二
柊矢も楸矢も、小夜のムーシカを聴いて大丈夫だと思ったのか、いつも通りに接してくれた。変に気を遣わないでいてくれるのが嬉しかった。
これなら訊いても大丈夫かな?
「あの、柊矢さん」
学校からの帰り、迎えの車に乗り込むと小夜は柊矢に声をかけた。
「なんだ?」
柊矢は運転しながら返事をした。
「送り迎えしてくれるのって、その、沙陽さんがあの火事を起こしたって知ってたからですか?」
「いや、沙陽がやったって言うのは、この前気付いた。だからその場の勢いで問い詰めたんだ。もっと前に気付いてたらお前の前では聞かなかった。悪かった」
柊矢は前を向いたまま謝った。
「いいんです。でも、それならどうして……」
小夜は首を傾げた。
「本物のペンダントを持ってるだろ。あいつら、いずれ偽物だって気付く。そのとき、また襲ってくるはずだ」
小夜は小さく息を飲んだ。
「でも、なんでそこまで……」
ペンダントをスカートのポケットから取り出すと、まじまじと見つめたが特に変わったところはなかった。
「あ、そうだ、柊矢さん、山崎敏夫って……」
小夜の問いに柊矢が左手でラジオを付けてJ-POPを流してる局にあわせた。人気の女性アイドルグループの歌が流れてくる。
柊矢がJ-POPを聴くとは思わなかった。
「この曲をよく聴いてみろ」
小夜は意味が分からないまま曲に耳を傾けた。
「俺も普段はポップスなんて聴かないから最近まで気付かなかったんだが……」
あれ? なんか、この曲……。
普段アイドルの曲は聴かないのに何故か聴き覚えがあるような気がした。
あちこちで流れてるからかな?
ちょっと変わってる曲だから印象に残ったとか?
でも、それともちょっと違うような?
「柊矢さん、この歌……」
「山崎敏夫の曲だ」
「聴き覚えがあるような気があるんですけど」
「これはムーシカをJ-POP風に編曲したものだ。歌詞が日本語になってて歌っているのも演奏しているのもムーシコスじゃないから別物みたいに聴こえるが」
ムーシコスが歌うのは基本的に既にあるムーシカで新しく作ることは滅多にない。
多分、山崎敏夫もムーシコスなのだ。
作曲家になったものの作曲の才能はあまりなかったのだろう。
それでムーシカを借用しているのではないか。柊矢はそう言った。
家に着いて車から降りると柊矢に声をかけた。
「あの、柊矢さん」
「ん?」
「沙陽さんがあの火事を起こしたって知った後でも、私、あの人を憎めないんです。お祖父ちゃんを死なせた人なのに」
祖父のことを口にするとまた涙がこみ上げてきた。
「私って薄情なんでしょうか」
柊矢は小夜の頭に優しく手を置いた。
小夜が柊矢を見上げる。
「それでいい」
柊矢はそう言って微笑んだ。
わ、微笑った……。
胸が痛くなるほど優しい笑顔だった。
「どうした? 鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔して」
「い、いえ……」
小夜は真っ赤になって俯いた。
柊矢さん、ずるい!
好きにならないように必死で押さえてたのに、こんな風に微笑うなんて!
夕食の席に着いてしばらくするとペンダントのことが話題になった。
「あのペンダント、本物なら何か使い道があるっていってましたよね。でも、ホントにそうでしょうか?」
「どういうこと?」
煮物を食べながら楸矢が訊ねた。
「あれはムーシコスが何かに使うものってことですよね? それなら私にも使えるんじゃないかと思って、色々試しましたけど、何も起きませんでしたよ」
「色々って?」
「クレーイスに向かって歌ってみたりとか、握って念を込めてみたりとか」
「ホントに何も起きなかったの?」
「はい。……そういえば、関係あるか分かりませんけど、毎回あの森が見えました。でもそれだけで……」
「それだ」
柊矢が言った。
「どういうこと?」
「沙陽達はあの森に帰りたいんだろ。そのクレーイスで森を呼び出したいんじゃないのか?」
「でも、あの森なら今までに何回も現れてますし、その場に沙陽さんがいたことも何度かありましたよ」
確かに小夜の言うとおりだ。森は今までに何度も現れている。
それなのに何故小夜を襲ったりするんだ?
「けどさ、現れたときに森に帰れるなら俺達も行ってなきゃおかしいじゃん」
「え?」
小夜が首を傾げた。
「嵐の時とか俺達あの森に入ったじゃん。でも俺達を残して森は消えた。森に帰るには何か他に条件があるんじゃないの?」
「それがそのペンダントか……」
それか、クレーイス・エコーと呼ばれた自分達かのどちらかだろう。
そういえば沙陽はパルテノン神殿のようなものがあったと言っていた。
もしかしたら、シャーマンのような者が必要のかもしれない。
それがクレーイス・エコーなのだろうか。
昔、沙陽が森に入っていって消えたときは特別な何かが起きたということか。
知らないことが多すぎる。
椿矢をつかまえてもっと詳しい話を聞くまでは判断のしようがない。
考えるのをやめて、食事の続きを始めた。
柊矢は小夜に、これ以上実験するのをやめるように言うのを失念していた。
夕食の片付けが済むと小夜は自分の部屋に戻った。
お風呂に入る前に、もう少しだけ試してみよう。
ペンダントを机の上に置くと、その前に立って深呼吸した。
えっと、沙陽さんが歌ってたムーシカは……。
目を閉じると旋律と歌詞が浮かんできた。なんのためのムーシカかは分からないが、何かに危害を加えるようなムーシカではないのは理解できた。
小夜は静かに歌い始めた。
次々に斉唱や重唱、演奏が加わっていく。
小夜が歌い始めたのか……。
すぐには何のムーシカを歌っているのか気付かなかった。
が、何気なく外を見ると森が見えた。それも今までより広く空にはあの森の上に浮かんでいた天体まで見える。
沙陽が歌ってたムーシカだ!
これだ!
このために沙陽は何度も歌っていたのだ。
柊矢は小夜の部屋に飛び込んだ。
「おい! 今すぐ歌うのをやめろ!」
小夜は驚いた様子で柊矢を見上げた。
他のムーシコスの歌や演奏は続いていたが小夜は歌うのをやめた。
再度外を見ると森は消えていた。
しまった!
沙陽達に気付かれた!
歌うのをやめさせたことが裏目に出てしまった。
他のムーソポイオスは歌い続けているのに小夜が歌うのをやめた途端森が消えたのだ。
小夜が本物のペンダントを持っていると知られてしまっただろう。
「あ、あの、柊矢さん?」
小夜が戸惑った様子で柊矢を見ている。
「大声を出してすまなかった」
「私、何か悪いことしてしまいましたか?」
小夜が不安げな表情で訊ねてきた。
「いや、何もしてない」
「でも……」
「そいつの使い方が分かっただけだ。驚かしてすまなかった。とりあえず、当分そのムーシカは歌わないでくれ」
「はい」
とはいえ、沙陽達はもう気付いた。
今後はこれまで以上に小夜の身辺に気を配らなければ……。
柊矢も楸矢も、小夜のムーシカを聴いて大丈夫だと思ったのか、いつも通りに接してくれた。変に気を遣わないでいてくれるのが嬉しかった。
これなら訊いても大丈夫かな?
「あの、柊矢さん」
学校からの帰り、迎えの車に乗り込むと小夜は柊矢に声をかけた。
「なんだ?」
柊矢は運転しながら返事をした。
「送り迎えしてくれるのって、その、沙陽さんがあの火事を起こしたって知ってたからですか?」
「いや、沙陽がやったって言うのは、この前気付いた。だからその場の勢いで問い詰めたんだ。もっと前に気付いてたらお前の前では聞かなかった。悪かった」
柊矢は前を向いたまま謝った。
「いいんです。でも、それならどうして……」
小夜は首を傾げた。
「本物のペンダントを持ってるだろ。あいつら、いずれ偽物だって気付く。そのとき、また襲ってくるはずだ」
小夜は小さく息を飲んだ。
「でも、なんでそこまで……」
ペンダントをスカートのポケットから取り出すと、まじまじと見つめたが特に変わったところはなかった。
「あ、そうだ、柊矢さん、山崎敏夫って……」
小夜の問いに柊矢が左手でラジオを付けてJ-POPを流してる局にあわせた。人気の女性アイドルグループの歌が流れてくる。
柊矢がJ-POPを聴くとは思わなかった。
「この曲をよく聴いてみろ」
小夜は意味が分からないまま曲に耳を傾けた。
「俺も普段はポップスなんて聴かないから最近まで気付かなかったんだが……」
あれ? なんか、この曲……。
普段アイドルの曲は聴かないのに何故か聴き覚えがあるような気がした。
あちこちで流れてるからかな?
ちょっと変わってる曲だから印象に残ったとか?
でも、それともちょっと違うような?
「柊矢さん、この歌……」
「山崎敏夫の曲だ」
「聴き覚えがあるような気があるんですけど」
「これはムーシカをJ-POP風に編曲したものだ。歌詞が日本語になってて歌っているのも演奏しているのもムーシコスじゃないから別物みたいに聴こえるが」
ムーシコスが歌うのは基本的に既にあるムーシカで新しく作ることは滅多にない。
多分、山崎敏夫もムーシコスなのだ。
作曲家になったものの作曲の才能はあまりなかったのだろう。
それでムーシカを借用しているのではないか。柊矢はそう言った。
家に着いて車から降りると柊矢に声をかけた。
「あの、柊矢さん」
「ん?」
「沙陽さんがあの火事を起こしたって知った後でも、私、あの人を憎めないんです。お祖父ちゃんを死なせた人なのに」
祖父のことを口にするとまた涙がこみ上げてきた。
「私って薄情なんでしょうか」
柊矢は小夜の頭に優しく手を置いた。
小夜が柊矢を見上げる。
「それでいい」
柊矢はそう言って微笑んだ。
わ、微笑った……。
胸が痛くなるほど優しい笑顔だった。
「どうした? 鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔して」
「い、いえ……」
小夜は真っ赤になって俯いた。
柊矢さん、ずるい!
好きにならないように必死で押さえてたのに、こんな風に微笑うなんて!
夕食の席に着いてしばらくするとペンダントのことが話題になった。
「あのペンダント、本物なら何か使い道があるっていってましたよね。でも、ホントにそうでしょうか?」
「どういうこと?」
煮物を食べながら楸矢が訊ねた。
「あれはムーシコスが何かに使うものってことですよね? それなら私にも使えるんじゃないかと思って、色々試しましたけど、何も起きませんでしたよ」
「色々って?」
「クレーイスに向かって歌ってみたりとか、握って念を込めてみたりとか」
「ホントに何も起きなかったの?」
「はい。……そういえば、関係あるか分かりませんけど、毎回あの森が見えました。でもそれだけで……」
「それだ」
柊矢が言った。
「どういうこと?」
「沙陽達はあの森に帰りたいんだろ。そのクレーイスで森を呼び出したいんじゃないのか?」
「でも、あの森なら今までに何回も現れてますし、その場に沙陽さんがいたことも何度かありましたよ」
確かに小夜の言うとおりだ。森は今までに何度も現れている。
それなのに何故小夜を襲ったりするんだ?
「けどさ、現れたときに森に帰れるなら俺達も行ってなきゃおかしいじゃん」
「え?」
小夜が首を傾げた。
「嵐の時とか俺達あの森に入ったじゃん。でも俺達を残して森は消えた。森に帰るには何か他に条件があるんじゃないの?」
「それがそのペンダントか……」
それか、クレーイス・エコーと呼ばれた自分達かのどちらかだろう。
そういえば沙陽はパルテノン神殿のようなものがあったと言っていた。
もしかしたら、シャーマンのような者が必要のかもしれない。
それがクレーイス・エコーなのだろうか。
昔、沙陽が森に入っていって消えたときは特別な何かが起きたということか。
知らないことが多すぎる。
椿矢をつかまえてもっと詳しい話を聞くまでは判断のしようがない。
考えるのをやめて、食事の続きを始めた。
柊矢は小夜に、これ以上実験するのをやめるように言うのを失念していた。
夕食の片付けが済むと小夜は自分の部屋に戻った。
お風呂に入る前に、もう少しだけ試してみよう。
ペンダントを机の上に置くと、その前に立って深呼吸した。
えっと、沙陽さんが歌ってたムーシカは……。
目を閉じると旋律と歌詞が浮かんできた。なんのためのムーシカかは分からないが、何かに危害を加えるようなムーシカではないのは理解できた。
小夜は静かに歌い始めた。
次々に斉唱や重唱、演奏が加わっていく。
小夜が歌い始めたのか……。
すぐには何のムーシカを歌っているのか気付かなかった。
が、何気なく外を見ると森が見えた。それも今までより広く空にはあの森の上に浮かんでいた天体まで見える。
沙陽が歌ってたムーシカだ!
これだ!
このために沙陽は何度も歌っていたのだ。
柊矢は小夜の部屋に飛び込んだ。
「おい! 今すぐ歌うのをやめろ!」
小夜は驚いた様子で柊矢を見上げた。
他のムーシコスの歌や演奏は続いていたが小夜は歌うのをやめた。
再度外を見ると森は消えていた。
しまった!
沙陽達に気付かれた!
歌うのをやめさせたことが裏目に出てしまった。
他のムーソポイオスは歌い続けているのに小夜が歌うのをやめた途端森が消えたのだ。
小夜が本物のペンダントを持っていると知られてしまっただろう。
「あ、あの、柊矢さん?」
小夜が戸惑った様子で柊矢を見ている。
「大声を出してすまなかった」
「私、何か悪いことしてしまいましたか?」
小夜が不安げな表情で訊ねてきた。
「いや、何もしてない」
「でも……」
「そいつの使い方が分かっただけだ。驚かしてすまなかった。とりあえず、当分そのムーシカは歌わないでくれ」
「はい」
とはいえ、沙陽達はもう気付いた。
今後はこれまで以上に小夜の身辺に気を配らなければ……。