「お疲れー」
 普段は、三木谷が三森にいう言葉に続いて手を振るだけの俺が彼女に伝えた。
 しかし、今日に限ってはその三木谷がいない。
 正確には、今日の昼頃からだ。
 何があったのか。強いて思い出すのなら最近イジメの的になりつつあった洋馬をストレス発散に呼び出したことくらいか。
 せっかくセットしていた髪の毛がいつの間にかセットしなくなり弱者の虚な目にかわいそうだという思いもあったが、三木谷は暫定補欠メンバー。いなくても部活に支障はない。
 しかし、レギュラーメンバーに嫉妬するというのはよくわかる。
 レギュラーが体の不調を訴えなければ出られる。遠征があったとしても行くだけ。他の補欠が選ばれがちなので、三木谷が試合に出ることはない。
 そんな補欠は、水だったり風をあてたりとマネージャーとしての側面も試合中は担ったりする。
 三木谷にとってそれはとても屈辱的なことの一つだったのだろう。
 彼が洋馬を嫌うのは、レギュラーメンバーでありながら部活に参加していないということが一つのきっかけだ。
 一年生の新人戦では、サッカー部の場合、推薦入試で通った生徒が優遇されると噂されるほどだったため、洋馬という生徒はかなり異端であり、バスケ部内でも話題に上がった。
 一方のバスケ部は、推薦だろうが関係なく実力だけで評価される。
 三木谷は、推薦で入り実力は評価されなかった。
 この学校で、一般入試となると内申点もそれなりに必要な高校であり、普通のレベルじゃまずきついとされているため、みんなこぞって運動部で特待生を狙ったりなんかもする。勉強面だけで勝負する人は運動部所属ではほとんどいない。
 だから、勉強だけで勝負した生徒に負けた三木谷に随分と惨めな結果だ。
 三木谷にとって洋馬という存在は、本当に嫌なやつだろう。勉強で勝負して、部活でもレギュラーになれた。
 部長から部活に参加してほしいと頭を下げられるほど、推薦の奴らよりもサッカーのスキルがある。
 昨日チラッと見たが、年上の彼女もいるみたいだ。これでは三木谷の勝ち目はないだろう。
 だが、一体三木谷は洋馬をどうしたかったのだろうか。
 いじめたかっただけだろうか。だとすると随分とまた惨めである。
 俺は、洋馬を見た時なんだか仲良くなれそうだと思った。部活も違うし、普段三森、三木谷と関わるため接する機会はほとんどなかったけれど。彼と同じで一般入試でこの学校に入り部活に参加した人間の一人なので惜しいことをしたなと思う。
 しかしながら、彼の気持ちが少し気になっていたりする。部活にどうして参加しないのか。新人戦出場に抜擢した彼が辞める理由は聞いてみたい。余計なお世話な気がして何もしていないけれど。一切の干渉をしていないのだが。
「ねぇ、考え事?」
 三森が、俺の顔を覗く。
「いや、まぁ」
「部活ではないんじゃない?」
 察しがいい。
 彼女は女の勘が鋭いのか単に洞察力があるのかわからないが、頭がキレる。
「三木谷は、どこに行った?」
 気づいているとは思うが、聞いてみた。
「いつもの教材室じゃないの?」
「それがさ、いなかったんだ」
「いなかった?」
「誰もいない」
 行くか?と部活帰りの昇降口付近でいう。
 彼女は頷いたので、回れ右をして二人で三階の教材室に向かう。
「部活に行く前にチラッと見ただけなんだけどさ」
 三階に到着して、教材室を開ける。
「鍵、開いてるね」
 三森の言う通りだ。
 普段は、美園先生と裏でコンタクトを取って鍵を借りている。
 もし鍵が俺の手元になかったら怒られる可能性がある。
 彼がどこに置いていったのか、聞いておかなければならないとLINEをしたのに返事はない。
 突然消えるなんて超常現象があるわけないのだから、何かに巻き込まれていないといいと願う。
「早く鍵だけでも回収して帰りたい」
「先生に返せなかったらどうする?」
「信用がなくなる。とりあえず、今日はいないから明日でも悪いことはないけど」
 電気をつけて、あたりを見渡す。
 人の気配もない。
 ふと後ろで走っている足音が聞こえた。
 誰だろうかと振り返るけれど、廊下の電気は消えているため人の影すら見えない。
「このダンボールとかどかせばいるんじゃない?」
「よくてゴキブリだろ」
 ダンボールをどかそうとする彼女の提案を断る。
「ゴキブリの対処なんてしたくないぞ」
 ぶーっと頬を膨らませる彼女。
「なんだか臭うな。窓開けよう」
 帰るだけだけれど、ここをよく居場所として使っている身としてはこの先も長く使いたい。
 先生たちがタバコを吸うため開けておかないの匂いが残ってしまう。
 小窓を開けると外には制服姿の生徒が見えた。
 部活帰りだろう。吹奏楽部なんかは制服姿で帰宅する生徒もいる。
 上からでも電車時間に焦っている様子が窺える。
「なぁ、あの男はなんであんなに大事そうにカバンを持ってるんだ?」
 三森が隣に来たので、指をその男子に向ける。
「ん?ほんとだ」
 ここから見ていれば、人影があるわけなので気配に気づきそうなものだ。
 一直線に歩いているように見える。他が見えていないよう。
「暗くて全然、見当つかないよ?男子生徒?」
 感覚で男子生徒だと思っただけ。
 彼女の言う通り、暗いためはっきりと断定できない。女子の可能性もある。
「まぁ、確かに」
「なぜ、男子だと思ったのか」
「ズボンだったから。今、スカート履く男子もズボン履く女子もいるからなんとも言えないけどさ」
「少ないけどね。スカート履く男子」
「……まぁ、な」
 時代だからと揶揄される昨今、多様性の文化とやらが学校にもあるわけで。
 自分がゲイだと言うやつ、レズだと言うやつ、トランスジェンダーなどなど。
 悪く言うならば、わがままが曲がり通る世の中になってしまっている。
 もしも、この先この解釈が部活の大会に使われたなら、女子部活の大会に身体が男の人間も出てくる。
 実際、オリンピックでも男性が女性の大会に出場した話は聞いたことがある。これは正しいのかどうか。
 この学校にもその正しさとやらは反映されるのか。
 その場合、傷つく奴は今の倍以上だろう。
 男子が女子を名乗って、女子バスケのチームに参加した場合。
 実力で評価される男女混合である剣道部が、女子枠を作って評価を始めた場合。出し始めたらキリがない。
 この学校の剣道部は、女子生徒が少なく男子が多いために男子の強い人が多く選ばれがちだ。
 これを男女不平等、男尊女卑だと言われようものなら、ありえなくもない話になっている。
「スカート履く男子とかぶっちゃけキモいし」
 三森の発言は、少なからず他の女子生徒も思うことらしい。
「学校はちょっとって思うよな」
 彼女の意見に同意する。否定はしないけど、近くにはいて欲しくない。そういう意見も理解あると評してくれないのは、肯定こそが理解への一歩だと本気で思っているからなのか。それを時代のせいだと言うのは、本当はみんながどこかで気持ち悪いとか思っているからじゃないのだろうか。
 しかしながら、興味を持ち家でスカートを履いた時、なぜだかこれだと思う自分がいた。なんだか気持ちがいいのだ。自分らしさを感じてしまったことがあった。隠さなければならないことな気がして、誰にも言えていない。言うつもりもない。
 だから、今は彼女に合わせている。間違いじゃないはずなのに、間違えているような気分だ。
 スカートを履くことが、今のジェンダー感の問題なのか、それともただの趣味範囲なのか。
 人に言えば、現代のジェンダー感で評価するだろう。そんなことしてほしいとは思っていない。
 理解を示して欲しいと思ってない。間違いでいいから、評価されたくない。
 こんなちっぽけな声は届かないのだろうか。
「だいたい、スカートでもズボンでもいいよね?自由にやっていきましょうって流れでしょ?男子みんながスカート履き出したら、宗教みたいだよね」
「気持ち悪いな」
「ね、そうだよ。相澤は、普通だよね?恋愛も趣味も、そう言うのないよね?」
 グワっと時空が歪んだ気がした。外の月明かりが俺たちを照らす。三森に聞かれたくなかった言葉だったのかもしれない。
 夜風が当たり、感覚が戻る。窓を閉めて扉に向かう。
「ないよ」
 電気を消して、帰ろうと促す。鍵はバレなければまた明日でもいいだろう。
 彼女の表情は見えなかった。どんな顔をしていたのだろう。今のままがいい俺にとって、それ以上を知りたくなかった。家に帰ったら誰もいないところでスカートを履く。その格好で勉強したり、ゲームをしたり。
 俺は彼女にどんな表情をしていただろうか。
 彼女には見えないとして、普通の声で普通を態度を装えただろうか。
 スカートを履く趣味がバレてしまったらどうしよう。そんな焦りでバレてしまっていないだろうか。
 俺が、正しくないのはわかっている。言われても仕方ない。気持ち悪いこともわかっている。
 だから、俺は黙ってる。三木谷にも三森にもバレてはいけない。いいんだ、隠し事の一つや二つ誰だって持ってる。
 グイグイと袖を引っ張る彼女。彼女は恋心を僕に抱いている。以前、告げられたから。彼女の気持ちに無視を続けて隣を歩く。
 地下鉄に向かう。
「相澤」
 後ろの声に振り返る。
 三木谷かと思ったが牧田だった。
 部活終わりと声をかけると頷く彼、どうやらサッカー部も練習が終わったらしい。
「牧田、部活どう?」
 しれっと隣を歩く牧田。
「全く。相変わらずだよ」
「洋馬は戻れそうにないか」
「あぁ。部長も戻ってきてほしいって頑張ってんだけどな」
「夏休みまでには、決着つけて呼びたいんだっけ?」
 試合が始まるようでその頃にはいて欲しいらしい。
「そうそう。でも、無理っぽいな」
 落胆するでもない彼は、洋馬に戻ってきて欲しいと思っていないような気がした。
「相当きつかったのか、チームからハブられたのは」
 頷く牧田。サッカー部の事情はこれと言って知らないが、つまんなそうに歩く三森の姿に話題を変えようと頭を切り替える。
「いない方がいいってあいつは言うんだけどな。いたほうが、一年もやる気出るはずなんだよ」
「一般入試組だもんな」
 一般入試組がどれだけ部活でレギュラーの座を奪えないのか、よく知っているのは俺だ。
 みんな経験者で中学の頃に結果出している奴らがいるので、その中で勝ち取るレギュラーは、とても気持ちがいい。
 洋馬も同じなので、一年にもそれを理解させられる。一年でもレギュラーの座を奪える。それは、チームの士気が上がると言うこと。二年になるとその差もなくなるけれど。
 一年の新人戦でレギュラーを奪った洋馬はすごいことだが、一方で嫉妬や反感も買いやすい。牧田はレギュラーに選ばれたみたいなので、そういった感情はなさそうだ。
「おまけに彼女いるっぽい話だろ」
 以前、牧田が俺と三木谷、三森がいる前で『ケンカみたいなことを昇降口付近でしてた』と教えてくれた。
 なんでもスタバの店員だそうで、可愛いらしい。
 三木谷のようにレギュラーを取れず彼女もいない人間は、今よりも嫌うだろう。
 だとしても、やっていいことと悪いことがあると幼稚な三木谷は知らないらしい。だから、彼女もできないんだよ。
「そういや、三木谷は?まだ見つかってない?」
「まだだな。昼から突然消えた」
 今日の昼、三木谷は洋馬を連れてどこかへ出て行ったことを思い出す。
 明日、洋馬にその真相を聞いてもいいのかもしれない。三木谷に何をされたのか。彼には殴ってもないし、暴言も吐いてない。三森もきっと同じだ。もういい加減、殴るのはやめろと注意しなければならない。部活にも響くぞと伝えれば、彼はやめると思う。彼のせいで俺たち二人にも迷惑がかかるのはごめんだ。
「神隠しかなぁ」
 と言う三森のぶりっこに構うつもりはない。
「教材室の鍵だけでも見つけておきたいんだけどな。あいつに取られた気がするし」
「マージか」
 三木谷は、電車が逆方向なので改札を通った後に別れた。
「三森も見つけたら教えて」
「はーい」
 そう返事はあるもののあまり期待していなかった。
 彼女は、俺の周りにいる人を排除しようとする。二人だけの空間を作りたがる。そんなことしても三森を好きになる可能性は一切ない。
 一方、三木谷がいると彼女がキスやハグといった暴走をすることもないので安心できる。
 三森と付き合うつもりのない俺にとってただこの環境が平和であればいいのだ。それ以上は望まない。
 世間一般の普通に擬態して、ただ普通な生活をこなしていく。それだけで十分であり、満足なのだ。ただそれだけで良い。
 しかし、人生は、あまりそう上手くはいかないらしい。