「あー、緊張する……」

 ダメだ、胃に穴が開きそう。
 いや、ひょっとしたら既に開いている可能性も……。

 ということは今すぐ病院に直行した方がいい。
 うん、そうしよう。

 ところでこの世界、病院ってあるのかな?
【ラビリンス】だと病院自体がなかったから、ここでも無いような気がする。

 ……まあ、回復魔法が使えるからそれで何とかしろって話なんですけどね。

 とにもかくにも翌朝、見張り台から視認できるほどの距離まで、二千の王国兵は近づいていた。

「王国兵をぶっ殺せー!」「一人十人ノルマだ! やるぞー!」「罠は仕掛けたか! 上手いことあいつらをおびき寄せるんだぞ!」「任せろー! 一網打尽にしてやるぜー!」

 いきり立つ領民たちと、兵士たち。
 ローテルハルク領のために動いてくれるのはありがたいけど、ちょっと生き急ぎすぎとは思いませんか?

「お嬢様。開戦準備を終えましたので、そろそろよろしいですかな」
「……ええ、分かっているわ」

 レバスチャンの指示を受け、あたしは城下町の広場へと向かう。
 そこであたしの号令を以って、この戦争の火蓋が切って落とされることになる。

 もちろん、そんなことはさせない。

「損な役回りよね……」

 思えばあの日、レミーゼに成り済ましたときから、全ては始まっていたのかもしれない。

 アンとドゥのことなんて放っておいて、一人で逃げてしまえばよかった。
 ローテルハルク領が滅びる未来は確定事項なのだから、見て見ぬ振りをしていればよかった。

 でも、できなかったんだからしょーがない。
 今のあたしはレミーゼ・ローテルハルクなんだから、その役目を全うする義務がある。

 広場の舞台に上がると、みんなの顔がよく見える。
 後ろめたい気持ちがあったから、正直に言うと真っ直ぐに見ることができなかった。

 けれども、目を背けるのは、もう止めだ。
 あたしと、もう一人……力を合わせて、今よりも前へと進むために……。

「見てなさい」

 ボソリと呟く。
 その相手は、地下室に眠る二人に向けたものだ。そして、

「? おい、あいつ誰だよ?」「なんで舞台に上がってんだ?」「あの顔、どこかで……」「アレだよ、あの女だよ!」「王国の手先だ!」「舞台に上がったぞ!」「レミーゼ様を守れ!」

 ざわざわと声が溢れ出す。
 と同時に、その人物――フレア・レ・コールベルを取り押さえるために、兵士たちが舞台へと上がる。

「静まりなさい!」

 そしてそれを、あたしは止めた。

「フレアに対する全ての行為は、このあたしへの宣戦布告とみなすわ!」

 だから静まれと。
 あたしは、ここに居る全員に向けて、言葉をぶつける。

 そいつは罪人なのに、どうして庇うようなことをするのか。
 誰もがあたしの行動に異を呈していることだろう。

 それは至極当然のことと言える。
 でも、それでもあたしは守らなければならない。フレアと、みんなを……。

 今にも開戦しそうな一触即発の空気の中、あたしはできることなら逃げ出したいと思っている。

 だけど、それはできない。
 今ここで、背を向けて逃げ出してしまえば、この場に居る全員が不幸になってしまうだろう。【ラビリンス】と同じ結末だけは迎えさせてはならないのだ。

 本当のあたしはレミーゼではないし、ローテルハルク領の民でもない。
 それにそもそも、この世界の人間ですらない。

 でもあたしは……今のあたしは、……レミーゼなんだ。

 アルバータ・ローテルハルク公爵の一人娘――レミーゼ・ローテルハルクに成り済ましているんだ!

 だから、絶対に引くことはできない。

【ラビリンス】の元プレイヤーであるサイダールの思い通りになんてさせないし、シナリオ通りの死に方なんて真っ平ごめんだ!

 数え切れないほどの非難の視線を浴びることで、フレアがあたしの手をギュッと握る。

 不安なのだろう。
 当たり前だ。不安なのはあたしだけじゃない。
 フレアも、ここに居るみんなも、そして迎え撃つ王国の兵たちも……。

 あたしは、その全てを救ってみせるよ。

 それから一言。
 開戦を前に、声も高々にレミーゼ節をお見舞いする。

「我が愛すべき子たちよ、聖女たるあたしの金言に、暫し耳を傾けなさい」