「……それなら、赤井さん。俺にも朝、起こしに来て朝ごはん作ってくれるの?」
「……いやあ、どうでしょう」
 
 それなら妹して起こして、妹として一緒に朝ごはんを食べたい。
 わざわざ一回、家から出て化粧して戻ってくるのって、ちょっと面倒くさい。
 やっぱり妹としてお兄ちゃんに甘えるのが、一番幸せなのだ。

「じゃあ、添い寝はどう?」
「……さすがにマネージャーの仕事じゃないと思います」
 
 てか、そんなことしたら、隣に失血死した死体が出来上がると思うけど。
 
 こうして、マネージャーとしての半日が終わった。

 ……というか、まだ半日しか経ってない。
 それなのにこの疲れよう。
 
 私、この先もちゃんとやっていけるのだろうか……。
 心配が募るばかりであった。