「実は一人、心当たりがあります」

 それは日常の一コマであり、取るに足らない些細な出来事だった。
 けれども今、ヒストルと言葉を交わすうちに、その一コマが脳裏に浮かび、記憶の引き出しから飛び出てきた。

 この話をするにあたって、俺には葛藤もあった。
 何故ならば、己の過去を曝け出す必要があるからだ。

 だが、此処に集まっているのは、打算的な考えを持たずに誠心誠意の思いをぶつけてきたリンツ街のギルドマスターが一人と、信頼できるブレイブ・リンツの仲間が二人。
 それに、そのうちの一人は、過去の俺を知るロザリーだ。

 だとすれば、残る二人に己の過去を知っていてもらうのも悪い話ではない。
 腹を割るのも大事だからな。

 そして俺は、あまり思い出したくはない過去を語り始めることにした。

「昔の話です。俺が十八になる前の……」

 それはまだ、俺がエイジェーチ家の人間だった頃の思い出だ。

 エイジェーチ家は、ホビージャ国にて子爵位を賜った貴族の家系だ。
 伯爵位のローグメルツ家とは近所ということもあって親交があった。

 いつ頃からだろうか。正確な月日は分からないが、エイジェーチ家の屋敷に男が度々足を運ぶようになったのを憶えている。

 その男の名は、アウダー・ワーグ。男爵位の貴族だ。

 アウダーの傍らには、いつも数名の冒険者が付いていた。彼らはアウダーの身辺警護を任されていた。貴族が冒険者を雇うことは別段珍しいことではない。通常であれば記憶になど残ることもなかっただろう。

 けれども、アウダーと彼らの関係は明らかにおかしかった。

 彼らは一言も発することなく、かと思えばアウダーの声に反応を示し、苦痛に顔を歪めることが多々あった。

 今にして思うと、あれは何らかの魔道具を用いて強制的に従えていたのではないだろうか。たとえば、奴隷として……。

 しかしそれも、今から十年以上も前の話になる。そこから今に至るまで、俺はエイジェーチ家とは一切かかわっていない。だから今回の件と関係があるかも定かではない。

 とはいえ、気になるのも事実だ。調べておいて損はないだろう。

「アウダー・ワーグ男爵だね? すぐに調査しよう……おい、イルリ! ちょっと来てくれるか!」

 話を聞くや否や、ヒストルは受付の方を振り返り、イルリの名を呼んだ。

「マスター、どうかしましたか? 顔が怖いですけど」
「それはいつものことだ。それよりも一人、調べてほしい人物がいる。アウダー・ワーグという名の男爵位の貴族だが、可能か?」
「はい。すぐに調べますね」

 ブレイブ・リンツのメンバーとフルコースを食べているときにレイから聞いた話だが、イルリのジョブはガイドらしい。

 普段のイルリはリンツ街のギルドで受付を担当しており、まるで天職のようにテキパキとこなしているが、調べ物をするのも大得意だった。

 だからだろうか、ヒストルはアウダー・ワーグの名を出して、イルリに調べてもらうことにした。

 ただ、調べ終えてからどのように動くべきか。それが問題だ。
 アウダーに直接会うにしても、やはり一番手っ取り早いのはエイジェーチ家の人間に話を聞くことだろう。

「一度王都に行ってエイジェーチ家に探りを入れてみます」
「そう言ってもらえると助かるよ、リジンくん」
「でも、リジンは勘当されているはずよ」
「なんで知ってるんだ!?」

 勘当の件はさすがに秘密にしておいたのに、何故ロザリーは知っているのか。

「だってパパから聞いて……」

 言ってはダメだったかと、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
 ロザリーはそのまま黙ってしまった。

 ……なるほどな。
 それでも俺を追いかけてきてくれたのか。男冥利に尽きるとはこのことか。

「ロザリー、ありがとうな」
「ん……」
「確かに俺はエイジェーチ家を勘当されている。敷居を跨ぐことも許されない身分ではあるが……問題あるまい。忘れ物を取りに来たと言えば、訪問する理由にはなるだろう」
「忘れ物?」

 小首を傾げ、ロザリーが訊ねる。
 その顔を見て、俺は口の端を上げた。

「ああ、とても大切な忘れ物だ」