部活が始まり、基礎練習をしている頃電話が鳴った。
 普段は毎日時間厳守で来ているマネージャーの三森がいないのでおかしいと思っている頃だった。
 スマホを耳にあて、聞く。
「おい、どこにいるんだ?部活に来ないなんて珍しいな」
 だけど、返事はない。先に行っててと言われたから行ったけど、トイレ以外の何かだったのか。
「電話してきたのそっちだろ?なんかようか?」
「わかったよ、犯人」
 ピンと来ないが、何を言いたいのだろうか。
「犯人って?」
「鍵を持っている犯人だよ!誰かわかったから」
 昨日から無くしている鍵の犯人がわかったらしい。
 洋馬に鎌をかけたけれど、彼が特別怪しいとは思わなかった。
 その犯人がわかったのならすぐに鍵を返してもらって職員室に返せれば、安心だ。
 問題は一件落着といったところか。
「よかった、じゃあ、鍵を返してもらって、俺に渡して。そしたら、職員室に返すから」
「でも、なんか、そんな様子じゃない」
 言っている意味がわからなくて、次の句を待つ。
「人がいないか確認している様子だよ……。待って、録画したやつ送る!」
 送られてきた動画を確認するとそこには洋馬が、教材室のドアを閉めている様子が写されていた。
「……これ、なんで」
 やはり、昨日三木谷と何かあったのか?
 昼休みに何かあって、それ以降鍵をこいつが持っている?
 三木谷は、洋馬を嫌ってた。
 鍵を預けるなんて真似はしないだろう。
 ならば、洋馬が鍵を持っている理由は?
「やば!バレた!」
「え?」
「すごい剣幕で追ってくる!」
 三森の焦りに違和感を抱く。
 洋馬がそこまでして三森を追いかける理由は何?
 彼は、三木谷に殴られたりして精神的に参ってたはずじゃないだろうか。
 そんな気力どこから湧くのか。
「三森、今どこ?」
 何かあってからでは遅いと体育館を飛び出す。
「わかんない!どこに逃げたらいい?」
「とりあえず、降りてこい!職員室に行けば、先生がいるだろ!人がいるのに、追いかける真似なんて洋馬がするとは思えない」
 洋馬の声が、電話越しで聞こえる。
 確かに、すごい剣幕だ。待ての一言にこんな勢いは聞いたことがない。
 なんだか嫌な予感がする。
 西側の階段を上る。
「聞こえてるなら、返事しろ!」
 しかし、それ以降彼女から声は聞こえなかった。
 必死に息を切らしながら走っているようで。
 ドンドンとドアを叩く音が電話越しに聞こえた。
 洋馬に捕まったのか?
 急いで、二階にある職員室に来た。
 担任に洋馬の居場所を聞くが知らないと言われ、振り出しに戻った。
 彼女の電話に耳を傾けると、とんでもない言葉が流れてきた。洋馬が三木谷を殺したのか?という問い。
 三森らしくもない冷静さを欠いたような声音。恐ろしさに怖気付いたような声にも聞ける。
 洋馬と相対しているのは、危険ではなかろうか。
 職員室を出て聞き耳を立てる。彼女が必死になっている声が聞こえて、東側の階段を駆け上る。
 その直後、電話が切れた。
 三階まで上ったというのに電話が切れてしまってはどうしようもない。
 このまま駆け上がるより、人を呼んだほうがいいのではないだろうか。
 もしも三木谷が殺されたとして、殺したのが洋馬だとして、それが本当だとするならば。
 このまま一人で洋馬と会うのは危険だ。
 三森が俺を頼った。きっと何かしらの感情があったはずだ。だが、それは恋でも愛でもなんでもない。
 それらの一切を無視しても彼女は大事なことを伝えようとした。
 無駄にするわけにはいかない。
 職員室に戻り、担任を呼ぶ。
 洋馬が人を殺したかもしれないと訴える。
 普段真面目な生徒でもある俺の言葉に耳を疑う担任。
 一応、美園先生と二人でつけてくれるそうだ。
 そんな中、三森からLINEが来る。
『いつもいる教材室にきてほしい』
 彼女にそんな余裕はあっただろうか。
 電話越しで聞こえた声に余裕はなかったはず。
 洋馬からの挑戦状に思えた。
 こんなにも頭が働くのは、三木谷が連絡もなく突然学校から消えたこと、三森の冷静さのない声に助けを求められた気がしたこと。
「洋馬はどこにいるんだ?」
 先生が、問う。
 思えば、彼女が今どこにいるのかまで教えてくれなかった。
 逃げている様子ではあった。
「足音とか聞こえませんでした?焦っているような」
 彼女は、電話を切る前に何かを叩いていた。それも結構響くような音だ。
「扉……」
 狭い環境なら扉だけでもよく響くだろう。
 下に降りるよう伝えた。しかし、降りることがなかったということは、上に逃げた。
「東側の階段って」
「屋上があるけど、屋上は鍵がかかってて逃げられない。ていうか、お前、教材室の鍵返してくれないとまじで俺が怒られる」
 ふざけている暇などないというのに、切迫感が伝わっていないのだろうか。
「後で、ちゃんと返すので」
「まぁ、いいけど」
「四階に行けます?三森がいるかもしれない」
「二人で行こうか」
「俺は、ちょっと教材室に行きます」
「このタイミングで、教材室?鍵がそこにあるとでも?」
 先生に言われてしまって、都合がいい気がしたのでそういうことにした。
「終わったら、教材室から職員室に行きます」
 わざわざ教材室を強調した。
 もしも洋馬に殺されたとしても三森を見つけ出せなくても、先生たちが後はなんとかしてくれるだろう。
 西側の階段を上り、三階の教材室に到着した。
 いつも使う教材室だ。
 洋馬が鍵を持っている犯人だとして、三木谷を殺す動機はなんなのか。
 ただの事故ならやり直せる。彼を説得してみせる。
 辺りを見回してみたが、誰もいない。
 おかしい。
 三森がいてもおかしくないはずなのに。
 彼女が死んだかどうかもわからないというのに。
 ドアノブをひねる。どうやら、空いているらしい。
 ドアを開けると風が入ってきた。小窓が空いている。
 三森が明けたのかと思う。LINEでわざわざ連絡してくるくらいだ。
 今さっきまでやっていたことは、単なる悪ふざけだったのだろう。
 気が抜けた刹那、視界に倒れている女子が写った。
「……三森!」
 倒れている彼女の隣にしゃがみ込み、肩を揺する。
 反応がない。
 顔を鼻あたりに近づけて、息をしているか確認する。しかし、反応はなかった。
 死んでいることがわかる。
「おい!三森!?三森!!」
 心臓マッサージをするために両手を彼女の胸に当てる。
 生き返ってくれ!
 こんなことなら、美園先生を連れてくるべきだった。担任でもいい。必要だった!
「もう死んでるよ」
 どこからか声が聞こえる。悪魔が囁いたようなゾッとした恐怖が体を包む。
 誰だと、辺りを見渡す。
 扉の先から人影が見える。光が反射して顔が見えないというのに、その人物に思い当たる節がある。
「洋馬……。お前が」
 手元には鉄パイプがある。
 先生がくるまで時間稼ぎをする。ちゃんと戦闘するつもりはない。
 こいつがなぜそんなことをしたのか問いただす必要がある。
 今ならまだ間に合う。
「正解。この鉄パイプは三木谷にやられたものだっけな」
「三木谷がそこまでやるとは思えない」
「相澤は三木谷を止めなかった」
 話を聞いてくれていない。話し合うつもりはないと言うのか。
「……だから、なんだ。三森を殺す動機にはならない」
「動機は今、言っただろう?三木谷の暴力を誰も止めなかった」
「だから」
「お前も同罪だ」
 話し合うよりも先に俺を殺そうという気迫を感じる。
「俺を殺すのは、彼女のスマホが電話で俺と繋がっていたからか?」
「それ以外にない。僕は、僕が死なないために、生きるために君らから距離を取る」
 やはりいじめの的にしてはいけない相手だったと後悔する。三木谷の考えなしの行動に三森がやられた。どうしてくれんだ。
「そんなの殺していい理由にならない。距離を取るために殺すなんて、どれだけ突き放すんだ」
「なら、最初っから止めてくれればよかった。そうやって人に頼ろうとした僕が間違いだった」
 鉄パイプを頭目掛け振り下ろす洋馬。
 馬のように颯爽と距離を詰められる。バスケと同じ要領でサイドに体を避ける。
「鉄パイプなんか使って勝てるとでも?」
「勝てる武器だから、使ってたんだろ」
 鉄パイプを力任せに振り回し、首元を抑え込まれて、息ができない。
 右足で腹を蹴り上げて、その隙をついて鉄パイプを奪い取る。
 しかし、彼は右拳を右頬に当てる。
 よろけた隙に鉄パイプを床に叩きつけて音を鳴らす。
 先生たちに気づいてもらうためだ。
 刹那、彼は抱きつくかのように腹に何かを突き当てた。
「音を鳴らすのも、僕を刺激するのも、全部時間稼ぎだったわけか」
 もう一捻りされて違和感に気づく。ナイフだ。彼はナイフを俺の腹に突き刺したんだ。
 当てただけじゃない。確実なる一発を当てに来たんだ。
 その隙を狙うためにあえて鉄パイプを見せた。三木谷が使ったとブラフを立てて意識を逸らした。
 ただ殺すためなら、三森に驚いている隙に鉄パイプで殴ればよかった。
 だけど、そうしなかったのは。
「どこまで知ってるか、知りたいんだろ?」
 彼は、きっと俺を殺した後でも人を殺す。
 なぜ殺すのか、それを知りたいけれどその時間もない。
 ならば、これから殺される可能性のある相手を探らせないこと。
 この悪魔を野放しにするわけにはいかない。
 ここで封じ込めてやる。
 彼を抱き止めて、身動きを止めさせる。
「お前、何を」
「洋馬が望むことはなんだ?俺たちを殺したら満足か?もっと他に目的があるんじゃないのか?」
「目的?」
「三木谷を殺して、三森を殺して、俺も殺す。その先に何か成し遂げたいことがあるんだろう?」
「……ない」
「…………は?」
 ナイフの痛みと彼の見えない思考に顔が歪みそうになる。こいつの前で弱くなってはダメだ。
 強くあれ。余裕のある顔を見せてみろ。
「あるわけない。生きるために必要なことだった」
「殺すことが?」
「殺すのは手段に過ぎない。別に、本気じゃなかった……」
「じゃあ」
「僕はただ普通に生活したかった。普通の学校生活……部活動……恋愛……。ただ、普通が良かった……」
「今なら……まだ……」
「いいや!!間に合わない!!僕はもう普通じゃない!悪魔にでも何にでもなってやる!普通の生活を得るために!そのためならなんだってやる!」
 その気迫に圧倒された。
 俺が求めている普通は案外楽に手に入ったのかもしれない。スカートだとかちっぽけだったのかもしれない。
 彼が禁忌を犯してでも手に入れようとしていた普通。気が気じゃない。
 だけど、気づいて欲しい。ならば、なぜみんなお前を気にかけてくれるんだ。
 俺は誰も気にかけてはくれない。三森も三木谷もみんな、俺はできる側の人間だと思ってる。できることなんて何もない。部活だって朝から晩まで毎日練習して、部活のない日でも体育館を借りて練習した。
 お前と同じはずなんだ。
 洋馬も同じような生活してたはずだろう?新人戦に出るために必死に練習したはずだろう?あんな結果になったのは、お前だけのせいじゃない。
 お前をみてくれる人はたくさんいるだろう。里中部長はどうなんだ?あんなに気にかけてくれる人、泣かせるなよ……?
 俺はみんなができる人だって思われて、そうするしかない。弱さなんて見せられない。
「弱さを見せられるお前が、何言ってんだよ……」
 俺は、強がってるだけだ。それがいつしか誰も気にも留めない当たり前になっていった。そして、普通になった。
「お前は、どっかで普通になれたはずなのに……誰だって頼れるじゃないか……。まだ間に合う……。自首しよう、な?」
「勝手なことばかり言いやがって!!そうやってまだ時間稼ぎしようとするのか!?お前らほど普通の生活ができる奴らに何がわかるっていうんだ!」
 ナイフがもう一捻りされる。血反吐を吐いた。彼の肩にも付着した。
 本気で殺すと決めた彼の手は、思いはもう誰も止められないのだろうか。
 視界が歪んでる。もう死ぬのか?俺が?
 力が抜けたようで、彼に体重を預ける形になった。
 彼は俺を投げ飛ばし、三森の隣に倒れた。
 目を閉じる彼女の死体。俺はその隣で死体となる。
「お前と二人きり。いい恋愛じゃないか。最高の演出だろ?」
 そうか。みんな勘違いしているんだ。
 三木谷も気を遣う。知っていた。
 三森が俺を好きだということ。
 でも、あぁ……。そうか、俺はスカート履く嗜好を普通じゃないと決めつけて普通じゃない人間として見てもらいたかったのか……。
 だから、普通じゃない自分を知ってもらうために恋愛も何もしてこなかった。
 周りから思われていたような関係性ではないというのに。
 もしかして、洋馬もあの歳上の子とはそういう関係ではなかったのか?これも想像の範疇にすぎないのか?
 彼は、勘違いしてる。
 普通でいるためとか関係ない。
 俺はただ三森に恋愛感情を抱かなかっただけ。
 お前も俺のこと見れてない。
 お互い様じゃないか。
 恨むなよ。
 弱いくせに、強がって、カッコつけて、人まで殺して……。
 結果、醜い悪魔になっちまったんだ。
 それもお互い様なのかな。
 俺もお前のこと羨ましかったし、恨んだ。
 部長に守られてんじゃん。他の部員や顧問が来ない中、何度も部長が声掛けに来てくれるなんてよぉ。
 羨ましいじゃんか。
 お前なら大丈夫なんて思われてない。
 一人の弱い人間として見られてたくせに。
 あぁ、俺は三森の隣で死ぬのか……。
 なんも、できなかったなぁ。

 彼が憎しみの目を向けながら、扉を閉める。
 鍵が外から掛かる。鍵、洋馬が持っていたんだな。
 血反吐を吐いた俺は、視界が暗転して死んだ。