四

「首尾は?」
 翌日、教室で待ち構えていた清美が訊ねた。
「うん、何とか渡せた」
「普通に口きけるようになった?」
 小夜は首を振った。

「なんで?」
「なんでって……」
 どちらかが口を開こうとするのを狙っているかのように小夜のムーシカ(ラブソング)が聴こえてくるのだ。とても話が出来るような状態ではない。

「じゃあ、次はバレンタインだね。バレンタインにはあたしも柊矢さんに渡すからね」
 そう宣言してから、
「小夜、手作りにする?」
 と訊ねた。

「うん、あんまり甘すぎるのは好きじゃないらしいから、甘さを控えめにしたのを作ろうかと」
「いいこと聞いた。あたしも甘くないの作ろっと」
 と言ってから、残念そうに、
「楸矢さんとも面識があれば渡すのになぁ」
 とボヤく。

「清美、一体何人に渡すの? 本命だけで」
「小夜、両手グーしてこっちに向けて」

 小夜に両手を握らせてから、
「十一、十二……」
 と自分の指を折って数え始めた。

「十五人だね」
「清美、それ多すぎ」
 小夜は呆れて言った。

 万が一複数の男がOKしてきたらどうする気なのだろう。

 それを訊ねてみると、
「ちゃんと優先順位つけてあるから大丈夫」
 と言う答えが返ってきた。

 そんな話をしているとき、ムーシカが聴こえてきた。

 これ、呼び出しのムーシカだ。
 でも、知らない女の人の声……。

 さすがに二度も引っかかるほどバカじゃない。

 後で柊矢さんに報告しておこう。

 しばらくすると今度は沙陽からの呼び出しのムーシカが聴こえてきた。

 沙陽さんからって、明らかに罠だって分かってるのに、それに引っかかるほど頭が悪いと思われてるのかなぁ。

 小夜は密かに溜息をついた。

「さすがに引っかからないわね」
 沙陽が晋太郎に言った。
「そこまでマヌケじゃないだろ」
「授業中だからかもしれないじゃない。放課後もう一度やってみましょう」

 迎えに来た柊矢が車のドアを開けてくれた時、
 あ、また呼び出しのムーシカ。

「どうした?」
 不意に顔を上げた小夜に訊ねた。

「呼び出しのムーシカなんです」
「椿矢か?」
「いえ、知らない女の人です。あと、さっきは沙陽さんが……」
 柊矢は考え込んだ。

 罠なのは分かりきっている。
 側にいても守り切れないことも。

 無視するか。

 行けば何を企んでいるか分かるかもしれない。
 行くなら小夜を家に送り届けてからにしたい。

 だが呼び出しのムーシカは呼び出されてる当人にしか聴こえない。
 この前、沙陽を追い返したときは後で後悔することになった。

 小夜が心配そうに柊矢を見上げている。
 クレーイス・エコーとしての役目を悟る前ならクレーイスを渡すという選択肢もあった。だが今となってはそれは出来ない。
 といっても柊矢は正直渡してしまいたい。

 柊矢はムーシケーの意志を感じたことなどないし、ムーシカを歌う必要があるのだから実際のクレーイス・エコーはムーソポイオスの小夜だけで、柊矢と楸矢は補佐のようなものだろう。

 それは小夜や沙陽だけがムーシケーに行ったことからも明らかだ。
 小夜はクレーイスを柊矢の祖父の形見だと思ってるから柊矢が渡したいと言えば渡してくれるに違いない。

 しかし、それはムーシケーの意志に背くことになるから小夜は心を痛めるはずだ。
 それにクレーイスを渡してしまいたいと思うのは小夜を危険な目に遭わせたくないからで、そうでなければムーシケーの意志とは関係なく沙陽に力を貸すようなことはしたくない。

 クレーイスのこと以外に沙陽が小夜を必要とする理由は思い付かない。
 何より呼び出されているのは小夜だけだ。
 のこのこ行っても小夜が危ない目に遭わされるだけだろう。

「帰ろう」
「いいんですか?」
「罠だって分かってて引っかかるのはバカみたいだからな」
 柊矢は小夜を助手席に乗せると運転席側に回ってシートに座り、車を出した。

「やっぱり引っかからないか」
 晋太郎が柊矢の車を見ながら言った。
 小娘一人なら脅して言うとおりにさせるのも楽だと思ったのだが。

「柊矢なら来るかもしれないわ」
「呼んでどうする」
「仲間になるように説得……」
「して、失敗したんだろ。第一そいつだけ取り込んだってまだ二人残ってる」
 その言葉に沙陽は黙り込んだ。

 沙陽が欲しいのは柊矢だけだ。
 だが、他の二人が邪魔だからと言って殺せば柊矢は敵に回ってしまうだろう。

 なら他の二人も取り込むか。

 楸矢はともかく小夜が無理なのは一度説得に失敗して分かっている。
 祖父の(かたき)というのを抜きにしても小夜は何があってもムーシケーの意志には逆らわないだろう。

「榎矢が家の蔵から何か持ってくると言っていた。それを見てから今後のことは考えよう」

 椿矢は中央公園でブズーキを爪弾(つまび)いていた。
 榎矢が家の蔵から古文書の類をごそっと持っていったらしい。

 椿矢の家は謡祈祷(うたいきとう)と称して代々ムーシカで(まじな)い師的なことをしていた。
 具体的には雨乞いとか、御祓(おはら)い(と称した治療)の類だ。

 今は普通のサラリーマンだが祈祷(きとう)の類を全くしてないわけではない。
 この現代においても科学より超常的な能力に頼りたがる人間がいるからだ。

 榎矢が古文書を持ち出したのは沙陽達との悪巧(わるだく)みのためだろう。
 柊矢達に忠告するか。

 この前の小夜のムーシカはもちろん聴こえた。
 沙陽があれに腹を立ててないはずがない。

 椿矢は残留派だが、沙陽達のうっとうしさを考えると小夜達にムーシケーを溶かしてもらって帰還派はみんな向こうへ追い払いたい、と言うのが正直な気持ちだ。
 追い払った後こちらへ戻ってこられないようにしてもらえれば尚いい。

 柊矢の様子からすると彼も同じ思いのようだが、ムーシケーが拒んでいるからそれも出来ない、と言うジレンマに悩んでいるようだ。
 もっとも柊矢はムーシケーに従っていると言うよりは小夜の意志を尊重しているだけのようだが。

 ムーシケーがなんで拒んでいるのか分かればねぇ。

 そんなことを考えていると、
「椿矢さん、歌いに来たの?」
 顔見知りのOLが声をかけてきた。

「うん。このところ歌ってなかったから、久々にね」
 椿矢は笑顔で答えた。
「やった! 友達呼んでくる。みんな待ってたのよ」
 OLは嬉しそうにそう言うと、同僚を呼びに行った。

 椿矢はブズーキを奏で始めた。

 あ、椿矢さんのムーシカだ。

 清美とお弁当を食べていた小夜が顔を上げた。

「小夜? どうかした?」
「別に。それで? チョコレート、もう用意した?」
「あと五個」
「清美、欲張りすぎ。いくつも配るより、脈のありそうな人に絞った方がいいんじゃないの?」
「それか歌、歌ったりとか?」
 清美が意地悪く言った。

「清美!」
 小夜が赤くなった。
「あれはそう言うんじゃないんだってば」
「じゃあ、なんだったの?」
「それは……」

 ムーシコスじゃない人に分かってもらうのは難しそうだ。
 自分が異星人だとは思ってないが、それでもこう言うとき地球人との違いを痛感してしまう。

 地球人にも聴こえればなぁ。

 肉声は地球人にも聴こえるから目の前で歌えば聴いてもらうことは出来るがムーシコスと同じような反応は示さないだろう。

「小夜はもう出来たの?」
「うん。柊矢さんと楸矢さんの分だけだから」
「楸矢さんに渡して、柊矢さん、焼き餅焼かない?」

「焼いてくれれば嬉しいけど、柊矢さんがどう思ってるか分からないし」
「柊矢さんもあんたのこと好きじゃなきゃ、あんな態度とらないって」
 清美が冷めた口調で言った。

「それならいいけど……。ちゃんと返事聞くまでは……」
「柊矢さんも歌、歌って?」
「柊矢さんは演奏……って、茶化さないでよ!」

 柊矢さんがムーシカを作ったらどんな曲になるのかな。
 素敵な曲だろうな。
 でも、きっと清美には分かってもらえないだろう。

 親友と同じ喜びを分かち合えないのだけが残念だ。