本屋を出た、珍しく冷たい風が通り過ぎる、こんな風何ヶ月ぶりだろう。そろそろ本格的に秋がやってきそうだ。秋の夜長、俺はどんな本を読もうかな。振られてしまった直後だから恋愛ものはしばらくパスで、だけど泉水ちゃんのおかげもあってか俺はもっと本が好きになった。きっと泉水ちゃんも本が好きなんだろうな、だから本屋で働いているんだろうな。
不思議と気分はよかった。スキップしたくなるような気分だった。さすがにやらないけど(そもそも俺がスキップなんてできるわけがない)
「あのっ」
あのいつもの河川敷まで来た時に呼び止められた。振り向くとそこに泉水ちゃんがいた。
「泉水ちゃん?」
無意識に名前を呼んでいた。
仕事終わり、帰り支度をして急いで追いかけてきてくれたってのがわかった。
「これ、ありがとうございます!」
泉水ちゃんの手にはさっき俺が渡した本があった。俺は微笑み首を振る。
「本、好きですか?」
「大好き」花が咲いたように笑う。俺の胸はときめいて、だけど視線を逸らせない。「……でした!」
刹那、俺の上がりきっていた口角がゆるやかに下がっていく。
「過去……系?」
そう言うと泉水ちゃんはうんとうなずく。寂しそうでも嬉しそうでもなく、ただ少し悔しそうな顔を浮かべた。
「読めないんです」
そう言われたのは、立ち話もなんだからと言っていつも本を読むあの橋の下にふたり並んで座って話し始めた時だった。
「読めない?」
「文字の読み書きが、できないんです」
「えっ……」言葉が出なかった。だけど傷つけるのが怖くて驚いていないふりをした。「そ、そう」
「昔はできていたんです、読書が好きだった」
今まで出会ってきた本との思い出を思い返すように泉水ちゃんの視線は宙に揺れる。
「ごめんなさい、俺本の話ばっかして、あの本も押し付けるように渡しちゃって」
「いえ、私本屋で働いてるんですから、本の話は毎日してますよ」
「あっ、そっか」
「どこに何があるとか頑張って覚えてるんです、でも突発的に言われるとダメ、タイトル読めないんで」
今までの出来事を思い返す、得心がいって深くうなずいた。
「じゃあたいへんですね」
「もっと合ってる仕事ってあると思うんです、読み書きできなくてもできる仕事、だけど私どうしても本の仕事がしたくて、あそこの職場の人たちはみんな理解してくれて受け入れてくれてるんです、ほんとに感謝しかないです」
「みんな同じだからかな」
「え?」
「みんな同じ本好きな人たちだからじゃないですか?」
そう言ったら泉水ちゃんは「そうかも」と小さく笑った。
「だからこれ、嬉しかったんですけどお返しします、ありがとうございました」
返された本。こんな形で戻ってくるなんて思ってもみなかった。
「読もうか?」
「え?」
「俺、下手くそだけど、国語の朗読の授業もタカナシ下手くそだな! ってみんなに言われるけど、それでも練習するから、でも家帰って漢字調べてくるから今日はダメね」
読めない字でつっかかったら内容入ってこないもんなとひとり得心を得たようにうなずいていると、泉水ちゃんは全然違うところに引っかかっていた。
「タカナシ? ……くん?」
「え? あ、はい、俺タカナ……あっ」
忘れてた、難読漢字の苗字をいいことに下の名前で呼ばれる作戦がここへきて音を立てて崩れていく。
「タカナシくんて読むんだ」
「あ、いやそうなんだけど、えっと、遥斗って読んでもらいたいっていうかなんていうか」
しどろもどろになってなんだかすげーかっこ悪い。
「遥斗くん」
確かめるように泉水ちゃんはうなずきながらそう言った。そして視線だけをこちらに上げ「佐伯泉水です」と言った。
「泉水……ちゃん」
もう何回も呼んでいたけど確かめるように俺もそう言うと「うん」と破顔した。
「『いつもとおなじ私だけがいない明日』ほんとはすごく気になってて、朗読配信も著作権の関係でないし、ドラマ化されるからそれを見よう思ってたの」
「でも原作って読みたいよね」
「そうなんだよね」
そう言って泉水ちゃんは小さく笑った。
「聞けるなら嬉しい、読んでもらえるの?」
「もちろん! いつも仕事終わるのこのくらいの時間?」
「うん」
「じゃあ明日、ここで待ってる」
いつもの河川敷でふたりは同じ本を読む。
了
不思議と気分はよかった。スキップしたくなるような気分だった。さすがにやらないけど(そもそも俺がスキップなんてできるわけがない)
「あのっ」
あのいつもの河川敷まで来た時に呼び止められた。振り向くとそこに泉水ちゃんがいた。
「泉水ちゃん?」
無意識に名前を呼んでいた。
仕事終わり、帰り支度をして急いで追いかけてきてくれたってのがわかった。
「これ、ありがとうございます!」
泉水ちゃんの手にはさっき俺が渡した本があった。俺は微笑み首を振る。
「本、好きですか?」
「大好き」花が咲いたように笑う。俺の胸はときめいて、だけど視線を逸らせない。「……でした!」
刹那、俺の上がりきっていた口角がゆるやかに下がっていく。
「過去……系?」
そう言うと泉水ちゃんはうんとうなずく。寂しそうでも嬉しそうでもなく、ただ少し悔しそうな顔を浮かべた。
「読めないんです」
そう言われたのは、立ち話もなんだからと言っていつも本を読むあの橋の下にふたり並んで座って話し始めた時だった。
「読めない?」
「文字の読み書きが、できないんです」
「えっ……」言葉が出なかった。だけど傷つけるのが怖くて驚いていないふりをした。「そ、そう」
「昔はできていたんです、読書が好きだった」
今まで出会ってきた本との思い出を思い返すように泉水ちゃんの視線は宙に揺れる。
「ごめんなさい、俺本の話ばっかして、あの本も押し付けるように渡しちゃって」
「いえ、私本屋で働いてるんですから、本の話は毎日してますよ」
「あっ、そっか」
「どこに何があるとか頑張って覚えてるんです、でも突発的に言われるとダメ、タイトル読めないんで」
今までの出来事を思い返す、得心がいって深くうなずいた。
「じゃあたいへんですね」
「もっと合ってる仕事ってあると思うんです、読み書きできなくてもできる仕事、だけど私どうしても本の仕事がしたくて、あそこの職場の人たちはみんな理解してくれて受け入れてくれてるんです、ほんとに感謝しかないです」
「みんな同じだからかな」
「え?」
「みんな同じ本好きな人たちだからじゃないですか?」
そう言ったら泉水ちゃんは「そうかも」と小さく笑った。
「だからこれ、嬉しかったんですけどお返しします、ありがとうございました」
返された本。こんな形で戻ってくるなんて思ってもみなかった。
「読もうか?」
「え?」
「俺、下手くそだけど、国語の朗読の授業もタカナシ下手くそだな! ってみんなに言われるけど、それでも練習するから、でも家帰って漢字調べてくるから今日はダメね」
読めない字でつっかかったら内容入ってこないもんなとひとり得心を得たようにうなずいていると、泉水ちゃんは全然違うところに引っかかっていた。
「タカナシ? ……くん?」
「え? あ、はい、俺タカナ……あっ」
忘れてた、難読漢字の苗字をいいことに下の名前で呼ばれる作戦がここへきて音を立てて崩れていく。
「タカナシくんて読むんだ」
「あ、いやそうなんだけど、えっと、遥斗って読んでもらいたいっていうかなんていうか」
しどろもどろになってなんだかすげーかっこ悪い。
「遥斗くん」
確かめるように泉水ちゃんはうなずきながらそう言った。そして視線だけをこちらに上げ「佐伯泉水です」と言った。
「泉水……ちゃん」
もう何回も呼んでいたけど確かめるように俺もそう言うと「うん」と破顔した。
「『いつもとおなじ私だけがいない明日』ほんとはすごく気になってて、朗読配信も著作権の関係でないし、ドラマ化されるからそれを見よう思ってたの」
「でも原作って読みたいよね」
「そうなんだよね」
そう言って泉水ちゃんは小さく笑った。
「聞けるなら嬉しい、読んでもらえるの?」
「もちろん! いつも仕事終わるのこのくらいの時間?」
「うん」
「じゃあ明日、ここで待ってる」
いつもの河川敷でふたりは同じ本を読む。
了