「……っ」

 目が覚めた。
 けれども暫くの間、ベッドの上から動くことができなかった。

 ――しまった。
 目覚めて最初に心の中で呟いた言葉が、それだった。

 今の今まで、完璧に忘れていた。
 あの子が……あの小さな女の子が、ロザリーだったのだ。
 だからこそロザリーは、エイジェーチの名を知っていた。

 枕に預ける頭部を僅かに動かし、横を見る。
 少し離れたベッドは、空になっていた。

 そのまま視線を彷徨わせると、椅子に腰掛け飲み物に口を付けるロザリーの姿を瞳に映す。どうやら目覚めの一杯を飲んでいたようだ。

「起きたの?」
「あ、……ああ。おはよう」
「おはよう。今日はいつもより早いのね」
「眠れなくてな」
「そう? ぐっすり眠っているように見えたけど」
「寝顔を見るな」
「見えるんだから仕方ないじゃない。不可抗力というやつよ」

 抗議をするも一蹴される。

「……で? 目をキョロキョロさせてどうしたのよ」

 ぎこちなさが表情に出ていたのだろう。
 どうしたのかと不審がられてしまった。

「いや、寝起きで頭が働かなくてな」
「それなら早く顔を洗うことね。私は先に依頼掲示板を見てくるから、貴方も手早く支度をしなさい」

 喉を潤し終えたのか、ロザリーは部屋の扉を開けてロビーへと向かった。
 その背を見送り、俺は深い息を吐く。

 ……あれから何年が過ぎた?
 俺が冒険者になって丁度十年だから、そのぐらいになるか。

 まさか十年も経ってからモルサル街で再会するとは思いもしなかった。

 ……いや、待て。
 この再会は偶然か?
 俺が気付かなかっただけで、実はもっと前からロザリーはモルサル街に居たのではないか?
 実際、俺はモルサル街でロザリーのことを何度か見たことがあるからな。

 しかし、十年の月日は長い。圧倒的に長すぎる。
 その間、俺は全く気付かなかったことになる。

 体よく言えば、とても綺麗で魅力的な大人の女性になったから、ロザリーがあの子だと気付くことができなかった。

「……今更だな」

 俺はロザリーの十年間を無駄にさせたのだ。
 今更何を言っても言い訳にしか聞こえないだろう。

 ではどうする?
 これからどのように接すればいい?

 久しぶりだな、全部思い出したよ。
 こんな感じで軽く話してみようか。

 ……却下だな。
 ロザリーはモルサル街に居たときはおろか、パーティーを組んでからも一切、自分から過去の関係を口にすることはなかった。

 その上で、木の実拾いの罰ゲームを利用することでようやく、エイジェーチの名を口にした。俺にヒントを与えてくれたのだ。

「絶対……怒ってるよなぁ」

 間違いない。ロザリーは怒っているはずだ。
 とにかく、まずは謝ろう。話はそれからだ。

 顔を洗って身支度を済ませたあと、俺は部屋を出た。そしてロビーへと向かい、ロザリーを探す。依頼掲示板を見ると言っていたが、今は受付でイルリと話をしているようだ。

 レイの姿は見当たらない。謝るなら今が好機だ。

「ロザリー、少しいいか? 個人的に話したいことがある」
「なに?」
「実は……」
「二人ともおはようね!」

 とここで、どこかで出待ちしていたのかと言いたくなるほど素晴らしいタイミングで、レイが元気よく挨拶をしてきた。
 そしてレイの姿を見るや否や、イルリが口を開く。

「ブレイブ・リンツの皆さま全員揃いましたね? それでは一つ、わたくしから御伝えしたいことがございます」
「伝えたいこと? 俺たちに?」
「はい! この度、正式にブレイブ・リンツのメンバー全員の昇級が決まりました! おめでとうございます!」

 昇級が……決まった?
 イルリの言葉が耳に届き、俺はその場で固まった。

「う、嘘じゃないのか?」
「嘘など吐きません! 皆さま揃って一段階の昇級となります!」

 一段階の昇級。
 つまりこの前言っていたように、レイは鉄級二つ星になり、ロザリーは鉄級三つ星に、そして俺は……。

「銅級、二つ星……この俺が……」
「ちょ、ちょっと!」
「あわわっ、危ないね!」

 思わずよろける。
 それをロザリーとレイが支えてくれた。

「……す、すまない」
「別にいいけど、それにしても驚き過ぎよ」
「腰でも抜けたね? 肉食べてもっと力付けるといいね、たとえばフルコースとか」

 二人に気を遣われるが、驚くのも無理はない。

 先日のイルリの話では、昇級する見込みだと聞いていた。
 だが、直接言われてもまだ俺は半信半疑だった。

 約五年。
 それだけの月日を足踏みし続けたのだから、疑ってしまうのも仕方あるまい。

 でも、ようやく叶う。
 五年掛けた努力が、実を結ぶときがきたのだ。

「……っ」
「リジン……泣いてるの?」
「これはもっと驚きね」

 ダメだ、我慢できない。
 昇級が現実となったことで、それが涙という形で溢れてくる。

「……情けないところを見せてしまったな」

 服の袖で目元を拭い、心を落ち着かせる。
 そして傍に居るロザリーとレイ、イルリへと目を向けた。

「情けなくなんてないわ」

 すると、ロザリーが口を開く。

「リジン、その涙は貴方が頑張ってきた証よ。だから誇りに思いなさい」
「……お前な、もっと泣かせるつもりかよ」
「いいじゃない、減るもんじゃないんだから」
「そうねそうね! もっと泣けばいいね!」
「ちょっとレイ、言いすぎだから!」
「イルリも言ってやるね!」

 いつか金級冒険者になる。そう思って今まで生きてきた。
 それがいつしか叶わぬ夢と現実を見るようになり、銅級一つ星に甘んじていた。

 アタッカー不要論が常識となった世の中で、冒険者として生きていくこと自体諦めようとも考えた。

 だが、リンツ街に拠点を移す際にロザリーと出会い、ブレイブ・リンツを結成し、レイがパーティーに加わった。

 それから暫くして、俺は再び……夢を見たいと思った。
 金級冒険者になるという大それた夢を……。

 確かにそれは困難な道程だ。
 しかしながら、このパーティーの仲間たちが一緒であれば、それも不可能ではない。

 昇級の喜びを噛み締めながらも、ふと俺はそんなことを考えるのであった。