四
ムーシカが聴こえる。
夢うつつで小夜はムーシカを聴いていた。
これ、沙陽さんの声?
このムーシカは確か……。
「小夜! 起きろ!」
突然の大声に小夜は飛び起きた。
柊矢が戸口に立っていた。
「ど、どうしたんですか?」
最後まで言う前に分かった。
外がオレンジ色をしている。
火事だ。
小夜はそれを見た途端、自分の家の火事を思い出して竦んでしまった。
強風が窓ガラスを乱暴に鳴らす。
柊矢は動けないでいる小夜を抱き上げると部屋を飛び出した。
「楸矢! 起きてるか!」
「起きた!」
楸矢が部屋から駆け出してきた。
「うちが燃えてるの?」
「多分そうだ。とにかく避難するぞ」
小夜を抱えた柊矢と楸矢は家から飛び出した。
納屋が燃えている。
消防車のサイレンが近付いてきた。
柊矢は小夜を下ろすと消化器を取りに家の中へ戻ろうとした。
だが、服の裾を小夜が握りしめていた。小さく震えている。
「楸矢、消化器取ってきてくれ」
「分かった」
楸矢がすぐに家の中に戻っていった。
初期消火の効果もあり幸い納屋と母屋の屋根の一部だけで済んだ。
「うげ、びしょ濡れ」
家の中に入った楸矢が言った。
消防車の放水で窓が割れたところから大量の水が入り込んでいた。
「この様子じゃ、濡れてないものは無さそうだな」
「うわ、フルートはともかく、ケースに入れてなかったキタラや笛はやられちゃったかもね」
あ、ヴァイオリン、大丈夫だったかな。
三人は音楽室に入った。
ガラス戸の付いた棚の中でケースに入っていたフルートとヴァイオリンは無事だったがキタラと笛はそうはいかなかった。
「直りますか?」
「なんとかなるだろ」
「て言うか、しないとね。キタラは新しいの買えるだろうけど、この笛はそう簡単には手に入らないだろうし」
音楽室を出ると柊矢と楸矢は自分の部屋に向かった。
小夜は台所の被害状況を見た。
火元の納屋に近かったためにびしょ濡れだった。
ガス台を布巾でざっと拭くと火を点けてみた。
火は点いた。
小夜はお湯を沸かすとココアを三人分入れた。
「パソコンのデータがパーだよ」
「バックアップしとかないからだ」
「うっかりしてたんだよ」
柊矢と楸矢が台所に入ってきたので小夜はココアを二人に渡した。
楸矢は椅子に座ろうとして、
「うわ、これもびしょ濡れ」
と言って立ち上がった。
「これじゃあ、どうしようもないな。明日、清掃業者を手配するとして家の中が元に戻るまでホテルに泊まろう」
柊矢はスマホでホテルの手配をした。
あ、スマホ!
小夜は慌てて部屋に駆け戻った。
スマホは完全に死んでいた。
後から跟いてきた柊矢は小夜のスマホを覗き込んだ。
「完全に水没してるな。明日、新しいスマホを買いに行こう。とにかくホテルへ行くぞ」
「はい」
小夜は鞄の中に入れておいた財布を取ると柊矢の後に続いた。
家から持ってきたもの、また一つ無くなっちゃった。
せめて財布だけは無くさないようにしようと握りしめた。
柊矢は近所のコインランドリーの乾燥機で小夜と楸矢の私服を乾かしてくると二人はその服に着替えて柊矢が予約したホテルに三人で向かった。
おかげで翌朝、小夜と楸矢は外に出ることが出来た。
ただ制服はコインランドリーの乾燥機に放り込むわけにはいかないので当日中に仕上げてくれるクリーニング店に開店と同時に持っていった。
「参ったな。沙陽がここまでやるなんてね」
楸矢がホテルの一階にあるラウンジでコーヒーを飲みながら言った。柊矢は清掃業者の手配や保険請求などの手続きのために出掛けていた。
沙陽のムーシカが聴こえていたのだから彼女の関与は疑いようがない。
しかし小夜や楸矢はともかく柊矢まで狙うとは思わなかった。
柊矢の心が小夜に移ったのが気に入らなかったのだろう。
とはいえ、それは小夜にはどうしようもない。
「あの人達、何かある度に家に火を点ける気かね」
楸矢はそう言ってから、やべっと言うように口を塞いだ。
「小夜ちゃん、ゴメン」
「いいんです」
事実だし……。
火の点いたままのタバコを捨てておけば後は強風を起こせるムーシカで遠くから火を点けられる。
「小夜、楸矢さん、こんにちは」
清美がホテルに入ってきた。さっき小夜が新しいスマホで清美に連絡をしたのだ。
「やぁ、清美ちゃん。お見舞いに来てくれたんだ。ありがとう」
「そんな大層なものじゃないですよ~。手ぶらだし」
清美が笑いながら言った。
「清美ちゃんが来てくれただけで嬉しいよ。ね、小夜ちゃん」
「はい」
小夜は楸矢の言葉に頷くと、
「清美、座って」
と自分の隣を叩いた。
楸矢は清美にコーヒーでいいか訊ねてから注文した。
「へ~、火事って燃えてなくても水浸しになっちゃうものなんですね」
「そうなんだよ。参るよね」
そんな話をしているとき小夜の背後からハイヒールの足音が聞こえてきた。
「せ、聖子さん」
楸矢が思わず立ち上がった。
小夜と清美はすぐに察した。
楸矢の彼女だ。
二人は後ろを振り返った。
聖子は大人っぽい落ち着いた雰囲気の美女だった。
「あ、じゃあ、しゅ、大家さんへのご挨拶もすんだし、向こうで話でもしようか」
「そうだね」
清美と小夜は自分の飲み物を持つと素早く立ち上がった。
楸矢が目で、ゴメンね、と言っていた。
聖子がこちらに歩いてくる。
清美の横を通りかかった瞬間、
「諦めなさい。楸矢は子供なんか相手にしないわ」
と聖子が小声で言った。
そのまま二人は何事もなかったかのように擦れ違った。
「すごい、今のって修羅場だよね」
ソファに座るなり小夜が興奮を抑えた声で言った。
「まさかこんなところで修羅場になるとは思わなかったわ」
「修羅場って初めて見た」
地球人の修羅場って怖い。
ムーシコス同士なら歌で済むのに。
「あれ? この前の怖い人、柊矢さんの元カノって言ってなかった?」
「あ、そうか」
そういえば修羅場になったことあったっけ。
思い返してみるとムーシコス同士の修羅場もかなり怖い。
喉を潰されたり、家に火を点けられたり。
「まだ二回しか会ってないのに修羅場になるってことは、マジになったらどうなるんだろ」
「ちょっと、清美! 彼女がいるうちは楸矢さんに手ぇ出しちゃダメだからね」
「分かってるって。あの人怖そうだもん」
……分かってない。絶対に。
「あ、なんか揉めだした」
聖子がつかつかとフロントに歩み寄っていく。
楸矢が慌てて聖子の腕を掴むと小夜達の方を見て何か言った。
聖子が小夜達を睨むと楸矢に何か言ってホテルから出て行った。
楸矢が小夜達の方へ来た。
「あの人、追いかけなくていいんですか?」
「今は頭に血が上ってるから。参るよね、小夜ちゃん達が見てる前で部屋に行きたいなんてさ」
「私達がいないところでゆっくりお話ししたかったんじゃないんですか?」
「小夜……」
清美が白い目で小夜を見た。
「そうだったのかもね」
楸矢が微笑いながら言った。
「それより、さっきはゴメンね。聖子さんに何か言われたでしょ」
「え!? 聞こえたんですか!?」
「いや、あの人、俺に近付く女の子皆脅してるから、もしかして小夜ちゃん達にも何か言ったかなと思って」
「嫉妬深いんですね」
「清美!」
「あはは。いいよ、ホントのことだから」
楸矢が笑って手を振った。
「柊兄の彼女とその友達って説明したんだけどね。柊兄の彼女が高校生のはずないって言って信じてくれなくてさ。柊兄と同い年の自分だって高校生の俺と付き合ってるのに」
「か、彼女って……」
小夜が赤くなった。
「ホントのことでしょ。何、赤くなってんのよ」
「だ、だって……」
「ま、無事みたいで安心した。明日は学校来られるんだよね」
「うん。行く」
「じゃ、明日ね」
清美が手を振った。
「そこまで送っていくよ」
楸矢がそう言って清美と一緒に歩き出した。
小夜は手を振りながら、結構お似合いかも、と思っていた。
ムーシカが聴こえる。
夢うつつで小夜はムーシカを聴いていた。
これ、沙陽さんの声?
このムーシカは確か……。
「小夜! 起きろ!」
突然の大声に小夜は飛び起きた。
柊矢が戸口に立っていた。
「ど、どうしたんですか?」
最後まで言う前に分かった。
外がオレンジ色をしている。
火事だ。
小夜はそれを見た途端、自分の家の火事を思い出して竦んでしまった。
強風が窓ガラスを乱暴に鳴らす。
柊矢は動けないでいる小夜を抱き上げると部屋を飛び出した。
「楸矢! 起きてるか!」
「起きた!」
楸矢が部屋から駆け出してきた。
「うちが燃えてるの?」
「多分そうだ。とにかく避難するぞ」
小夜を抱えた柊矢と楸矢は家から飛び出した。
納屋が燃えている。
消防車のサイレンが近付いてきた。
柊矢は小夜を下ろすと消化器を取りに家の中へ戻ろうとした。
だが、服の裾を小夜が握りしめていた。小さく震えている。
「楸矢、消化器取ってきてくれ」
「分かった」
楸矢がすぐに家の中に戻っていった。
初期消火の効果もあり幸い納屋と母屋の屋根の一部だけで済んだ。
「うげ、びしょ濡れ」
家の中に入った楸矢が言った。
消防車の放水で窓が割れたところから大量の水が入り込んでいた。
「この様子じゃ、濡れてないものは無さそうだな」
「うわ、フルートはともかく、ケースに入れてなかったキタラや笛はやられちゃったかもね」
あ、ヴァイオリン、大丈夫だったかな。
三人は音楽室に入った。
ガラス戸の付いた棚の中でケースに入っていたフルートとヴァイオリンは無事だったがキタラと笛はそうはいかなかった。
「直りますか?」
「なんとかなるだろ」
「て言うか、しないとね。キタラは新しいの買えるだろうけど、この笛はそう簡単には手に入らないだろうし」
音楽室を出ると柊矢と楸矢は自分の部屋に向かった。
小夜は台所の被害状況を見た。
火元の納屋に近かったためにびしょ濡れだった。
ガス台を布巾でざっと拭くと火を点けてみた。
火は点いた。
小夜はお湯を沸かすとココアを三人分入れた。
「パソコンのデータがパーだよ」
「バックアップしとかないからだ」
「うっかりしてたんだよ」
柊矢と楸矢が台所に入ってきたので小夜はココアを二人に渡した。
楸矢は椅子に座ろうとして、
「うわ、これもびしょ濡れ」
と言って立ち上がった。
「これじゃあ、どうしようもないな。明日、清掃業者を手配するとして家の中が元に戻るまでホテルに泊まろう」
柊矢はスマホでホテルの手配をした。
あ、スマホ!
小夜は慌てて部屋に駆け戻った。
スマホは完全に死んでいた。
後から跟いてきた柊矢は小夜のスマホを覗き込んだ。
「完全に水没してるな。明日、新しいスマホを買いに行こう。とにかくホテルへ行くぞ」
「はい」
小夜は鞄の中に入れておいた財布を取ると柊矢の後に続いた。
家から持ってきたもの、また一つ無くなっちゃった。
せめて財布だけは無くさないようにしようと握りしめた。
柊矢は近所のコインランドリーの乾燥機で小夜と楸矢の私服を乾かしてくると二人はその服に着替えて柊矢が予約したホテルに三人で向かった。
おかげで翌朝、小夜と楸矢は外に出ることが出来た。
ただ制服はコインランドリーの乾燥機に放り込むわけにはいかないので当日中に仕上げてくれるクリーニング店に開店と同時に持っていった。
「参ったな。沙陽がここまでやるなんてね」
楸矢がホテルの一階にあるラウンジでコーヒーを飲みながら言った。柊矢は清掃業者の手配や保険請求などの手続きのために出掛けていた。
沙陽のムーシカが聴こえていたのだから彼女の関与は疑いようがない。
しかし小夜や楸矢はともかく柊矢まで狙うとは思わなかった。
柊矢の心が小夜に移ったのが気に入らなかったのだろう。
とはいえ、それは小夜にはどうしようもない。
「あの人達、何かある度に家に火を点ける気かね」
楸矢はそう言ってから、やべっと言うように口を塞いだ。
「小夜ちゃん、ゴメン」
「いいんです」
事実だし……。
火の点いたままのタバコを捨てておけば後は強風を起こせるムーシカで遠くから火を点けられる。
「小夜、楸矢さん、こんにちは」
清美がホテルに入ってきた。さっき小夜が新しいスマホで清美に連絡をしたのだ。
「やぁ、清美ちゃん。お見舞いに来てくれたんだ。ありがとう」
「そんな大層なものじゃないですよ~。手ぶらだし」
清美が笑いながら言った。
「清美ちゃんが来てくれただけで嬉しいよ。ね、小夜ちゃん」
「はい」
小夜は楸矢の言葉に頷くと、
「清美、座って」
と自分の隣を叩いた。
楸矢は清美にコーヒーでいいか訊ねてから注文した。
「へ~、火事って燃えてなくても水浸しになっちゃうものなんですね」
「そうなんだよ。参るよね」
そんな話をしているとき小夜の背後からハイヒールの足音が聞こえてきた。
「せ、聖子さん」
楸矢が思わず立ち上がった。
小夜と清美はすぐに察した。
楸矢の彼女だ。
二人は後ろを振り返った。
聖子は大人っぽい落ち着いた雰囲気の美女だった。
「あ、じゃあ、しゅ、大家さんへのご挨拶もすんだし、向こうで話でもしようか」
「そうだね」
清美と小夜は自分の飲み物を持つと素早く立ち上がった。
楸矢が目で、ゴメンね、と言っていた。
聖子がこちらに歩いてくる。
清美の横を通りかかった瞬間、
「諦めなさい。楸矢は子供なんか相手にしないわ」
と聖子が小声で言った。
そのまま二人は何事もなかったかのように擦れ違った。
「すごい、今のって修羅場だよね」
ソファに座るなり小夜が興奮を抑えた声で言った。
「まさかこんなところで修羅場になるとは思わなかったわ」
「修羅場って初めて見た」
地球人の修羅場って怖い。
ムーシコス同士なら歌で済むのに。
「あれ? この前の怖い人、柊矢さんの元カノって言ってなかった?」
「あ、そうか」
そういえば修羅場になったことあったっけ。
思い返してみるとムーシコス同士の修羅場もかなり怖い。
喉を潰されたり、家に火を点けられたり。
「まだ二回しか会ってないのに修羅場になるってことは、マジになったらどうなるんだろ」
「ちょっと、清美! 彼女がいるうちは楸矢さんに手ぇ出しちゃダメだからね」
「分かってるって。あの人怖そうだもん」
……分かってない。絶対に。
「あ、なんか揉めだした」
聖子がつかつかとフロントに歩み寄っていく。
楸矢が慌てて聖子の腕を掴むと小夜達の方を見て何か言った。
聖子が小夜達を睨むと楸矢に何か言ってホテルから出て行った。
楸矢が小夜達の方へ来た。
「あの人、追いかけなくていいんですか?」
「今は頭に血が上ってるから。参るよね、小夜ちゃん達が見てる前で部屋に行きたいなんてさ」
「私達がいないところでゆっくりお話ししたかったんじゃないんですか?」
「小夜……」
清美が白い目で小夜を見た。
「そうだったのかもね」
楸矢が微笑いながら言った。
「それより、さっきはゴメンね。聖子さんに何か言われたでしょ」
「え!? 聞こえたんですか!?」
「いや、あの人、俺に近付く女の子皆脅してるから、もしかして小夜ちゃん達にも何か言ったかなと思って」
「嫉妬深いんですね」
「清美!」
「あはは。いいよ、ホントのことだから」
楸矢が笑って手を振った。
「柊兄の彼女とその友達って説明したんだけどね。柊兄の彼女が高校生のはずないって言って信じてくれなくてさ。柊兄と同い年の自分だって高校生の俺と付き合ってるのに」
「か、彼女って……」
小夜が赤くなった。
「ホントのことでしょ。何、赤くなってんのよ」
「だ、だって……」
「ま、無事みたいで安心した。明日は学校来られるんだよね」
「うん。行く」
「じゃ、明日ね」
清美が手を振った。
「そこまで送っていくよ」
楸矢がそう言って清美と一緒に歩き出した。
小夜は手を振りながら、結構お似合いかも、と思っていた。