夏休みが終わる。
祐介は項垂れて天井を見上げた。
「北橋くん、どうかした?」
「もう夏休みが終わるなと思って」
夏休み前と今では、薫の外見が大きく変わった。
夏休み明けに学校へ行くと、薫は恐らく色んな人間に囲まれるだろう。
「そういえば、お前、女が苦手な割にはちゃんと接客できるんだな」
女性客は当然やってくる。その客に対し、薫は口元を引き攣らせることなく接客している。
「ここでしか会わないし、それに、飲食店と違って美容院は毎日来るようなところじゃないから」
「あー、なるほど」
完全予約制というのもいいのかもしれない。
飛び入りで変な客が来ることはないし、神々しい顔を持つ薫はここで働くのが一番楽だろう。
最近、熱心にカラーチャートを眺めたり、成幸の仕事ぶりを観察したり、美容師に興味があるような行動をしている。
もし美容師になりたいのなら、いつかこの店を継げばいいのではないだろうか。
祐介は美容師になる気はないし、成幸に従業員を増やす気はない。店を継ぐとすれば、どこの馬の骨とも分からない美容師だろう。店を辞めたい成幸と、開業したい馬の骨。互いの利が一致したとき、店は明け渡されるだろう。
それよりは、薫に継いでもらった方がいい。
楽観的に考えたが、割といい提案なのではないか。
「お前、美容師になりたいのか?」
立ちながらカラーチャートを眺めている薫に向けて、祐介は訊ねた。
薫は目をぱちぱちと動かし、難しい表情をした。
「うーん、よく分からない」
「まあ、そうだよな」
「でも、美容師になるなら専門学校へ行くんだよね。今年中には決めないと、受験のこともあるし」
真剣な表情で先のことを考えこむ薫。
どうやら選択肢の一つとして、美容師があるようだ。
「北橋くんはどうするの?」
「俺は別に、どっかテキトーな大学に行くかな」
「そっか、じゃあ卒業したらあまり会えなくなるね」
悲しそうにする薫だが、祐介は意味が分からずきょとんとする。
「は? お前、ここでバイトするんだろ?」
何言ってんだ、と鼻で笑う。
思いもよらない返答に、薫は面食らい、ぎゅっと唇を噛んだ。
「う、うん!」
花が咲いたように笑うので、祐介の心臓は大きく動いた。
薫がころころと表情を変える度、祐介の心も同じようにころころ変わる。
薫が肩を落としているとずきっと心が痛み、笑っているとどきっと高鳴る。
「僕、本当は」と打ち明けようとする薫が脳裏を過る。
もしかして、自分も。
いや、違う。薫の顔が綺麗なせいだ。
綺麗なものを見ると、心が動かされる。そういう現象が起きているだけだ。
「僕はここでバイトさせてもらうから、高校を卒業しても一緒にいられるね」
風がふわっと、祐介の心の中に吹いた気がした。
認めてしまいそうになるのをぐっと堪え、知らない振りをする。
「それより、登校日気をつけろよ」
心の内を悟られないように、ふいっと薫から顔を隠す。
「お前、綺麗なんだから、色んな人間が群がってくるぞ」
「大袈裟だなぁ」
「はぁ、美醜の分からん奴だな」
祐介に綺麗だと言われると、薫は頬を赤くする。
言われ慣れていない故だろうが、これからは毎日、数多の人間から言われることになるであろう。
そして、嫌でも己の容姿が優れているのだと気づくはずだ。
大袈裟だな、と薫は本心で言ったのだが、それが大袈裟ではないということを、登校日に身をもって知ることとなる。
夏休みが終わり、久しぶりの登校となった。
心配になった祐介は成幸に笑われながらも「一緒に登校するから、うちまで来い」と薫に命令した。
制服に身を包んだ二人は通学路を歩き、高校へ向かう。
校門に近づくと、制服を着た生徒たちの視線を集めた。当然、その視線は薫に集中しており、大勢から注目されることに慣れていない薫は髪で顔を隠そうとするが、以前のように長くないため、多方面から刺さる視線をガードすることはできなかった。
頭の中に疑問符を浮かべたまま教室へ入ると、クラスメイトがざわついた。
「あれ誰だ?」「えっ、イケメン」「転校生?」などと、薫に直接言いに行くわけではなく、こそこそと周囲の生徒と会話をしている。
祐介は自分の席に着く前に「ほらな」と薫の肩を叩いた。
クラスメイトの視線が自分に注がれている。気分の良いものではない。
机に鞄を置き、椅子に座るとクラスは今まで以上にざわついた。
「えっ、あれ浮田?」
「浮田が学校を辞めて、転校生が来たってこと?」
「いや、浮田でしょ」
こそこそ話すことをやめ、薫にも聞こえる声量でクラスメイトは話し始めた。
祐介の言う通り、注目の的になってしまった。
夏休み前とは別人だ、という話があちこちでされている。薫としては、髪を切っただけで顔は変わっていない。見慣れている顔なのだが、クラスメイトは興奮した様子で薫から目を逸らさない。
嫌だな。
そう思っている薫のことなど露知らず、スクールカースト上位の女子たちが薫に話しかける。
「浮田、髪切った? 似合うね」
「そっちの方がいいよ」
「夏休みの宿題やった? よかったら教えてくれない?」
彼女たちが話しかけたことで、我も我もと近寄るクラスメイト。
薫は作り笑いすらできず、口元を引き攣らせていた。
餌を貰おうと口をぱくぱくさせて集まる鯉みたいだ。
祐介は薫に群がる女子たちから、そんな印象を受けた。
「なぁ、祐介。何で浮田と登校してきたんだ?」
男子は女子ほど薫に興味がないが、気にはなるのだろう。
変貌を遂げた薫に視線を向けている。
祐介は話しかけてきたクラスメイトの田中に、どや顔で答えた。
「俺ら友達だから」
「うわ、その顔腹立つ。もしかして髪切ったのって、祐介のとこ?」
「俺の親父、すげえだろ」
「どう見たってすごいのは浮田の顔面だろ」
わはは、と笑う二人を、薫は遠巻きに眺めていた。
女子からの質問に対し、まともに答える気力はなく「まあ」「そうなんだ」と軽く流していると、半分の女子は「中身はやっぱ浮田じゃん。観賞用だね」と去って行った。離れて行ったことで安堵したが、まだ数人の女子が薫を囲んでいる。その残った女子たちの相手をするのが嫌になり、薫はついに、首を振るだけの機械となった。
肉食の女子たちはホームルームが始まるまでずっと薫から離れることはなく、一時限目に突入する頃、既に薫は辟易していた。
「で、どうよ」
祐介はにやにやしながら、キタハシ美容室で掃除をする薫に向けて感想を訊ねた。
訊かずとも分かる。
眉を寄せて口をへの字に曲げている薫は、「最悪だ」と語っているも同然である。
苦手な女子に囲まれ、話しかけられ、突かれ、触られ、一層苦手になったのだ、とオブラートに包んで祐介に伝えた。
「だろうな」
「はぁ、嫌だな」
心の底から嫌がっている薫に、祐介は良いことを思いついた。
「彼女がいるって言えば?」
「そ、そんなこと言えないよ」
「何で?」
「だって、いないし、僕は女の人苦手だし」
「時には嘘も必要なんだよ。彼女がいるって言えば、諦めてお前に話しかけなくなるだろ」
祐介が薫の立場であれば、そうしている。
薫は箒を動かす手を止めて、口をとがらせた。
「嘘でも、女の人を好きって言うのは、ちょっと……」
「ふうん、そういうものか」
「恋愛対象が女です、って公言したくないというか……」
その発言は「僕の恋愛対象は男です」と言っているようなものだ。
祐介は察しているから、薫はこうして言うのだろう。しかし、もう少し気を付けて発言してほしいものだ。
「まあ、何かあったら言えよ。愛が憎しみに変わるって、よく言うだろ」
恋愛が絡んだ事件に発展する前に、どうするか対策を立てなければならないのだ。
薫の容姿はそういうことを危惧するほど、美しいのだから。
薫は祐介の言葉に感動するが、接客が終わった成幸がにやけた笑みで祐介の頭をぽんぽんと叩く。
「恰好いいこと言うなぁ、さすが俺の息子だなぁ?」
「しょ、しょうがねーだろ、こいつがぼんやりしてんだから!」
成幸の手を叩き落とし、薫を指さす。
薫は微笑ましいと言わんばかりの表情で祐介を見守る。
それを見た祐介は恥ずかしさで耳まで赤くさせ、大きな足音を立てて二階へ上がった。
成幸と薫は顔を見合わせて微笑んだ。
祐介は項垂れて天井を見上げた。
「北橋くん、どうかした?」
「もう夏休みが終わるなと思って」
夏休み前と今では、薫の外見が大きく変わった。
夏休み明けに学校へ行くと、薫は恐らく色んな人間に囲まれるだろう。
「そういえば、お前、女が苦手な割にはちゃんと接客できるんだな」
女性客は当然やってくる。その客に対し、薫は口元を引き攣らせることなく接客している。
「ここでしか会わないし、それに、飲食店と違って美容院は毎日来るようなところじゃないから」
「あー、なるほど」
完全予約制というのもいいのかもしれない。
飛び入りで変な客が来ることはないし、神々しい顔を持つ薫はここで働くのが一番楽だろう。
最近、熱心にカラーチャートを眺めたり、成幸の仕事ぶりを観察したり、美容師に興味があるような行動をしている。
もし美容師になりたいのなら、いつかこの店を継げばいいのではないだろうか。
祐介は美容師になる気はないし、成幸に従業員を増やす気はない。店を継ぐとすれば、どこの馬の骨とも分からない美容師だろう。店を辞めたい成幸と、開業したい馬の骨。互いの利が一致したとき、店は明け渡されるだろう。
それよりは、薫に継いでもらった方がいい。
楽観的に考えたが、割といい提案なのではないか。
「お前、美容師になりたいのか?」
立ちながらカラーチャートを眺めている薫に向けて、祐介は訊ねた。
薫は目をぱちぱちと動かし、難しい表情をした。
「うーん、よく分からない」
「まあ、そうだよな」
「でも、美容師になるなら専門学校へ行くんだよね。今年中には決めないと、受験のこともあるし」
真剣な表情で先のことを考えこむ薫。
どうやら選択肢の一つとして、美容師があるようだ。
「北橋くんはどうするの?」
「俺は別に、どっかテキトーな大学に行くかな」
「そっか、じゃあ卒業したらあまり会えなくなるね」
悲しそうにする薫だが、祐介は意味が分からずきょとんとする。
「は? お前、ここでバイトするんだろ?」
何言ってんだ、と鼻で笑う。
思いもよらない返答に、薫は面食らい、ぎゅっと唇を噛んだ。
「う、うん!」
花が咲いたように笑うので、祐介の心臓は大きく動いた。
薫がころころと表情を変える度、祐介の心も同じようにころころ変わる。
薫が肩を落としているとずきっと心が痛み、笑っているとどきっと高鳴る。
「僕、本当は」と打ち明けようとする薫が脳裏を過る。
もしかして、自分も。
いや、違う。薫の顔が綺麗なせいだ。
綺麗なものを見ると、心が動かされる。そういう現象が起きているだけだ。
「僕はここでバイトさせてもらうから、高校を卒業しても一緒にいられるね」
風がふわっと、祐介の心の中に吹いた気がした。
認めてしまいそうになるのをぐっと堪え、知らない振りをする。
「それより、登校日気をつけろよ」
心の内を悟られないように、ふいっと薫から顔を隠す。
「お前、綺麗なんだから、色んな人間が群がってくるぞ」
「大袈裟だなぁ」
「はぁ、美醜の分からん奴だな」
祐介に綺麗だと言われると、薫は頬を赤くする。
言われ慣れていない故だろうが、これからは毎日、数多の人間から言われることになるであろう。
そして、嫌でも己の容姿が優れているのだと気づくはずだ。
大袈裟だな、と薫は本心で言ったのだが、それが大袈裟ではないということを、登校日に身をもって知ることとなる。
夏休みが終わり、久しぶりの登校となった。
心配になった祐介は成幸に笑われながらも「一緒に登校するから、うちまで来い」と薫に命令した。
制服に身を包んだ二人は通学路を歩き、高校へ向かう。
校門に近づくと、制服を着た生徒たちの視線を集めた。当然、その視線は薫に集中しており、大勢から注目されることに慣れていない薫は髪で顔を隠そうとするが、以前のように長くないため、多方面から刺さる視線をガードすることはできなかった。
頭の中に疑問符を浮かべたまま教室へ入ると、クラスメイトがざわついた。
「あれ誰だ?」「えっ、イケメン」「転校生?」などと、薫に直接言いに行くわけではなく、こそこそと周囲の生徒と会話をしている。
祐介は自分の席に着く前に「ほらな」と薫の肩を叩いた。
クラスメイトの視線が自分に注がれている。気分の良いものではない。
机に鞄を置き、椅子に座るとクラスは今まで以上にざわついた。
「えっ、あれ浮田?」
「浮田が学校を辞めて、転校生が来たってこと?」
「いや、浮田でしょ」
こそこそ話すことをやめ、薫にも聞こえる声量でクラスメイトは話し始めた。
祐介の言う通り、注目の的になってしまった。
夏休み前とは別人だ、という話があちこちでされている。薫としては、髪を切っただけで顔は変わっていない。見慣れている顔なのだが、クラスメイトは興奮した様子で薫から目を逸らさない。
嫌だな。
そう思っている薫のことなど露知らず、スクールカースト上位の女子たちが薫に話しかける。
「浮田、髪切った? 似合うね」
「そっちの方がいいよ」
「夏休みの宿題やった? よかったら教えてくれない?」
彼女たちが話しかけたことで、我も我もと近寄るクラスメイト。
薫は作り笑いすらできず、口元を引き攣らせていた。
餌を貰おうと口をぱくぱくさせて集まる鯉みたいだ。
祐介は薫に群がる女子たちから、そんな印象を受けた。
「なぁ、祐介。何で浮田と登校してきたんだ?」
男子は女子ほど薫に興味がないが、気にはなるのだろう。
変貌を遂げた薫に視線を向けている。
祐介は話しかけてきたクラスメイトの田中に、どや顔で答えた。
「俺ら友達だから」
「うわ、その顔腹立つ。もしかして髪切ったのって、祐介のとこ?」
「俺の親父、すげえだろ」
「どう見たってすごいのは浮田の顔面だろ」
わはは、と笑う二人を、薫は遠巻きに眺めていた。
女子からの質問に対し、まともに答える気力はなく「まあ」「そうなんだ」と軽く流していると、半分の女子は「中身はやっぱ浮田じゃん。観賞用だね」と去って行った。離れて行ったことで安堵したが、まだ数人の女子が薫を囲んでいる。その残った女子たちの相手をするのが嫌になり、薫はついに、首を振るだけの機械となった。
肉食の女子たちはホームルームが始まるまでずっと薫から離れることはなく、一時限目に突入する頃、既に薫は辟易していた。
「で、どうよ」
祐介はにやにやしながら、キタハシ美容室で掃除をする薫に向けて感想を訊ねた。
訊かずとも分かる。
眉を寄せて口をへの字に曲げている薫は、「最悪だ」と語っているも同然である。
苦手な女子に囲まれ、話しかけられ、突かれ、触られ、一層苦手になったのだ、とオブラートに包んで祐介に伝えた。
「だろうな」
「はぁ、嫌だな」
心の底から嫌がっている薫に、祐介は良いことを思いついた。
「彼女がいるって言えば?」
「そ、そんなこと言えないよ」
「何で?」
「だって、いないし、僕は女の人苦手だし」
「時には嘘も必要なんだよ。彼女がいるって言えば、諦めてお前に話しかけなくなるだろ」
祐介が薫の立場であれば、そうしている。
薫は箒を動かす手を止めて、口をとがらせた。
「嘘でも、女の人を好きって言うのは、ちょっと……」
「ふうん、そういうものか」
「恋愛対象が女です、って公言したくないというか……」
その発言は「僕の恋愛対象は男です」と言っているようなものだ。
祐介は察しているから、薫はこうして言うのだろう。しかし、もう少し気を付けて発言してほしいものだ。
「まあ、何かあったら言えよ。愛が憎しみに変わるって、よく言うだろ」
恋愛が絡んだ事件に発展する前に、どうするか対策を立てなければならないのだ。
薫の容姿はそういうことを危惧するほど、美しいのだから。
薫は祐介の言葉に感動するが、接客が終わった成幸がにやけた笑みで祐介の頭をぽんぽんと叩く。
「恰好いいこと言うなぁ、さすが俺の息子だなぁ?」
「しょ、しょうがねーだろ、こいつがぼんやりしてんだから!」
成幸の手を叩き落とし、薫を指さす。
薫は微笑ましいと言わんばかりの表情で祐介を見守る。
それを見た祐介は恥ずかしさで耳まで赤くさせ、大きな足音を立てて二階へ上がった。
成幸と薫は顔を見合わせて微笑んだ。