五
学校の帰りに寄り道をせず車で帰ってくると結構時間が余る。
学生だから本来は勉強した方がいいのだろうが小夜はつい歌ってしまう。柊矢も勉強に関しては何も言わない。
まぁ、柊矢さんも楸矢さんも音大付属高校の音楽科だから、普通の勉強より音楽の方を重視しているのかもしれないけど。
とはいえ成績が悪くて後見人の柊矢が学校に呼び出されるような羽目になっても困るので、宿題や予習、復習は真面目にやっていた。
「小夜ちゃん、今日のおやつは?」
楸矢が台所の椅子に座って訊ねた。
もう箸を手に持っていた。
「ごぼうの素揚げです」
「何それ?」
「ごぼうを油で揚げて、少しお塩をかけたものです」
「ふぅん」
楸矢は自分の前に置かれた皿から、五センチほどの長さに切られたごぼうを箸でつまんで口に入れた。
「あ、美味しい。揚げ物の割りには油っぽくないし」
「そうですか。良かったです」
小夜はそう言って微笑むとキャベツの千切りに戻った。
「小夜ちゃん、進路文系選んだって聞いたけど、普通の高校って高一で進路決めるものなの?」
「進学するかとか、するとしたらどの大学を受けるのかとかは決めてなくても一応文系か理系かは選んでおかないといけないんです。受験科目が違いますから」
「受験勉強って難しい?」
「さぁ? 私はまだ進学するかも決めてませんから」
「なんだ、普通の大学に行きたいのか?」
柊矢が台所に入ってきた。
「柊兄! いや、そういうわけじゃ……」
楸矢が慌てたように手を振った。
「行きたいなら行けばいいだろ」
「……いいの?」
楸矢が窺うように柊矢を見た。
「お前の進路なんだから俺の了解は必要ないだろ」
「柊兄は俺のために音大やめたから……」
「それとお前の進路となんの関係がある。俺は音大付属も音大も音楽の授業が多いからって理由で選んだだけだからな。今の仕事は好きなときに演奏出来るから音大へ行く必要がなかったってだけだ」
「柊兄はヴァイオリニストになりたかったんじゃないの?」
「別に。なってもいいとは思っていたが、どうしてもなりたかったってわけじゃない」
楸矢の問いに柊矢の方が意外そうな表情で答えた。
楸矢がそんな風に考えてたとは思ってなかったらしい。
「なんだ」
楸矢が拍子抜けした表情で言った。
「だが、お前の成績じゃ今度の入試は無理だぞ」
「柊兄は夜間部とは言え、すぐに受かったんだよね」
楸矢は参るよなぁ、などとぼやいた。
「音楽の授業が長いからって理由で音大付属に行っていたとは言っても学生なんだから勉強もしてたに決まってるだろ。お前の成績が悪いのはフルートに打ち込んでるからじゃなかったのか」
柊矢の責めるような視線に楸矢は決まりの悪そうな表情で目を逸らせた。
どうやら柊矢は、楸矢が勉強する間も惜しんでフルートに没頭してると思っていたから成績が悪くても何も言わなかったらしい。
普通の大学へ行ってもいいということはフルートに専念していたからと言ってフルート奏者になって欲しいと思っているわけでもないようだ。
単純に音楽が好きなら好きなだけやればいいというだけで、それを将来に繋げるべきとか言う考えはないらしい。
「着いたぞ」
「有難うございます」
小夜は柊矢が開けてくれたドアから車を降りた。
「帰りはいつも通りか?」
「はい。何か変更があったら連絡します」
「分かった」
柊矢はそう言うと車に乗って帰っていった。
「いつ見てもいい男~」
いつの間にか現れた清美がうっとりしたように言った。
「いちいち助手席のドア開けてくれるんだもんね~」
買い物すれば荷物を持ってくれるんだよ、とは言わなかった。言えば、騒ぐに決まっているからだ。
「ねぇ、小夜、ホントにあの人と何もないの?」
嫌なこと聞くなぁ。
「ないよ。ただの保護者」
口にすると少しだけ胸が痛んだ。
「じゃあ、あたしが迫ってもいい?」
「いいけど、あの人の元カノ、すごい美人だよ。それに楸矢さんが柊矢さんは子供は相手にしないって言ってたし」
「元カノが美人ってことは、綺麗な顔は散々見たってことでしょ。なら、もう顔には拘らないかもしれないじゃん」
清美のこの超ポジティブなところ、私も見習わなきゃ。
そのとき、沙陽の歌声が聴こえてきた。やはり、斉唱も重唱もなかった。演奏も楽器が一つだけだった。
これも人を傷つけるムーシカなのかな。
特に嫌な感じはしないが他のムーシコスが加わってないのは何か理由があるからなのかもしれない。
柊矢さん、大丈夫かな。
柊矢は家に戻る途中で沙陽のムーシカに気付いた。
小夜に何かするつもりか?
車をUターンさせると小夜の学校の近くに止めた。
出来ることなら学校に乗り込んで小夜の無事を確かめたいが、さすがにそれをするのは憚られた。
ひどい怪我をすれば救急車が来るはずだ。
ここにいれば分かるだろう。
本来ならば、そんな大怪我をする前に助けたいのだが……。
しばらく待ってみたが救急車は来なかった。学校の校庭からはかけ声や歓声などが聞こえてくる。特に騒ぎにはなっている様子はない。
そのうちに沙陽のムーシカは終わった。
何かの儀式のムーシカだったのか?
鍵がどうのと言っていたが、鍵の使い道は鍵を開けることと相場が決まっている。
つまり開けたいものがあるのだ。
あの森へ行く道、か。
一時間近く待ってみたが何もなさそうなので車を出した。
学校の帰りに寄り道をせず車で帰ってくると結構時間が余る。
学生だから本来は勉強した方がいいのだろうが小夜はつい歌ってしまう。柊矢も勉強に関しては何も言わない。
まぁ、柊矢さんも楸矢さんも音大付属高校の音楽科だから、普通の勉強より音楽の方を重視しているのかもしれないけど。
とはいえ成績が悪くて後見人の柊矢が学校に呼び出されるような羽目になっても困るので、宿題や予習、復習は真面目にやっていた。
「小夜ちゃん、今日のおやつは?」
楸矢が台所の椅子に座って訊ねた。
もう箸を手に持っていた。
「ごぼうの素揚げです」
「何それ?」
「ごぼうを油で揚げて、少しお塩をかけたものです」
「ふぅん」
楸矢は自分の前に置かれた皿から、五センチほどの長さに切られたごぼうを箸でつまんで口に入れた。
「あ、美味しい。揚げ物の割りには油っぽくないし」
「そうですか。良かったです」
小夜はそう言って微笑むとキャベツの千切りに戻った。
「小夜ちゃん、進路文系選んだって聞いたけど、普通の高校って高一で進路決めるものなの?」
「進学するかとか、するとしたらどの大学を受けるのかとかは決めてなくても一応文系か理系かは選んでおかないといけないんです。受験科目が違いますから」
「受験勉強って難しい?」
「さぁ? 私はまだ進学するかも決めてませんから」
「なんだ、普通の大学に行きたいのか?」
柊矢が台所に入ってきた。
「柊兄! いや、そういうわけじゃ……」
楸矢が慌てたように手を振った。
「行きたいなら行けばいいだろ」
「……いいの?」
楸矢が窺うように柊矢を見た。
「お前の進路なんだから俺の了解は必要ないだろ」
「柊兄は俺のために音大やめたから……」
「それとお前の進路となんの関係がある。俺は音大付属も音大も音楽の授業が多いからって理由で選んだだけだからな。今の仕事は好きなときに演奏出来るから音大へ行く必要がなかったってだけだ」
「柊兄はヴァイオリニストになりたかったんじゃないの?」
「別に。なってもいいとは思っていたが、どうしてもなりたかったってわけじゃない」
楸矢の問いに柊矢の方が意外そうな表情で答えた。
楸矢がそんな風に考えてたとは思ってなかったらしい。
「なんだ」
楸矢が拍子抜けした表情で言った。
「だが、お前の成績じゃ今度の入試は無理だぞ」
「柊兄は夜間部とは言え、すぐに受かったんだよね」
楸矢は参るよなぁ、などとぼやいた。
「音楽の授業が長いからって理由で音大付属に行っていたとは言っても学生なんだから勉強もしてたに決まってるだろ。お前の成績が悪いのはフルートに打ち込んでるからじゃなかったのか」
柊矢の責めるような視線に楸矢は決まりの悪そうな表情で目を逸らせた。
どうやら柊矢は、楸矢が勉強する間も惜しんでフルートに没頭してると思っていたから成績が悪くても何も言わなかったらしい。
普通の大学へ行ってもいいということはフルートに専念していたからと言ってフルート奏者になって欲しいと思っているわけでもないようだ。
単純に音楽が好きなら好きなだけやればいいというだけで、それを将来に繋げるべきとか言う考えはないらしい。
「着いたぞ」
「有難うございます」
小夜は柊矢が開けてくれたドアから車を降りた。
「帰りはいつも通りか?」
「はい。何か変更があったら連絡します」
「分かった」
柊矢はそう言うと車に乗って帰っていった。
「いつ見てもいい男~」
いつの間にか現れた清美がうっとりしたように言った。
「いちいち助手席のドア開けてくれるんだもんね~」
買い物すれば荷物を持ってくれるんだよ、とは言わなかった。言えば、騒ぐに決まっているからだ。
「ねぇ、小夜、ホントにあの人と何もないの?」
嫌なこと聞くなぁ。
「ないよ。ただの保護者」
口にすると少しだけ胸が痛んだ。
「じゃあ、あたしが迫ってもいい?」
「いいけど、あの人の元カノ、すごい美人だよ。それに楸矢さんが柊矢さんは子供は相手にしないって言ってたし」
「元カノが美人ってことは、綺麗な顔は散々見たってことでしょ。なら、もう顔には拘らないかもしれないじゃん」
清美のこの超ポジティブなところ、私も見習わなきゃ。
そのとき、沙陽の歌声が聴こえてきた。やはり、斉唱も重唱もなかった。演奏も楽器が一つだけだった。
これも人を傷つけるムーシカなのかな。
特に嫌な感じはしないが他のムーシコスが加わってないのは何か理由があるからなのかもしれない。
柊矢さん、大丈夫かな。
柊矢は家に戻る途中で沙陽のムーシカに気付いた。
小夜に何かするつもりか?
車をUターンさせると小夜の学校の近くに止めた。
出来ることなら学校に乗り込んで小夜の無事を確かめたいが、さすがにそれをするのは憚られた。
ひどい怪我をすれば救急車が来るはずだ。
ここにいれば分かるだろう。
本来ならば、そんな大怪我をする前に助けたいのだが……。
しばらく待ってみたが救急車は来なかった。学校の校庭からはかけ声や歓声などが聞こえてくる。特に騒ぎにはなっている様子はない。
そのうちに沙陽のムーシカは終わった。
何かの儀式のムーシカだったのか?
鍵がどうのと言っていたが、鍵の使い道は鍵を開けることと相場が決まっている。
つまり開けたいものがあるのだ。
あの森へ行く道、か。
一時間近く待ってみたが何もなさそうなので車を出した。