三

 楸矢が学校から帰ってきて台所を覗くと、小夜が食器棚で何かを探していた。

「小夜ちゃん、何してるの?」
「あ、楸矢さん。お帰りなさい」
 小夜が振り返った。

「柊矢さんって、お酒を飲むときどのコップを使ってるのかなって思って」
「そのコップに口を付けて間接キスしようとか?」
「ち、違います!」
 小夜が真っ赤になった。

「もし普通のコップを使ってるなら、誕生日プレゼントにお酒用のグラスはどうかなって」
「いいかもね。柊兄が飲んでるのはウィスキーだからウィスキーグラスがいいと思うよ」
「有難うございます」
 小夜は嬉しそうに礼を言った。

「あ、それと、お二人は甘い物好きですか?」
「あ~、バレンタインも近いね」
「そ、そう言う意味じゃ……」
 小夜はまた赤くなった。

 お誕生日にバースディケーキ、作っても大丈夫か知りたかっただけなんだけど……。

「甘すぎなければ大丈夫だよ、柊兄も俺も」
「有難うございます」

「買い物? いいけど」
 翌日、学校へ着くなり清美を買い物に誘った。

「柊矢さんの誕生日プレゼント買いに行きたいの」
「いいよ」
 清美は快諾した。

「これなんかどう?」
 放課後、小夜と清美はデパートの食器売り場にいた。
 普通の雑貨屋よりデパートの方がいいものが置いてあるだろう、と清美が言ったのでここに来たのだ。

「それよりこっちの方が良くない?」
「あ、あれもいいかも」
「それ、ウィスキーグラス?」
「違うの?」
 小夜と清美は時間を忘れて品定めに熱中していた。

「でも、これ綺麗」
 小夜がグラスを手に取ったときスマホが鳴った。

 グラスを置いて通話に出ると、
「おい! 何してるんだ!」
「あ! 柊矢さん、すみません」
 清美が自分の腕時計を小夜に向けて時計を指差している。それを見ると柊矢との約束の時間をとっくに過ぎていた。

「今から行きます! ちょっと待っててください」
 小夜は慌てて通話を切ると今のグラスを手にした。
 会計をすませ、プレゼント用に包装してもらって品物を受け取ると、清美と一緒に駆け出した。

「遅くなるならなると連絡しろ! 心配するだろ!」
「すみません!」
 小夜と清美は柊矢に頭を下げた。

「もう用は済んだのか?」
「はい」
「じゃ、帰るぞ。君も送っていこうか?」
 柊矢が清美に訊ねた。

「あたしはいいです。またね、小夜」
「何を買ってたんだ?」
「あ、小物をちょっと」
 まさか、当の柊矢の誕生日プレゼントとは答えられず言葉を濁した。

「そうか」
 柊矢はそれ以上追求せずに駐車場に向かって歩き出した。

 夕食の片付けと、明日の弁当の下ごしらえを終えて部屋に戻ると、鞄の中に隠しておいたプレゼントを取り出した。

 グリーティングカード、先に買っておいて良かった。

 引き出しからカードを取り出して開いたものの、いざ書く段になると固まってしまった。

 なんて書けばいいんだろう。
 お誕生日おめでとうございます、だけじゃ素っ気ないよね。

 かといって、好きです、なんて書くわけにもいかない。
 わざわざ書くまでもなく、とっくにバレてはいるのだが。
 小夜はカードを閉じた。

 まだ今日の宿題をやっていない。カードの前でいつまでも固まっているわけにはいかない。
 勉強の息抜きに考えることにしよう。

「書けた!」
 小夜がグリーティングカードを持ち上げて、メッセージを読み返しているとき鳥の鳴き声がした。

 え?

 気付くと外が明るかった。

 嘘!

 慌てて時計を見ると、もう朝食の支度をする時間だった。
 小夜は急いで部屋を飛び出した。

 朝食の支度しながらグリーティングカードのメッセージを思い返していた。
 結局、徹夜して書いたのは、いつもお世話になってます、ありがとうございます、と言う無難なものだった。

 もうちょっと気の利いたことが書けたらなぁ。

 何とか朝食の支度は間に合った。
 食事を終え、後片付けをしてから部屋へ戻り、プレゼントとグリーティングカードを机の一番下の引き出しに入れると制服に着替えた。

「おい、支度は出来たか?」
 柊矢が小夜の部屋をノックした。
「あ、今行きます!」

「小夜、目の下に(くま)が出来てるよ」
 教室で会うなり清美が言った。

「柊矢さんの誕生日プレゼントに付けるグリーティングカードに書く言葉、考えてたら徹夜になっちゃって」
「明日だっけ? 柊矢さんの誕生日」
「うん」
「ぎりぎりだったね。間に合って良かったじゃん」
 清美の言葉に小夜は黙り込んだ。

「どうしたの?」
「どうしよう。どうやって渡したらいいと思う?」
 小夜が狼狽えたように言った。

「は? 一緒に住んでんだからいつだって渡せるでしょうが」
「でも、まだぎこちなくてちゃんと口もきけないのに、プレゼントなんて……」
「それ、分かってて買ったんでしょ」
 清美が呆れた様子で言った。

「だって、誕生日だって知ってるのに何もしないわけにはいかないし、いつもお世話になってるから」
「だったら普通に渡せばいいじゃん」
「それが出来ないから困ってるんじゃない」
 結局、解決策は見つからないまま放課後になってしまった。

 小夜はどうやってプレゼントを渡そうか迷ったまま夕食を作っていた。

 郵送……は、今からじゃ明日に間に合いそうにないし、物がグラスだから割れても困る。
 部屋の前にこっそり置いておくとか。

 そのとき、楸矢がフルートの練習を終えて台所に入ってきた。

 そうだ!

「おやつある?」
「ありますよ」
 小夜は昨日の残りの鶏の唐揚げを温めて出した。

「楸矢さん、お願いがあるんですけど……」
「何? 俺に出来ることなら(なん)でも聞くよ」
 楸矢が唐揚げを食べながら答えた。

「柊矢さんへの誕生日プレゼント、渡してもらえませんか?」
「あ~、それはダメ」
「お願いします」
 小夜は手を合わせた。

「ダ~メ。そう言うのは自分で手渡ししなきゃ」
「でも、まだまともに口もきけない状態ですし」
「だからこそ渡して普通に喋れるようになればいいんじゃないの」
 小夜は溜息をついた。

「小夜ちゃん、部屋の前に置いておくって言うのもNGだからね」
 そう言われてしまっては部屋の前に置いておくという手も使えない。

 やっぱり手渡しするしかないかぁ。
 しょうがない、明日帰ったら渡してすぐに自分の部屋に逃げよう。

 翌日、学校から帰ってきて一旦部屋へ戻ると、プレゼントとカードを持って柊矢の部屋のドアをノックした。

「どうした?」
 出てきた柊矢にプレゼントとカードを押しつけた。
「お誕生日おめでとうございます!」
 そう言うと自分の部屋に駆け込んだ。
 柊矢が礼を言う暇もなかった。

 その日の夕食は柊矢の好きな物と甘さを抑えたバースディケーキを出した。
 柊矢がプレゼントとケーキの礼を言おうとした瞬間、小夜のムーシカ(ラブソング)が流れ始めた。
 すぐに他のムーソポイオスが加わり、霧生家の食卓は気まずい沈黙に包まれた。

 楸矢が風呂から上がって台所に水を飲みに行くと、柊矢が小夜から貰ったグラスにウィスキーをついでいるところだった。
 小夜は部屋にいるようだ。

「柊兄、どうするの?」
「何が?」
「小夜ちゃんのこと。ちゃんと返事してあげなきゃ可哀相だよ」
「分かってる」
 柊矢はそう言うとグラスを持って二階の自室へ上がっていった。