読みたい本があるんだ。SNSでバズっていてテレビでも紹介されていたもの。近々ドラマ化が決まったらしい。本は好きだけどそこまで読みなれていない、そんな俺にとってこの本を手に取るっていうのはかなりハードルが高い。なぜなら結構分厚いからだ。だけど読みさすさに定評があるこの作家ならばと本を探した。

 内容はというと余命わずかな高校生のヒロインがそれを隠しながら生きていく。学校にもアルバイト先にも誰にも話さずひとりだけで抱えて最期の日までいつもと同じ日常を過ごしたい、そしていつかふっとみんなの前から神隠しにでもあったかのように消える。そんな予定だったヒロイン、そしてその秘密に気づいたヒーロー。ヒーローは本人の希望通り気づかないふりをしながら過ごす一年、お互い相手を気遣って気持ちを伝えられないところがもどかしいらしい。
 
 まだ暑さ残る九月、未練がましく太陽が期待されてもいないのに自分の出番かと張り切っている。俺は小さくため息を吐く。だけど本屋に入るなり焼けそうな体の表面体温が一気に下がっていくことにきづいた。そんな小さなことで俺の機嫌はあっという間に戻った。

 本の方はというと、実はすんなりと手に入ると思っていた。だってあれだけ宣伝しているんだから在庫がたっぷりあるんだと思った。だけど実際はそう甘くなかった。

「申し訳ありません、そちら今たいへん人気の小説でして、取り寄せという形になります」
「そうなんですか」

 
 その会話の後、隣からベテランの店員さんの声が割り込んでくる。

 
「ほんとうはこちらで購入していただきたいんですけど実は……」裏技があります、と言わんばかりに右手で口元を隠し小声になったので思わず耳だけじゃなく体が傾いた。「インターネットなら販売しているところもあるかもしれません」

 なんだ、と思った。少し考えればわかることだし、たいした裏技ではない。

 あははと愛想笑いを浮かべて「また来ます」と頭を下げた。

 ないならないでいいと思った。諦めるつもりはないが、またこの書店に来る“言い訳”ができたのならそれはそれでいい。

 僕が本を読むきっかけになった彼女に、また会うことができるから。

 
「あのっ」

 呼び止められて振り返る。この声はあの子だ。名札のところに「佐伯」と書いてある。あの店の書店員、肩くらいの栗色の毛に大きな目が印象的だ。俺が知っている情報はそれだけ。「綺麗」というより「可愛い」という第一印象を持つ女性。だけど高校生の俺より歳は上だと思う。ひとつか、ふたつか。

「はい」

 呼び止められたのが嬉しいのに、まるでそんなことはないように平静を装って振り返る。

「インターネットで購入しますか?」
「あ、いえ、また来てみようかなって」
「なら予約票に記入してもらえますか? 入荷したらご連絡します」

 心臓が加速していく。いや、これは電話番号を交換するわけじゃないんだけど、なんとなくそんなようなシチュエーションに似ていて。入荷の電話だってこの佐伯さんではなくてあのベテランの女性かもしれないのに。

 僕は「小鳥遊遥斗」と書いた。
 佐伯さんはそれを受け取ると眉を下げ小さく首を傾げて「……はる、と、さん?」と聞いてきた。
 そうか! 読めないのか、そうだな、俺の苗字は初見で読まれることの方が少ない。思わぬ形で下の名前を呼ばれたことに舞い上がる。

「そうです、遥斗です」

 あえて苗字の読み方は教えなかった。そしたら今後も遥斗と呼んでくれそうだから。