翌日、祐介は店の隅で不貞腐れていた。
昨日も思ったが、薫はてきぱきと動く。薫のことを地味で根暗だと思っていたのに、よく働くし、外見は根暗とは無縁になっている。
祐介は教室で騒がしい男子の部類に入っていて、女子とよく話す方だった。クラスの中心的存在と言っても過言ではない。それは自覚しているし、女子から言い寄られることも少なくない。
一言で表すと、人気者である。
一方、薫は根暗で祐介とは対照的な立ち位置にいた。誰とも話すことなく一日を終える。クラスに友達はいない。誰かと一緒にいるところを、見たことがない。
そんな薫が、実はとてつもなく美形で、てきぱきと動くような人間であることを知り、陽介の心境は複雑だった。
容姿はケチのつけようがないため認める。昨日、成幸に言われたように、薫のことをじっと眺めている自分がいるのだ。それくらい、薫の容姿は祐介の心を掴んでいた。
しかし、夏休み前までは自分と対極地にいた男が、今では自分と並んでいるかのように思え、つい眉間にしわが寄る。
気にも留めていなかった人間が、自分とは無縁であったタイプの人間が、急に変貌したのだ。気に入らないやら驚きやら、様々な感情が渦を巻き、祐介の心を複雑にしている。
「薫くん、カラーチャート持ってきて」
「これ洗ってくれる?」
「業者さんからシャンプー受け取っておいて」
成幸は薫に何度も雑用を頼み、その度に薫は「はい」としっかり返事をする。
指示がない時は掃除をしたり、予約を確認したり、何かしら動いている。時には客と成幸と三人で雑談をし、接客のため笑顔を浮かべる。笑った顔がまた美しく、客の女性は何度も恰好いいと褒めるのだった。
「お前、女から告白されたことあるのか?」
「えっ、あ、ある、けど」
「何回?」
「わ、分からない」
「分からないくらい告白されたのか?」
「で、でも、多分罰ゲームとかそういうのだと思う」
その告白した女たちを憐れんでしまう。
勇気を出して告白したにもかかわらず、想いが伝わっていないどころか、嘘の告白だと思われている始末だ。この調子だと、彼女すらできたことはないだろう。そう思うと、祐介の中にあった薫への苛立ちが半減した。
祐介には交際経験がある。いくら薫が美形といえども、女性と交際経験がないのであれば、男として格上なのは祐介である。
「北橋くんは、二組の大島さんと付き合ってたんだよね?」
薫に言われ、祐介は驚いた。
「北橋くんは目立つから、皆知ってるよ」
「そりゃそうだな」
二人の間に沈黙が走った。
祐介は注目を浴びやすく、前の恋人である大島沙穂との関係が広まっていても不思議ではない。ただそれを、薫が指摘したことに驚いたのだ。
ざわり、と胸のあたりが動いた。自分でも分からない感情が一瞬顔を出したが、すぐに消えた。
「北橋くんは将来、美容師になるの?」
「は?」
「ほ、ほら、お父さんが美容師だから」
「美容師に興味はない」
「そ、そっか」
「お前はなんでうちに応募したんだよ」
自分の髪にすら興味がなかったくせに、他人の髪なんてもっとどうでもいいだろうに。
それに、アルバイト募集の張り紙は店の扉にしかしていない。つまり、店の前を通らなければバイトの応募なんてできないのだ。
薫の家がどこにあるのか知らないが、祐介は今まで帰り道に薫を見かけたことはない。
最低賃金で、交通費は支給されない。条件がいいとは思えないアルバイトに、何故応募したのか。
大して意味もなく質問したが、考えれば考える程、応募理由が気になった。
薫は視線を泳がせ、言いにくそうに口をもごもごと動かす。
頭の中で話す内容がまとまったのか、きゅっと結んでいた口が開かれた。
「正直、特に理由があったわけじゃないんだ。ただ、その、なんとなく」
「俺の家だと思わなかったのかよ」
祐介の家が美容室であることはクラスで知られていることである。
隠す理由もなく、きっかけは「祐介は何のバイトしてるんだ?」という会話からだった気がする。
洒落た美容室ではなく、小さなところで完全予約制だと伝え、友達には客として来ないように念押しした。
友達が客としてやって来たら、気まずい。
「それよりもバイトの方が気になったというか」
「あっそ」
祐介と目を合わせないようにしているのか、終始目がきょろきょろと動いている。
見た目が変わっても、中身は変わらないもんな。
祐介は相変わらず根暗な挙動をする薫を軽く嗤った。
「北橋くんの腕は、いつ治るの?」
「んあ? これか? 三か月」
「じゃあ、張り紙にあった三か月間っていうのは、北橋くんの腕が治るまでってことなんだ」
「見りゃ分かるだろ。そういうこった」
「だ、だよね」
薫は苦笑すると、言いにくそうに祐介を見上げる。
それは覚えがある光景だった。
女子が好意を持たれようと見上げる仕草。祐介は自分の外見を、人並みよりは優れている方だと思っている。まったくモテないわけではないが、モテ男と評されるほどではない。だが、クラスでモテる男ランキングがあるのなら、自分は上から五番目以内には入っている自信がある。祐介は鈍感ではない。女子から好意を抱かれ、アプローチをかけられることもり、その際は「あ、俺のこと好きなのかな」と自覚する。その一つとして、首を少し傾けながら見上げる、という動作がある。薫のその仕草は女子のそれによく似ていた。
「その、三か月経ってもアルバイトを続けることって、できるのかな?」
しかし薫のそれは、女子のものとは異なる。
女子にされたときは「あ、俺のこと好きなのかな。まぁ、この子となら付き合ってもいいかな」という思考になり、特別好きというわけではないが、悪くないから付き合ってみようと思うことばかりだった。
そこにときめきはなく、「悪くないし、まあ、いいか」という妥協がある。
女子の仕草でさえそう思うのだから、男子に同じ仕草をされたなら、笑いながら気持ち悪いと切り捨てるはずだ。そうするべきだ。それなのに、祐介の胸が、一瞬でもときめいたのだ。
どき。
そう高鳴った瞬間、「は?」と自分の胸に手を当てた。
数秒そうしていると、先ほどの高鳴りは嘘であったかのように静かになった。
気のせいだろうか。いや、気のせいだ。
男相手にときめくなんて、どうかしている。これはきっと、綺麗な顔で見つめられたからに違いない。
薫が女性のようにも見えて、思わず反応してしまっただけだ。
それか、急に上目遣いをされて驚いてしまっただけだ。そうだ、きっとそうだ。
納得のいく理由を探し、落とし込んだ。
「北橋くん? 大丈夫?」
心配そうに見上げる薫から視線を逸らし、「あぁ」と短く返した。
「三か月後のことなんて知るかよ」
「そ、そうだよね」
「お前は俺の代わりなんだから、俺の腕が完治したらいらなくね?」
薫から返答がない。気になった祐介は隣を確認する。肩を落として落ち込んでいる薫に、祐介は罪悪感を抱く。
クソ、なんで俺が悪いみたいになってんだ。
祐介は内心そう愚痴る。
「まだ二日しかやってないだろ、そんなにここで働きたいのかよ」
「うん!」
途端に瞳を輝かせ、祐介の方へずいっと身を寄せる。
「ばっ、近ぇ!」
「ごめん」
薫は祐介から距離をとり、頬を赤く染める。まるで好きな男に触ってしまった女子のようだ。
本当はこいつ、女じゃないのか。
祐介は薫の性別を疑う。顔は中性的で整っており、祐介よりも小さな体格、そして薫という名前。むしろ男である要素の方が少ないのではないか。
「そ、そんなに見ないで」
まじまじと薫を見つめていると、薫は恥じらいながらそんなことを言った。
まるで恋する乙女のような反応に、祐介はカッと首から上が赤くなる。
「お、お前、気持ち悪いんだよ!」
薫の隣から飛び退き、大声で叫ぶ。
すると、薫はとても傷ついたように眉を下げ、唇を噛んだ。
あ、言いすぎたかも。
少し後悔してしまうほどで、祐介は謝ろうかどうしようかと悩んでいると、頭に衝撃があった。
「お前は何を言ってるんだ」
ため息を吐きながら、成幸が祐介の後ろに立っていた。
頭への衝撃は、成幸が持っていた箒だった。
「いってぇ」
「あ、いらっしゃいませー。ったく、ちゃんと謝れよ」
来店した客の対応をする成幸を睨みつけ、祐介は「ふん」と鼻から息を出した。
祐介と薫は互いに気まずくなり、先に逃げ出したのは祐介だった。
「買い出し行ってくる」
買うものは何もないが、薫と一緒にいたくなかった。
薫は何も言わず、成幸の手伝いをしようと背後に控えた。
祐介は薫に謝ることなく横を通り過ぎ、美容室を出た。
近所のスーパーまで徒歩五分である。
何かを買ったとしても十五分程度で美容室に戻ってしまう。もっと長い時間、外に出ていたかったため、少し遠いスーパーへ向かった。
夏の日差しが強く、帽子を被ってこなかったことを悔やむ。
最近舗装作業が終わったばかりの道路は、太陽の照り返しが激しい。
歩きやすくなったアスファルトをスニーカーで踏み、なるべく顔に直射日光が当たらないよう、俯く。
先程、薫に気持ち悪い、と言ってしまったが、そんな言葉よく使うだろう。
それを何故あんなに傷ついたような表情をしていたのか、祐介には理解できない。
あれが友達であったなら「うぜー」「うわ、傷ついた」「お前こそキモいし」と返すことだろう。本気で受け止め、傷つく奴はいない。
薫は友達がいないから、そういうノリが分からないのだ。
そう結論を出すと、すっきりした。
「男のくせに女みたいなこと言いやがって」
はは、と笑ってみるが、すぐに表情は戻る。
女みたいだから、という理由だけであんなに大声で叫ばない。
祐介は胸の辺りを掴む。どき。と、動いたのだ。この心臓が。
恥じらう女子のような仕草が心の底から気持ち悪かったのではなく、それによって動いた自分の心臓を誤魔化したくて、声を上げた。
あの顔だ。あの顔がいけないのだ。
まるでAIが作成した人間の絵のような、同じ人間とは思えないような綺麗さに、心が動いただけなのだ。
「あー、もう!」
髪を切る前までは根暗の地味浮田だと思っていたのに、成幸の手によって髪型が変わった途端、手のひら返しをするかの如く心臓が動くのだ。
いつだったか、友達に言われたことがある。
「お前って顔がいい女としか付き合わないよな」と。
その時は何と返したか。恐らく「顔がいい女しか寄ってこないんだよ」というようなことを得意げに答えたと思う。
特に自覚していなかったが、薫のことでやっと気づいた。
男女問わず、顔が整っている人間を意識してしまうのだ。
そして薫は、祐介が出会った中で群を抜いて美しい。
だからきっと、薫を上回る美女が現れたなら、祐介はその美女に関心を寄せるだろう。
記録を塗り替えればいいのだ。しかし。
「そんな女、いるのかよ」
いない気がする。絶望的だ。
三か月は、薫が傍にいる。
二日目でこんな状況なのだ。三か月も一緒にいたら、間違って恋愛感情を抱いたりしないだろうか。
さすがにそんなことはないだろう。ないだろうが、言い切れるだろうか。
薫を根暗だと決めつけていたけれど、実はとてつもなく綺麗な顔であったと知ったばかりだ。祐介は顔が青くなる。
このままではいけない。
祐介はこれからのことを考えながら、歩を進めた。
昨日も思ったが、薫はてきぱきと動く。薫のことを地味で根暗だと思っていたのに、よく働くし、外見は根暗とは無縁になっている。
祐介は教室で騒がしい男子の部類に入っていて、女子とよく話す方だった。クラスの中心的存在と言っても過言ではない。それは自覚しているし、女子から言い寄られることも少なくない。
一言で表すと、人気者である。
一方、薫は根暗で祐介とは対照的な立ち位置にいた。誰とも話すことなく一日を終える。クラスに友達はいない。誰かと一緒にいるところを、見たことがない。
そんな薫が、実はとてつもなく美形で、てきぱきと動くような人間であることを知り、陽介の心境は複雑だった。
容姿はケチのつけようがないため認める。昨日、成幸に言われたように、薫のことをじっと眺めている自分がいるのだ。それくらい、薫の容姿は祐介の心を掴んでいた。
しかし、夏休み前までは自分と対極地にいた男が、今では自分と並んでいるかのように思え、つい眉間にしわが寄る。
気にも留めていなかった人間が、自分とは無縁であったタイプの人間が、急に変貌したのだ。気に入らないやら驚きやら、様々な感情が渦を巻き、祐介の心を複雑にしている。
「薫くん、カラーチャート持ってきて」
「これ洗ってくれる?」
「業者さんからシャンプー受け取っておいて」
成幸は薫に何度も雑用を頼み、その度に薫は「はい」としっかり返事をする。
指示がない時は掃除をしたり、予約を確認したり、何かしら動いている。時には客と成幸と三人で雑談をし、接客のため笑顔を浮かべる。笑った顔がまた美しく、客の女性は何度も恰好いいと褒めるのだった。
「お前、女から告白されたことあるのか?」
「えっ、あ、ある、けど」
「何回?」
「わ、分からない」
「分からないくらい告白されたのか?」
「で、でも、多分罰ゲームとかそういうのだと思う」
その告白した女たちを憐れんでしまう。
勇気を出して告白したにもかかわらず、想いが伝わっていないどころか、嘘の告白だと思われている始末だ。この調子だと、彼女すらできたことはないだろう。そう思うと、祐介の中にあった薫への苛立ちが半減した。
祐介には交際経験がある。いくら薫が美形といえども、女性と交際経験がないのであれば、男として格上なのは祐介である。
「北橋くんは、二組の大島さんと付き合ってたんだよね?」
薫に言われ、祐介は驚いた。
「北橋くんは目立つから、皆知ってるよ」
「そりゃそうだな」
二人の間に沈黙が走った。
祐介は注目を浴びやすく、前の恋人である大島沙穂との関係が広まっていても不思議ではない。ただそれを、薫が指摘したことに驚いたのだ。
ざわり、と胸のあたりが動いた。自分でも分からない感情が一瞬顔を出したが、すぐに消えた。
「北橋くんは将来、美容師になるの?」
「は?」
「ほ、ほら、お父さんが美容師だから」
「美容師に興味はない」
「そ、そっか」
「お前はなんでうちに応募したんだよ」
自分の髪にすら興味がなかったくせに、他人の髪なんてもっとどうでもいいだろうに。
それに、アルバイト募集の張り紙は店の扉にしかしていない。つまり、店の前を通らなければバイトの応募なんてできないのだ。
薫の家がどこにあるのか知らないが、祐介は今まで帰り道に薫を見かけたことはない。
最低賃金で、交通費は支給されない。条件がいいとは思えないアルバイトに、何故応募したのか。
大して意味もなく質問したが、考えれば考える程、応募理由が気になった。
薫は視線を泳がせ、言いにくそうに口をもごもごと動かす。
頭の中で話す内容がまとまったのか、きゅっと結んでいた口が開かれた。
「正直、特に理由があったわけじゃないんだ。ただ、その、なんとなく」
「俺の家だと思わなかったのかよ」
祐介の家が美容室であることはクラスで知られていることである。
隠す理由もなく、きっかけは「祐介は何のバイトしてるんだ?」という会話からだった気がする。
洒落た美容室ではなく、小さなところで完全予約制だと伝え、友達には客として来ないように念押しした。
友達が客としてやって来たら、気まずい。
「それよりもバイトの方が気になったというか」
「あっそ」
祐介と目を合わせないようにしているのか、終始目がきょろきょろと動いている。
見た目が変わっても、中身は変わらないもんな。
祐介は相変わらず根暗な挙動をする薫を軽く嗤った。
「北橋くんの腕は、いつ治るの?」
「んあ? これか? 三か月」
「じゃあ、張り紙にあった三か月間っていうのは、北橋くんの腕が治るまでってことなんだ」
「見りゃ分かるだろ。そういうこった」
「だ、だよね」
薫は苦笑すると、言いにくそうに祐介を見上げる。
それは覚えがある光景だった。
女子が好意を持たれようと見上げる仕草。祐介は自分の外見を、人並みよりは優れている方だと思っている。まったくモテないわけではないが、モテ男と評されるほどではない。だが、クラスでモテる男ランキングがあるのなら、自分は上から五番目以内には入っている自信がある。祐介は鈍感ではない。女子から好意を抱かれ、アプローチをかけられることもり、その際は「あ、俺のこと好きなのかな」と自覚する。その一つとして、首を少し傾けながら見上げる、という動作がある。薫のその仕草は女子のそれによく似ていた。
「その、三か月経ってもアルバイトを続けることって、できるのかな?」
しかし薫のそれは、女子のものとは異なる。
女子にされたときは「あ、俺のこと好きなのかな。まぁ、この子となら付き合ってもいいかな」という思考になり、特別好きというわけではないが、悪くないから付き合ってみようと思うことばかりだった。
そこにときめきはなく、「悪くないし、まあ、いいか」という妥協がある。
女子の仕草でさえそう思うのだから、男子に同じ仕草をされたなら、笑いながら気持ち悪いと切り捨てるはずだ。そうするべきだ。それなのに、祐介の胸が、一瞬でもときめいたのだ。
どき。
そう高鳴った瞬間、「は?」と自分の胸に手を当てた。
数秒そうしていると、先ほどの高鳴りは嘘であったかのように静かになった。
気のせいだろうか。いや、気のせいだ。
男相手にときめくなんて、どうかしている。これはきっと、綺麗な顔で見つめられたからに違いない。
薫が女性のようにも見えて、思わず反応してしまっただけだ。
それか、急に上目遣いをされて驚いてしまっただけだ。そうだ、きっとそうだ。
納得のいく理由を探し、落とし込んだ。
「北橋くん? 大丈夫?」
心配そうに見上げる薫から視線を逸らし、「あぁ」と短く返した。
「三か月後のことなんて知るかよ」
「そ、そうだよね」
「お前は俺の代わりなんだから、俺の腕が完治したらいらなくね?」
薫から返答がない。気になった祐介は隣を確認する。肩を落として落ち込んでいる薫に、祐介は罪悪感を抱く。
クソ、なんで俺が悪いみたいになってんだ。
祐介は内心そう愚痴る。
「まだ二日しかやってないだろ、そんなにここで働きたいのかよ」
「うん!」
途端に瞳を輝かせ、祐介の方へずいっと身を寄せる。
「ばっ、近ぇ!」
「ごめん」
薫は祐介から距離をとり、頬を赤く染める。まるで好きな男に触ってしまった女子のようだ。
本当はこいつ、女じゃないのか。
祐介は薫の性別を疑う。顔は中性的で整っており、祐介よりも小さな体格、そして薫という名前。むしろ男である要素の方が少ないのではないか。
「そ、そんなに見ないで」
まじまじと薫を見つめていると、薫は恥じらいながらそんなことを言った。
まるで恋する乙女のような反応に、祐介はカッと首から上が赤くなる。
「お、お前、気持ち悪いんだよ!」
薫の隣から飛び退き、大声で叫ぶ。
すると、薫はとても傷ついたように眉を下げ、唇を噛んだ。
あ、言いすぎたかも。
少し後悔してしまうほどで、祐介は謝ろうかどうしようかと悩んでいると、頭に衝撃があった。
「お前は何を言ってるんだ」
ため息を吐きながら、成幸が祐介の後ろに立っていた。
頭への衝撃は、成幸が持っていた箒だった。
「いってぇ」
「あ、いらっしゃいませー。ったく、ちゃんと謝れよ」
来店した客の対応をする成幸を睨みつけ、祐介は「ふん」と鼻から息を出した。
祐介と薫は互いに気まずくなり、先に逃げ出したのは祐介だった。
「買い出し行ってくる」
買うものは何もないが、薫と一緒にいたくなかった。
薫は何も言わず、成幸の手伝いをしようと背後に控えた。
祐介は薫に謝ることなく横を通り過ぎ、美容室を出た。
近所のスーパーまで徒歩五分である。
何かを買ったとしても十五分程度で美容室に戻ってしまう。もっと長い時間、外に出ていたかったため、少し遠いスーパーへ向かった。
夏の日差しが強く、帽子を被ってこなかったことを悔やむ。
最近舗装作業が終わったばかりの道路は、太陽の照り返しが激しい。
歩きやすくなったアスファルトをスニーカーで踏み、なるべく顔に直射日光が当たらないよう、俯く。
先程、薫に気持ち悪い、と言ってしまったが、そんな言葉よく使うだろう。
それを何故あんなに傷ついたような表情をしていたのか、祐介には理解できない。
あれが友達であったなら「うぜー」「うわ、傷ついた」「お前こそキモいし」と返すことだろう。本気で受け止め、傷つく奴はいない。
薫は友達がいないから、そういうノリが分からないのだ。
そう結論を出すと、すっきりした。
「男のくせに女みたいなこと言いやがって」
はは、と笑ってみるが、すぐに表情は戻る。
女みたいだから、という理由だけであんなに大声で叫ばない。
祐介は胸の辺りを掴む。どき。と、動いたのだ。この心臓が。
恥じらう女子のような仕草が心の底から気持ち悪かったのではなく、それによって動いた自分の心臓を誤魔化したくて、声を上げた。
あの顔だ。あの顔がいけないのだ。
まるでAIが作成した人間の絵のような、同じ人間とは思えないような綺麗さに、心が動いただけなのだ。
「あー、もう!」
髪を切る前までは根暗の地味浮田だと思っていたのに、成幸の手によって髪型が変わった途端、手のひら返しをするかの如く心臓が動くのだ。
いつだったか、友達に言われたことがある。
「お前って顔がいい女としか付き合わないよな」と。
その時は何と返したか。恐らく「顔がいい女しか寄ってこないんだよ」というようなことを得意げに答えたと思う。
特に自覚していなかったが、薫のことでやっと気づいた。
男女問わず、顔が整っている人間を意識してしまうのだ。
そして薫は、祐介が出会った中で群を抜いて美しい。
だからきっと、薫を上回る美女が現れたなら、祐介はその美女に関心を寄せるだろう。
記録を塗り替えればいいのだ。しかし。
「そんな女、いるのかよ」
いない気がする。絶望的だ。
三か月は、薫が傍にいる。
二日目でこんな状況なのだ。三か月も一緒にいたら、間違って恋愛感情を抱いたりしないだろうか。
さすがにそんなことはないだろう。ないだろうが、言い切れるだろうか。
薫を根暗だと決めつけていたけれど、実はとてつもなく綺麗な顔であったと知ったばかりだ。祐介は顔が青くなる。
このままではいけない。
祐介はこれからのことを考えながら、歩を進めた。