強い雨が降って走って帰る奴がいる。
強い雨、傘をさし歩いて帰る奴がいる。
外で遊ぶことが好きな奴がいる。
家で遊ぶことが好きな奴がいる。
運動部に所属する奴がいる。
文化部に所属する奴がいる。
小説が好きな奴がいる。
漫画が好きな奴がいる。
恋愛っ気がある奴がいる。
恋愛っ気がない奴がいる。
俺たちは幼稚園からの幼馴染で気があう。
正反対の性格をしているのに仲がいい。
きっと好きな人さえ被ることはないのだろうと思ってた。
昼の部活帰り、川沿いで男女二人仲良さそうに話す姿が見える。
幼馴染の優馬とクラスメイトの真美。
俺が恋している真美と優馬は楽しそうに話している。
本を読もうとする優馬にダル絡みする真美の姿。
嫌がる仕草の優馬はそれでも嬉しそうな顔をする。
それに気づいているから、また小説を奪って少し距離をとって、返してもらおうと手を伸ばす。
キャッキャ騒ぐ声が、俺の元まで聞こえる。
家の近くの川沿いは、俺たちがよく小学生の頃まで遊ぶ場所として使っていた。
雨の日でも、車道があるのでその下で遊ぶこともあった。
悩みがあればここにいる。それに気づいた俺が、優馬に話しかける。
中学生に入ってから部活があり、滅多にみなくなった関係性と言える。
俺は運動部で、優馬は休みの多い文化部。
これでもテニス部のレギュラーメンバーとして良い成績は収めている。
真美は、優馬のどこが好きなのだろう。
俺が見たことないその仕草や表情に嫉妬したのだと思う。
声をかけに坂を降り、二人の元へ向かう。
それに気づいたのは、真美だった。
「桐丸くん。部活帰り?」
「あぁ、午前練だったから」
切り出したかった。早急に聞きたかった。
二人は付き合っているのかって。
しかし、それでは俺が真美を好きだと自白したようなもの。
それだけは、悟られたくなかった。
「二人ってそんな仲よかったっけ?」
「仲良いよ。優馬くんがよくここで小説読んでるって教えてくれたから、よく来る様になった。あと電話」
「電話してきたのお前なのに寝落ちしたよな」
冷たい口調の優馬。以前にあったことまで伝えてくること、寝落ち電話までする関係性だったことに驚く。
優馬とは仲がいいけれど、近況報告をしあう機会はない。
夏休み中、部活や塾で忙しい。優馬は、塾だけだから多少の余裕はあるのだろう。部活は夏休み中ないと聞いていた。
「いいじゃーん。だめ?」
上目遣いのその仕草なんて、俺はされたことなかった。
優馬に今まで彼女がいた経験はない。
その仕草にイチコロなんだろ、と思った。だけど。
「そんな顔したって、許すわけないだろ。寝落ち電話とかありえん。時間返せ」
非モテの僻みが出ている。
いいな、寝息くらい聞きたいと思うだろう、普通。
俺は、真美が好きで、真美は優馬が好き。優馬は、どう思っているのだろう。
「えぇー」
「うるせぇなぁ。今日も電話するんだからいいだろ」
次の予定まで決まっているのか。
「サスペンス小説の次はホラー小説ですか」
「いいだろ別に」
全く関係ない話をされて、水を刺した。置いてくな。
「それって、優馬から誘った?」
気になってしまう。これが、優馬からなら二人は両思いだ。
「全く違うね。真美から」
その声からは、嫌悪を感じることはなかった。
両思いではないと断言できなかった。
もしも、違うなら幼馴染とか関係なく真美にデートを申込めるというのに。
「私からです。どうも」
こっちはとても嬉しそうだなと、思った。
人が読んでる小説奪って身体の距離を近づける作戦は荒技な気がする。しかし、好きな人にはガンガン行く人なんだなとも思う。
そんな好意が俺に向いてくれないと知ってしまっている今、脈なしなんだろう。
「そっか。じゃあ、俺はこれで。汗かいて臭いから」
この二人の邪魔なんてしなければよかった。後悔した。
「え、もう行くの?」
優馬は俺の気なんて知らないのか、もう少しいてもいいだろと言いたげだった。
「二人も暑いだろうし、冷房効いた部屋行った方がいいぞ?熱中症とかあるんだし」
「確かに。最近暑いよね?優馬くん」
お前らの関係性の方が熱いけどね、とツッコミを入れた。クソほどどうでもいい。くたばれ。
「優馬の家、連れてってあげれば?お前も熱中症で倒れたら危ないだろ」
「いやでも、流石にそれは拓実だから言えることで」
「どう言うことだよ」
軽く笑う。
「だってそんなチャラいことできないって」
俺にだけ聞こえるように小声で伝えてきた。
確かに、部活もない休日はネックレスとか指輪、香水なんかもつけてる。
それらのどこがチャラいのだろう。
着飾ると気分が上がったりする。いい匂いをつけていれば、好きな人に振り向いてもらえるかもしれない。
「優馬くんの部屋、どんな感じか知りたいな」
また上目遣いをしている彼女。天真爛漫という感じの彼女は、良くも悪くも目立つ。そして、好きになる人が多い。そのうちの一人が俺だ。
彼女はあざとさがない。嫌味のようなものがない。だから、天真爛漫なのだ。
「しょうがないなあ……」
二人の恋が叶ってほしいとは一切思っていないけれど、助言してしまってよかったのだろうか。
優馬ほど人畜無害な草食系はいないだろう。
彼女も安心できるのではないだろうか。
実際、二人はもう家に向かう気だ。
帰り道が同じ俺たちは、三人で帰ることもせず俺は一人後ろから彼らを見ていた。
楽しそうに笑う彼女と本気で嫌がるわけでもない彼の姿。
きっとこういう関係がいつまでも付き合える所以なんだろう。
真美と付き合わない方がいいなんていう女子は滅多に見ない。
性格がいい彼女なら長く付き合うのだろう。優馬は静かで目立たないが、優しくて気遣いができる人だ。
繊細な部分に触れたら、丁寧に向き合ってくれるのだろう。
彼女にとっても良いことかもしれない。
この曲がり角を曲がったら、その後、彼らの関係性は発展するのだろうか。
二人はなんでもないようなくだらない話をして、真美を家に帰すのだろうか。それとも……。
そんなこと、考えたくもなかった。
翌日、部活の友達と気晴らしにカラオケに行った。
昼間のフリータイムで駅前集合。
特別、都会ってわけじゃないけれど電車も通ってるこの街で俺たち学生は低料金でカラオケに行ける。
自転車で三十分以上走る必要がないし、親に車を出してもらう必要もない。
親戚の家なんかは電車が通ってないとか、カラオケまで車で三十分以上とか立地が最悪だ。
この街の生活のしやすさなんかは、小学校高学年の時に優馬に伝えたくらいだ。
「おっす、イケメン」
「いい加減その呼び方やめろ」
ダブルスだとペアになる翔太。良きライバルで親友。
ただこいつは俺のことをそうやって呼ぶ。
「相変わらず、チャラい格好するよなぁ。闇堕ち」
「誰が、闇落ちだ。これで、ホスト誘われたのまじ鬱だぞ」
「やっぱ聞くだけで変だわ。高校生をそういう仕事に誘うって」
「本当にな」
もう一人、真矢が遅れてやってきた。三人でカラオケに向かう。
「そういや、真美はどう?付き合えそう?」
翔太が思い出したように聞く。
「無理だな。ていうか、好きな人いるっぽい」
「うわ、まじ?」と、真矢。
「多分、優馬が好きなんだと思う」
「え、あいつ?」
静かでクラスの影のような存在だと思っている翔太は、とても驚いていた。
「イケメンの幼馴染が恋敵かぁ」
「だから、やめろその呼び方。ていうか、なんだその言い方は」
「それきつくない?真美を彼女にできたら、優馬と気まずい関係にならない?」
真矢がいう。彼も翔太も俺と優馬が幼馴染で仲がいいことを知っているからこそ心配してくれたのだと思う。
「付き合える気がしないけどなぁ、俺」
「いつになく弱気だな」
翔太が笑う。
今まで女子にグイグイとデートに誘うこともあった俺を知っている二人なら笑ってしまうだろう。
「経験に基づく判断ってやつですか、イケメン」
「だからさ」
「じゃあ、一回デート誘ってみれば?それで断られたら本当かどうかわかる」
「わかりきった答えで玉砕したくないね」
「シャイだね」
そうなのかもしれないなと思う。
どうしても結果がはっきりしない時は踏み込むことができない。
相手が自分のことを好きだと知っていれば、俺からも動ける。告白もできる。
だけど、そうではない相手なら難しい。告白なんて二回目があるだろうと思うかもしれない。だけど、大抵断る人は他に好きな人がいるし、付き合えても長く続かない。もちろん、例外はある。
「まぁ、でもそうだな。少し踏み込んでみるのもいいのかもな」
優馬と真美の関係性を壊したいと思ったことはない。優馬の意見を尊重したい。
ただ、きっと優馬も俺が真美を好きなことくらい勘付いている。
優馬がそれに気づいて、一歩引くなんてことあり得ない話じゃない。
好都合だと思えないのは、優馬が幼馴染で親友でいつまでも続いてほしいと心から願っているから。
カラオケ店が見えてきた。
「歌おうぜ」
俺は、これ以上真美と優馬の話をしたくなくてそう伝えた。
カラオケから帰ったその日、川沿いで優馬が小説を読んでいた。
今日は、真美がいないらしい。
「よ、優馬」
小説から目を離し、顔をあげ俺を見やる。
「拓実」
小説を閉じた彼は立ち上がり伸びをした。
「相変わらず、私服がチャラいな」
花柄のシャツはやっぱりチャラいらしい。
「遊んでる感じが出てる気がする。高校生らしい服装じゃダメなのか?」
「そのオーバーサイズのパーカーでいいと思ってるのかよ」
「これ、篠原さんが買い物行った時におすすめしてくれたんだよ」
篠原とは真美の苗字だ。
「……デート、行ったのか?」
「デートじゃない。買い物に付き合っただけ」
真美からしてみれば、デートだろ。
「好きじゃないの?」
ついに聞いてしまった。
もし好きじゃないっていうなら、俺は彼女をデートに誘うだろう。
「……」
返答はなかった。
夕日に目をやる。
「……俺が、好きだって言ったらどうすんの?あいつのこと」
ハッと驚く様子。そして、何か言いたげで。
「それは……」
でも、言い返さなかった彼に、追加で問うつもりはなかった。
きっと距離を取ってくれるのだろう。
俺がそれを求めてないことを知っていても、彼は気を遣う。
車道の下のコンクリートに座る。
「答え、出てるんじゃないの?」
まるで諭すような言い方になってしまった。
「……」
昔、優馬が言った言葉を思い出す。
『ここさ、二人の基地にしようよ。何かあった時ここに来よう。二人だけの場所にしよう』
だけど、今その関係はなくなりつつある。
真美がきて、二人きりじゃなくなって。
優馬が真美のことを好きだから、真美をここに誘ったんだろう。
きっと俺は真美と趣味があってない。
柄シャツが好きな俺とシンプルな服が好きな真美。
優馬もシンプルなものが好きだ。
お似合いだ。
でも……。
「俺、優馬の気持ち、尊重しないから。優馬がどう思おうが、俺は俺のやりたいようにやる」
「……拓実」
「恋愛に遅いも早いもない。とったもん勝ちだ。負けねぇから」
むしろ俺の方が好きになるのは早かった。
だけど、優馬は知らない。
伝える気もない。
幼馴染で親友だから全部言い合えるわけじゃない。
いつからか隠し事できて、一人で悩むようになって、気づけば拗れるような学生生活。
どうせ、いつかはその過ちに気づく。俺も優馬も。
啖呵切って負けてしまっても、好きなことに代わりわない。
好きを隠して、誰かに譲るような真似は絶対にしない。
誰かの幸せのために自分が幸せになれないのは違う。
間違いだ。見当違いだ。
そんな破滅的なやり方があってはならない。正しいわけがない。
自分で自分を幸せにできない奴を、一体誰が幸せにしてくれるというのだろう。誰が好きになってくれるだろうか。
じゃあ、と帰路に着く背中に優馬の声が聞こえる。
また明日、と。彼が言い返すことはなかった。
夏休みが明けた。
俺はあれ以来、川沿いにいる優馬に会うことはなかった。
小説を読んで、その背後から真美がくる。
読んでいる小説を取られて、取り返そうと手が伸びる光景。
何度も見て、気持ちがおかしくなって、それを気づかれないように歩く速度を上げた。
時たまに見つかって、優馬が手を振ってくる。
手を振りかえして、じゃあなと大きく返事をする。
二人の元に向かう気力なんてなかった。
真美と夏休み中にデートへ行くこともなかった。
連絡は取り合うけれど、優馬の話ばかりで誘うタイミングがない。
優馬の好きなものでも買ってプレゼントしたらいいと思う。
そう誘ってみたかった。ただの友達の関係でいたいなら。
俺が求めたのは、恋人だ。友人じゃない。
「ね、ね」
ぼーっと考えていると、真美が俺に声をかけてきた。一学期の頃からよく話していたから話しかけられて動揺することは今更ない。
「手伝ってほしいことがあるの」
嫌な予感に胸がワサワサしたけれど、胸の奥にしまった。
「どうしたの?」
「優馬君の気をひくにはどうしたらいいかな」
あれだけ夏休み中に会っておきながらいまだに、発展していなかったことに驚いた。
「デートでも行けばいいんじゃない?」
「いやぁ、そうなんだけどさ」
教室の後ろの片隅で立ちながら二人で話す。
きっと側から見れば、友達どうし仲がいいくらいにしか見えないのだろう。
「それじゃ、俺とデートする?優馬とデートするときの擬似テストみたいな」
「あのさ、そういうチャラいこと言わないの」
真面目に話しているんですけど、と言わんばかりにじっと睨むので素直に謝った。
「優馬とデートに行けばいいだろ」
もう一度同じこと伝えた。やることなんて一択だ。
「一回行ったよ?でも、デートって思ってないみたいに見えるから」
「あいつ、恋愛経験ないし」
「だよねぇ。明らかに草食系」
かわいそうに、優馬。男らしくないのかもよ。
「二人ってさ、幼馴染なんでしょ?どうやって仲良くなったの?真逆じゃん、性格」
それは、俺のこと肉食系とか言いたいのだろうか。
考えてみれば、どうして仲良くなれたのだろうか。
彼とはよく遊びに行く。いうほど静かでもない。
黙っているわけでもないし、かといって騒ぐタイプでもない。
「さぁ、知らないタイプだったんじゃないかな」
「知らないタイプ?」
「静かな男子が、わからなかった。もっとクラスのやつと騒げばいいのにって思ってたから。今ならカラオケとかあるし」
今も優馬は黒板前の机で小説を読んでいる。それに目をやる俺と真美。
「騒ぐこともしないで、静かにしてる。それが不思議で気になって、知りたくなった。好奇心みたいなやつだな」
「……元々好きじゃなかった?」
「そんなことはない。話しかければ、話してくれる。ていうか、話しやすい。遊ぶってなったら全然参加するし。暗いやつじゃないことはわかってたから」
ただ、と続ける。
「小説を読むようになった理由は知らない」
気がつけば、小説を読んでいた優馬。何冊読んでも飽きたらず、新しい小説を買う。
本屋に行くことがない俺にとって、三十分以上本屋で小説を選ぶ彼に疑問を感じていた。
小説を読むことは楽しいのだろうか、と。
だから、俺も本屋に行って自分が興味を持てそうな作品を探してみた。
何もなかった。面白そうだと思うものがなかった。
そもそも興味を持てなかったのかもしれない。
やはり、優馬とは真逆の性格で、だけどそれが仲良くなる理由なのだろう。
お互いの知らないものを知るきっかけになるから。
真美が、優馬の後ろ姿を見ている。
「気になるなら聞いてみれば?」
俺は促した。
「今はやめとく」
「そっか」
「じゃあ」
「ねぇ」
言葉をかぶせた。
「優馬のこと好きなのか?」
はやる気持ちとはこのことなのだろうか。
彼女のことが気になって、ずっと目で追っていた頃から。
聞かなきゃよかったと後悔すること、知っていたはずなのに。
俺が、真美を好きになったのは高校一年生の時だった。
二クラスが合同で行う体育の授業。その日体調を崩して倒れたとき、別クラスの真美が付き添いをしてくれた。
一年生の頃は別のクラスでその時まで関わることはなかったのに、わざわざ保健室まで来てくれたくらいだ。
心配そうに俺を見て、額に手を当てて熱がないかを確認してくれた。
その日の授業は、結局一日全部保健室で過ごし、部活にも行けなかった。
放課後にも真美は来てくれて、体調が良くなったのかどうか心配してくれた。
名前を知って連絡先も交換して、体育の時間目が合えば手を振ってくれて、俺も振り返したりした。まるで、友達だった。
二年生になって、同じクラスだと知った時はすぐに連絡した。
当時は、他に彼女がいたけれど恩があったから連絡を入れたわけだ。
いろいろあって、その彼女には振られてしまったけれど。
三ヶ月ちょっとで別れたからか、翔太や真矢も心配してくれた。
真美からも、他にいい子がいるよと連絡があった。
のちに知ったけれど、その当時の彼女は同じ時期に他校の男子と付き合っていたという事実が発覚した。俺は浮気されたのだ。
チャラいとか言われるのは、ある種闇落ちなのかもしれない。
勝手にそう言ってくるやつが二名いる。
イケメンの前は、闇堕ちイケメンだったわけだからな……。
部活帰り、いつもの帰路につく。
優馬と真美の姿がある。
そろそろ真美をデートに誘いたい。
しかし、それはできない。
『うん……、好きだよ』
彼女が俺の質問に返した答えだ。
恥ずかしそうに、照れながら、一途に優馬を見ている彼女。
そうだ。とっくに俺は負けていた。デートを誘うタイミングなんてものはどこにもなかったのだ。
優馬に啖呵切ったのは、見栄だ。
俺にも少しはチャンスがある。まだ好きだと確定したわけじゃない。自分に言い聞かせる。
でも、気づいてた。
気づいていて、気づかないふりをした。知らないふりをした。まだ、大丈夫だと思うようにした。
でも、ダメだった。そうだよな……。
ぼーっと空を見上げる。
好き、か。
やっぱり真美は優馬が好きなんだ。
悔やむよりも先に、二人が付き合うことになったと連絡が来たのはその日から二日後のことだった。
おめでとうなんて口先だけだった。
部活が早めに終わったある日。
雨が降るから帰れと顧問に言われた。
帰りの準備をしていると翔太が聞いてくる。
「優馬って付き合ったんだな」
真美と付き合っていることがクラスに広まったのは、それから一週間もしない頃だった。
男子たちは、優馬にいつから好きなのかといじっていたり。
女子たちは、やっと恋が実ったんだねと祝福されていたり。
俺は、心の底から喜べなかった。いじられる優馬が羨ましかった。
あの二人が付き合う未来を俺は受け入れられなかった。
現実じゃないと逃げていた。
一学期に真美が、優馬と話してみたいと言った時、断ればよかったのだろうか。
あいつは女子と話すのが嫌いだから小説を読んでいる、と嘘をつけばよかったのだろうか。
根暗でインドアで外に出たがらない、と言えばよかっただろうか。
そんなこと思う自分が嫌になる。
優馬のいいところなんてたくさん知っている。何年一緒にいたと思ってる。
優しくて、人の変化に機敏に反応して、人を否定しない。
真美が好きになるには十分すぎる理由だろう。
彼女を思うなら最適解だ。彼女の弱さを包むような優しさで抱きしめてくれる相手だ。
それが優馬や真美の幸せならば、喜ぶべきなのに……。
幼馴染で親友の優馬に彼女ができた。だから、嫉妬すんなよ、僻むなよ、悲しむなよ。
なのに……。
雨が降ってくる。
パラパラと降っていた雨が、土砂降りになる。
一人で帰る道。
川沿いのコンクリートを走る。
川が荒れている。
車道が上にあり雨宿りできそうな場所で少し休憩しようと思った。
だけど、そこには優馬と真美の二人がいた。
足音なんて気にせず、突っ走ることにした。
俺は運動部でレギュラーメンバーに選ばれるような男。体力には自信があって走ろうと思えば走れる。
走ることに集中すればいいのだから。
……例えば、優馬の代わりに俺がいたら。
真美が俺のことを好きになることはあっただろうか。
俺と話していく中で、優馬が気になったのだろうか。
例えば、俺が優馬だったなら、真美は俺を好きになっただろうか。
無意味な問いに叫びたくなる。
コンクリートを蹴り飛ばす。水たまりだとか、水飛沫なんてどうでもいい。
考えたって無駄なんだ。
最初からあの二人は変わってないのだ。何一つ変化していない。
だってそうだろう。真美は優馬が好きで、優馬は真美が好きなのだ。優馬が俺に言えるわけなんてなかっただろう。
俺の入る隙だってどこにもなかった。
両思いの相手に敵うはずがない。
俺は優馬に負けた。
あの日、負けねぇからと啖呵切った俺は、負けた。
言わなければよかったと、後悔した。
それを責めるように雨の強さは増している。
家に到着すると玄関に物を置きっぱなしで熱々のシャワーを頭から浴びる。
寒さに凍えそうな体が溶けるよう。
もうこの身も全部溶かしてくれと願う。頭がパンクでもしたのか、自嘲する。
どうせ無理なのに。変な笑いが込み上げてくる。
シャワーを止める。無心で髪の毛をかき上げる。顔を両手で覆う。
あぁ、終わった。
スッと入ってくる事実。
頭がクラクラする。
瞳から何かが溢れる。
シャワーは止めたはずなのに。
そっか……。そうだよな……。あいつ、いいやつだもんな……。
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小説を読むようになったのは、他人の人生を擬似体験できるからである。
頭の悪い僕なんか、人生なんてものに特別な感情が湧かない。それは、人生という壮大さすらわからないからだ。
しかし、そんな僕にも好奇心みたいなものはある。
拓実という存在は、僕にとって強烈な好奇心を唆るそのものだった。
僕とは違い、騒がしいしうるさい。
なのに話していると自然と笑顔になる。誰とでも話すし、面白いし、毎日楽しいやつだなと思う。
部活仲間とカラオケに行ったり、映画に行ったり。
その一方で、中学の頃から、この川沿いに来ることは減った。
運動部はほぼ毎日部活があるから大変なのだろう。
一人でここにいるのは暇だった。
だから、興味本位に小説に触れた。小説の中にも拓実のような人間は出てくるのだろうか。
そんな興味が、僕を本の世界に連れて行った。
実際は、拓実のようなやつは出てこないし、もっと投げやりに生きてる主人公だったりが多い。僕の読む作品の傾向なのかもしれない。
たまに川沿いに来るときは、足音がないので驚かされることがほとんど。
高校生に上がっても変わらない日々の中、うるさい足音で小説を奪ってくる女子生徒に出会った。
何度か話したことがある、真美という生徒。
天真爛漫という言葉が合う女子。
だけど、話していくうちに無理して笑っているんだろうな、と気づく場面もあった。
二人きりで話す時間が増えていくうちに彼女は、無理に明るくすることがなくなった。等身大のように感じる。
いつしかそんな彼女に惹かれていった。
夏休みの半ば、拓実は真美が好きだと言った。
一歩引くべきだと思った。彼のことを考えるなら少しくらいいい思い出を作ってほしいと考えたから。
元カノが浮気して、別れることになり、服装がチャラチャラし始めた。ある意味、闇落ちだと思った。誰にも言えないし、誰も言わないだろうから言ってないけれど。
彼の目を見てみれば、それを望んでいないことを知った。
遅いも早いもないと彼の口から聞かされた時、牽制するために言った言葉ではないのだと明白だった。
僕も本気で答えようと思った。
そして、二学期。真美に気持ちを伝えた。初めての彼女ができた。
幼馴染で親友の拓実との関係が終わるのかもしれないと思うと苦しかった。
だけど、彼はおめでとうと短い文章で祝福してくれた。
三学期のある日、真美と川沿いでいつものように小説を取り返そうとしている時。
人の気配に振り返る。拓実がいた。
手招きすると彼は僕らの元に来た。
「よ、お前ら相変わらず仲がいいな」
拓実の言葉に真美は、嬉しそうに反応している。可愛い。
「そりゃ、付き合ってますから」
「彼女できるとうざくなるタイプだったのかお前」
彼は冷たくいう。
「元カノいた時の拓実もこんな感じだった」
頷く真美。可愛い。
「やめろ、元カノの話なんかするな」
やはり元カノのことは思い出したくないのかもしれない。
他の話題で軽く話が弾んでいたのに、拓実は僕らに気を遣ったのかそろそろ帰ると言って帰っていった。
車道が上を走る日陰で、僕は彼女から取り返した本を座って読む。
隣にしゃがみ込む彼女がニッと笑う。
「私のこと好き?」
何か企むその目とか、慣れていない僕は顔を赤くしているだろう。
カバンに入れていたペットボトルの水を飲む。カバンにしまわず、コンクリートの上に置くと喉をならす。
一呼吸置く。
「好きだよ」
赤面しているであろう僕。
僕の唇に触れた彼女の唇。
例えば、僕が拓実だったなら余裕のある行動が取れただろう。
でも、僕にはそれができず、ただただ顔を赤くしていくだけだった。
彼女はそれを見て微笑んでいた。思わず僕も笑ってしまった。
強い雨、傘をさし歩いて帰る奴がいる。
外で遊ぶことが好きな奴がいる。
家で遊ぶことが好きな奴がいる。
運動部に所属する奴がいる。
文化部に所属する奴がいる。
小説が好きな奴がいる。
漫画が好きな奴がいる。
恋愛っ気がある奴がいる。
恋愛っ気がない奴がいる。
俺たちは幼稚園からの幼馴染で気があう。
正反対の性格をしているのに仲がいい。
きっと好きな人さえ被ることはないのだろうと思ってた。
昼の部活帰り、川沿いで男女二人仲良さそうに話す姿が見える。
幼馴染の優馬とクラスメイトの真美。
俺が恋している真美と優馬は楽しそうに話している。
本を読もうとする優馬にダル絡みする真美の姿。
嫌がる仕草の優馬はそれでも嬉しそうな顔をする。
それに気づいているから、また小説を奪って少し距離をとって、返してもらおうと手を伸ばす。
キャッキャ騒ぐ声が、俺の元まで聞こえる。
家の近くの川沿いは、俺たちがよく小学生の頃まで遊ぶ場所として使っていた。
雨の日でも、車道があるのでその下で遊ぶこともあった。
悩みがあればここにいる。それに気づいた俺が、優馬に話しかける。
中学生に入ってから部活があり、滅多にみなくなった関係性と言える。
俺は運動部で、優馬は休みの多い文化部。
これでもテニス部のレギュラーメンバーとして良い成績は収めている。
真美は、優馬のどこが好きなのだろう。
俺が見たことないその仕草や表情に嫉妬したのだと思う。
声をかけに坂を降り、二人の元へ向かう。
それに気づいたのは、真美だった。
「桐丸くん。部活帰り?」
「あぁ、午前練だったから」
切り出したかった。早急に聞きたかった。
二人は付き合っているのかって。
しかし、それでは俺が真美を好きだと自白したようなもの。
それだけは、悟られたくなかった。
「二人ってそんな仲よかったっけ?」
「仲良いよ。優馬くんがよくここで小説読んでるって教えてくれたから、よく来る様になった。あと電話」
「電話してきたのお前なのに寝落ちしたよな」
冷たい口調の優馬。以前にあったことまで伝えてくること、寝落ち電話までする関係性だったことに驚く。
優馬とは仲がいいけれど、近況報告をしあう機会はない。
夏休み中、部活や塾で忙しい。優馬は、塾だけだから多少の余裕はあるのだろう。部活は夏休み中ないと聞いていた。
「いいじゃーん。だめ?」
上目遣いのその仕草なんて、俺はされたことなかった。
優馬に今まで彼女がいた経験はない。
その仕草にイチコロなんだろ、と思った。だけど。
「そんな顔したって、許すわけないだろ。寝落ち電話とかありえん。時間返せ」
非モテの僻みが出ている。
いいな、寝息くらい聞きたいと思うだろう、普通。
俺は、真美が好きで、真美は優馬が好き。優馬は、どう思っているのだろう。
「えぇー」
「うるせぇなぁ。今日も電話するんだからいいだろ」
次の予定まで決まっているのか。
「サスペンス小説の次はホラー小説ですか」
「いいだろ別に」
全く関係ない話をされて、水を刺した。置いてくな。
「それって、優馬から誘った?」
気になってしまう。これが、優馬からなら二人は両思いだ。
「全く違うね。真美から」
その声からは、嫌悪を感じることはなかった。
両思いではないと断言できなかった。
もしも、違うなら幼馴染とか関係なく真美にデートを申込めるというのに。
「私からです。どうも」
こっちはとても嬉しそうだなと、思った。
人が読んでる小説奪って身体の距離を近づける作戦は荒技な気がする。しかし、好きな人にはガンガン行く人なんだなとも思う。
そんな好意が俺に向いてくれないと知ってしまっている今、脈なしなんだろう。
「そっか。じゃあ、俺はこれで。汗かいて臭いから」
この二人の邪魔なんてしなければよかった。後悔した。
「え、もう行くの?」
優馬は俺の気なんて知らないのか、もう少しいてもいいだろと言いたげだった。
「二人も暑いだろうし、冷房効いた部屋行った方がいいぞ?熱中症とかあるんだし」
「確かに。最近暑いよね?優馬くん」
お前らの関係性の方が熱いけどね、とツッコミを入れた。クソほどどうでもいい。くたばれ。
「優馬の家、連れてってあげれば?お前も熱中症で倒れたら危ないだろ」
「いやでも、流石にそれは拓実だから言えることで」
「どう言うことだよ」
軽く笑う。
「だってそんなチャラいことできないって」
俺にだけ聞こえるように小声で伝えてきた。
確かに、部活もない休日はネックレスとか指輪、香水なんかもつけてる。
それらのどこがチャラいのだろう。
着飾ると気分が上がったりする。いい匂いをつけていれば、好きな人に振り向いてもらえるかもしれない。
「優馬くんの部屋、どんな感じか知りたいな」
また上目遣いをしている彼女。天真爛漫という感じの彼女は、良くも悪くも目立つ。そして、好きになる人が多い。そのうちの一人が俺だ。
彼女はあざとさがない。嫌味のようなものがない。だから、天真爛漫なのだ。
「しょうがないなあ……」
二人の恋が叶ってほしいとは一切思っていないけれど、助言してしまってよかったのだろうか。
優馬ほど人畜無害な草食系はいないだろう。
彼女も安心できるのではないだろうか。
実際、二人はもう家に向かう気だ。
帰り道が同じ俺たちは、三人で帰ることもせず俺は一人後ろから彼らを見ていた。
楽しそうに笑う彼女と本気で嫌がるわけでもない彼の姿。
きっとこういう関係がいつまでも付き合える所以なんだろう。
真美と付き合わない方がいいなんていう女子は滅多に見ない。
性格がいい彼女なら長く付き合うのだろう。優馬は静かで目立たないが、優しくて気遣いができる人だ。
繊細な部分に触れたら、丁寧に向き合ってくれるのだろう。
彼女にとっても良いことかもしれない。
この曲がり角を曲がったら、その後、彼らの関係性は発展するのだろうか。
二人はなんでもないようなくだらない話をして、真美を家に帰すのだろうか。それとも……。
そんなこと、考えたくもなかった。
翌日、部活の友達と気晴らしにカラオケに行った。
昼間のフリータイムで駅前集合。
特別、都会ってわけじゃないけれど電車も通ってるこの街で俺たち学生は低料金でカラオケに行ける。
自転車で三十分以上走る必要がないし、親に車を出してもらう必要もない。
親戚の家なんかは電車が通ってないとか、カラオケまで車で三十分以上とか立地が最悪だ。
この街の生活のしやすさなんかは、小学校高学年の時に優馬に伝えたくらいだ。
「おっす、イケメン」
「いい加減その呼び方やめろ」
ダブルスだとペアになる翔太。良きライバルで親友。
ただこいつは俺のことをそうやって呼ぶ。
「相変わらず、チャラい格好するよなぁ。闇堕ち」
「誰が、闇落ちだ。これで、ホスト誘われたのまじ鬱だぞ」
「やっぱ聞くだけで変だわ。高校生をそういう仕事に誘うって」
「本当にな」
もう一人、真矢が遅れてやってきた。三人でカラオケに向かう。
「そういや、真美はどう?付き合えそう?」
翔太が思い出したように聞く。
「無理だな。ていうか、好きな人いるっぽい」
「うわ、まじ?」と、真矢。
「多分、優馬が好きなんだと思う」
「え、あいつ?」
静かでクラスの影のような存在だと思っている翔太は、とても驚いていた。
「イケメンの幼馴染が恋敵かぁ」
「だから、やめろその呼び方。ていうか、なんだその言い方は」
「それきつくない?真美を彼女にできたら、優馬と気まずい関係にならない?」
真矢がいう。彼も翔太も俺と優馬が幼馴染で仲がいいことを知っているからこそ心配してくれたのだと思う。
「付き合える気がしないけどなぁ、俺」
「いつになく弱気だな」
翔太が笑う。
今まで女子にグイグイとデートに誘うこともあった俺を知っている二人なら笑ってしまうだろう。
「経験に基づく判断ってやつですか、イケメン」
「だからさ」
「じゃあ、一回デート誘ってみれば?それで断られたら本当かどうかわかる」
「わかりきった答えで玉砕したくないね」
「シャイだね」
そうなのかもしれないなと思う。
どうしても結果がはっきりしない時は踏み込むことができない。
相手が自分のことを好きだと知っていれば、俺からも動ける。告白もできる。
だけど、そうではない相手なら難しい。告白なんて二回目があるだろうと思うかもしれない。だけど、大抵断る人は他に好きな人がいるし、付き合えても長く続かない。もちろん、例外はある。
「まぁ、でもそうだな。少し踏み込んでみるのもいいのかもな」
優馬と真美の関係性を壊したいと思ったことはない。優馬の意見を尊重したい。
ただ、きっと優馬も俺が真美を好きなことくらい勘付いている。
優馬がそれに気づいて、一歩引くなんてことあり得ない話じゃない。
好都合だと思えないのは、優馬が幼馴染で親友でいつまでも続いてほしいと心から願っているから。
カラオケ店が見えてきた。
「歌おうぜ」
俺は、これ以上真美と優馬の話をしたくなくてそう伝えた。
カラオケから帰ったその日、川沿いで優馬が小説を読んでいた。
今日は、真美がいないらしい。
「よ、優馬」
小説から目を離し、顔をあげ俺を見やる。
「拓実」
小説を閉じた彼は立ち上がり伸びをした。
「相変わらず、私服がチャラいな」
花柄のシャツはやっぱりチャラいらしい。
「遊んでる感じが出てる気がする。高校生らしい服装じゃダメなのか?」
「そのオーバーサイズのパーカーでいいと思ってるのかよ」
「これ、篠原さんが買い物行った時におすすめしてくれたんだよ」
篠原とは真美の苗字だ。
「……デート、行ったのか?」
「デートじゃない。買い物に付き合っただけ」
真美からしてみれば、デートだろ。
「好きじゃないの?」
ついに聞いてしまった。
もし好きじゃないっていうなら、俺は彼女をデートに誘うだろう。
「……」
返答はなかった。
夕日に目をやる。
「……俺が、好きだって言ったらどうすんの?あいつのこと」
ハッと驚く様子。そして、何か言いたげで。
「それは……」
でも、言い返さなかった彼に、追加で問うつもりはなかった。
きっと距離を取ってくれるのだろう。
俺がそれを求めてないことを知っていても、彼は気を遣う。
車道の下のコンクリートに座る。
「答え、出てるんじゃないの?」
まるで諭すような言い方になってしまった。
「……」
昔、優馬が言った言葉を思い出す。
『ここさ、二人の基地にしようよ。何かあった時ここに来よう。二人だけの場所にしよう』
だけど、今その関係はなくなりつつある。
真美がきて、二人きりじゃなくなって。
優馬が真美のことを好きだから、真美をここに誘ったんだろう。
きっと俺は真美と趣味があってない。
柄シャツが好きな俺とシンプルな服が好きな真美。
優馬もシンプルなものが好きだ。
お似合いだ。
でも……。
「俺、優馬の気持ち、尊重しないから。優馬がどう思おうが、俺は俺のやりたいようにやる」
「……拓実」
「恋愛に遅いも早いもない。とったもん勝ちだ。負けねぇから」
むしろ俺の方が好きになるのは早かった。
だけど、優馬は知らない。
伝える気もない。
幼馴染で親友だから全部言い合えるわけじゃない。
いつからか隠し事できて、一人で悩むようになって、気づけば拗れるような学生生活。
どうせ、いつかはその過ちに気づく。俺も優馬も。
啖呵切って負けてしまっても、好きなことに代わりわない。
好きを隠して、誰かに譲るような真似は絶対にしない。
誰かの幸せのために自分が幸せになれないのは違う。
間違いだ。見当違いだ。
そんな破滅的なやり方があってはならない。正しいわけがない。
自分で自分を幸せにできない奴を、一体誰が幸せにしてくれるというのだろう。誰が好きになってくれるだろうか。
じゃあ、と帰路に着く背中に優馬の声が聞こえる。
また明日、と。彼が言い返すことはなかった。
夏休みが明けた。
俺はあれ以来、川沿いにいる優馬に会うことはなかった。
小説を読んで、その背後から真美がくる。
読んでいる小説を取られて、取り返そうと手が伸びる光景。
何度も見て、気持ちがおかしくなって、それを気づかれないように歩く速度を上げた。
時たまに見つかって、優馬が手を振ってくる。
手を振りかえして、じゃあなと大きく返事をする。
二人の元に向かう気力なんてなかった。
真美と夏休み中にデートへ行くこともなかった。
連絡は取り合うけれど、優馬の話ばかりで誘うタイミングがない。
優馬の好きなものでも買ってプレゼントしたらいいと思う。
そう誘ってみたかった。ただの友達の関係でいたいなら。
俺が求めたのは、恋人だ。友人じゃない。
「ね、ね」
ぼーっと考えていると、真美が俺に声をかけてきた。一学期の頃からよく話していたから話しかけられて動揺することは今更ない。
「手伝ってほしいことがあるの」
嫌な予感に胸がワサワサしたけれど、胸の奥にしまった。
「どうしたの?」
「優馬君の気をひくにはどうしたらいいかな」
あれだけ夏休み中に会っておきながらいまだに、発展していなかったことに驚いた。
「デートでも行けばいいんじゃない?」
「いやぁ、そうなんだけどさ」
教室の後ろの片隅で立ちながら二人で話す。
きっと側から見れば、友達どうし仲がいいくらいにしか見えないのだろう。
「それじゃ、俺とデートする?優馬とデートするときの擬似テストみたいな」
「あのさ、そういうチャラいこと言わないの」
真面目に話しているんですけど、と言わんばかりにじっと睨むので素直に謝った。
「優馬とデートに行けばいいだろ」
もう一度同じこと伝えた。やることなんて一択だ。
「一回行ったよ?でも、デートって思ってないみたいに見えるから」
「あいつ、恋愛経験ないし」
「だよねぇ。明らかに草食系」
かわいそうに、優馬。男らしくないのかもよ。
「二人ってさ、幼馴染なんでしょ?どうやって仲良くなったの?真逆じゃん、性格」
それは、俺のこと肉食系とか言いたいのだろうか。
考えてみれば、どうして仲良くなれたのだろうか。
彼とはよく遊びに行く。いうほど静かでもない。
黙っているわけでもないし、かといって騒ぐタイプでもない。
「さぁ、知らないタイプだったんじゃないかな」
「知らないタイプ?」
「静かな男子が、わからなかった。もっとクラスのやつと騒げばいいのにって思ってたから。今ならカラオケとかあるし」
今も優馬は黒板前の机で小説を読んでいる。それに目をやる俺と真美。
「騒ぐこともしないで、静かにしてる。それが不思議で気になって、知りたくなった。好奇心みたいなやつだな」
「……元々好きじゃなかった?」
「そんなことはない。話しかければ、話してくれる。ていうか、話しやすい。遊ぶってなったら全然参加するし。暗いやつじゃないことはわかってたから」
ただ、と続ける。
「小説を読むようになった理由は知らない」
気がつけば、小説を読んでいた優馬。何冊読んでも飽きたらず、新しい小説を買う。
本屋に行くことがない俺にとって、三十分以上本屋で小説を選ぶ彼に疑問を感じていた。
小説を読むことは楽しいのだろうか、と。
だから、俺も本屋に行って自分が興味を持てそうな作品を探してみた。
何もなかった。面白そうだと思うものがなかった。
そもそも興味を持てなかったのかもしれない。
やはり、優馬とは真逆の性格で、だけどそれが仲良くなる理由なのだろう。
お互いの知らないものを知るきっかけになるから。
真美が、優馬の後ろ姿を見ている。
「気になるなら聞いてみれば?」
俺は促した。
「今はやめとく」
「そっか」
「じゃあ」
「ねぇ」
言葉をかぶせた。
「優馬のこと好きなのか?」
はやる気持ちとはこのことなのだろうか。
彼女のことが気になって、ずっと目で追っていた頃から。
聞かなきゃよかったと後悔すること、知っていたはずなのに。
俺が、真美を好きになったのは高校一年生の時だった。
二クラスが合同で行う体育の授業。その日体調を崩して倒れたとき、別クラスの真美が付き添いをしてくれた。
一年生の頃は別のクラスでその時まで関わることはなかったのに、わざわざ保健室まで来てくれたくらいだ。
心配そうに俺を見て、額に手を当てて熱がないかを確認してくれた。
その日の授業は、結局一日全部保健室で過ごし、部活にも行けなかった。
放課後にも真美は来てくれて、体調が良くなったのかどうか心配してくれた。
名前を知って連絡先も交換して、体育の時間目が合えば手を振ってくれて、俺も振り返したりした。まるで、友達だった。
二年生になって、同じクラスだと知った時はすぐに連絡した。
当時は、他に彼女がいたけれど恩があったから連絡を入れたわけだ。
いろいろあって、その彼女には振られてしまったけれど。
三ヶ月ちょっとで別れたからか、翔太や真矢も心配してくれた。
真美からも、他にいい子がいるよと連絡があった。
のちに知ったけれど、その当時の彼女は同じ時期に他校の男子と付き合っていたという事実が発覚した。俺は浮気されたのだ。
チャラいとか言われるのは、ある種闇落ちなのかもしれない。
勝手にそう言ってくるやつが二名いる。
イケメンの前は、闇堕ちイケメンだったわけだからな……。
部活帰り、いつもの帰路につく。
優馬と真美の姿がある。
そろそろ真美をデートに誘いたい。
しかし、それはできない。
『うん……、好きだよ』
彼女が俺の質問に返した答えだ。
恥ずかしそうに、照れながら、一途に優馬を見ている彼女。
そうだ。とっくに俺は負けていた。デートを誘うタイミングなんてものはどこにもなかったのだ。
優馬に啖呵切ったのは、見栄だ。
俺にも少しはチャンスがある。まだ好きだと確定したわけじゃない。自分に言い聞かせる。
でも、気づいてた。
気づいていて、気づかないふりをした。知らないふりをした。まだ、大丈夫だと思うようにした。
でも、ダメだった。そうだよな……。
ぼーっと空を見上げる。
好き、か。
やっぱり真美は優馬が好きなんだ。
悔やむよりも先に、二人が付き合うことになったと連絡が来たのはその日から二日後のことだった。
おめでとうなんて口先だけだった。
部活が早めに終わったある日。
雨が降るから帰れと顧問に言われた。
帰りの準備をしていると翔太が聞いてくる。
「優馬って付き合ったんだな」
真美と付き合っていることがクラスに広まったのは、それから一週間もしない頃だった。
男子たちは、優馬にいつから好きなのかといじっていたり。
女子たちは、やっと恋が実ったんだねと祝福されていたり。
俺は、心の底から喜べなかった。いじられる優馬が羨ましかった。
あの二人が付き合う未来を俺は受け入れられなかった。
現実じゃないと逃げていた。
一学期に真美が、優馬と話してみたいと言った時、断ればよかったのだろうか。
あいつは女子と話すのが嫌いだから小説を読んでいる、と嘘をつけばよかったのだろうか。
根暗でインドアで外に出たがらない、と言えばよかっただろうか。
そんなこと思う自分が嫌になる。
優馬のいいところなんてたくさん知っている。何年一緒にいたと思ってる。
優しくて、人の変化に機敏に反応して、人を否定しない。
真美が好きになるには十分すぎる理由だろう。
彼女を思うなら最適解だ。彼女の弱さを包むような優しさで抱きしめてくれる相手だ。
それが優馬や真美の幸せならば、喜ぶべきなのに……。
幼馴染で親友の優馬に彼女ができた。だから、嫉妬すんなよ、僻むなよ、悲しむなよ。
なのに……。
雨が降ってくる。
パラパラと降っていた雨が、土砂降りになる。
一人で帰る道。
川沿いのコンクリートを走る。
川が荒れている。
車道が上にあり雨宿りできそうな場所で少し休憩しようと思った。
だけど、そこには優馬と真美の二人がいた。
足音なんて気にせず、突っ走ることにした。
俺は運動部でレギュラーメンバーに選ばれるような男。体力には自信があって走ろうと思えば走れる。
走ることに集中すればいいのだから。
……例えば、優馬の代わりに俺がいたら。
真美が俺のことを好きになることはあっただろうか。
俺と話していく中で、優馬が気になったのだろうか。
例えば、俺が優馬だったなら、真美は俺を好きになっただろうか。
無意味な問いに叫びたくなる。
コンクリートを蹴り飛ばす。水たまりだとか、水飛沫なんてどうでもいい。
考えたって無駄なんだ。
最初からあの二人は変わってないのだ。何一つ変化していない。
だってそうだろう。真美は優馬が好きで、優馬は真美が好きなのだ。優馬が俺に言えるわけなんてなかっただろう。
俺の入る隙だってどこにもなかった。
両思いの相手に敵うはずがない。
俺は優馬に負けた。
あの日、負けねぇからと啖呵切った俺は、負けた。
言わなければよかったと、後悔した。
それを責めるように雨の強さは増している。
家に到着すると玄関に物を置きっぱなしで熱々のシャワーを頭から浴びる。
寒さに凍えそうな体が溶けるよう。
もうこの身も全部溶かしてくれと願う。頭がパンクでもしたのか、自嘲する。
どうせ無理なのに。変な笑いが込み上げてくる。
シャワーを止める。無心で髪の毛をかき上げる。顔を両手で覆う。
あぁ、終わった。
スッと入ってくる事実。
頭がクラクラする。
瞳から何かが溢れる。
シャワーは止めたはずなのに。
そっか……。そうだよな……。あいつ、いいやつだもんな……。
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小説を読むようになったのは、他人の人生を擬似体験できるからである。
頭の悪い僕なんか、人生なんてものに特別な感情が湧かない。それは、人生という壮大さすらわからないからだ。
しかし、そんな僕にも好奇心みたいなものはある。
拓実という存在は、僕にとって強烈な好奇心を唆るそのものだった。
僕とは違い、騒がしいしうるさい。
なのに話していると自然と笑顔になる。誰とでも話すし、面白いし、毎日楽しいやつだなと思う。
部活仲間とカラオケに行ったり、映画に行ったり。
その一方で、中学の頃から、この川沿いに来ることは減った。
運動部はほぼ毎日部活があるから大変なのだろう。
一人でここにいるのは暇だった。
だから、興味本位に小説に触れた。小説の中にも拓実のような人間は出てくるのだろうか。
そんな興味が、僕を本の世界に連れて行った。
実際は、拓実のようなやつは出てこないし、もっと投げやりに生きてる主人公だったりが多い。僕の読む作品の傾向なのかもしれない。
たまに川沿いに来るときは、足音がないので驚かされることがほとんど。
高校生に上がっても変わらない日々の中、うるさい足音で小説を奪ってくる女子生徒に出会った。
何度か話したことがある、真美という生徒。
天真爛漫という言葉が合う女子。
だけど、話していくうちに無理して笑っているんだろうな、と気づく場面もあった。
二人きりで話す時間が増えていくうちに彼女は、無理に明るくすることがなくなった。等身大のように感じる。
いつしかそんな彼女に惹かれていった。
夏休みの半ば、拓実は真美が好きだと言った。
一歩引くべきだと思った。彼のことを考えるなら少しくらいいい思い出を作ってほしいと考えたから。
元カノが浮気して、別れることになり、服装がチャラチャラし始めた。ある意味、闇落ちだと思った。誰にも言えないし、誰も言わないだろうから言ってないけれど。
彼の目を見てみれば、それを望んでいないことを知った。
遅いも早いもないと彼の口から聞かされた時、牽制するために言った言葉ではないのだと明白だった。
僕も本気で答えようと思った。
そして、二学期。真美に気持ちを伝えた。初めての彼女ができた。
幼馴染で親友の拓実との関係が終わるのかもしれないと思うと苦しかった。
だけど、彼はおめでとうと短い文章で祝福してくれた。
三学期のある日、真美と川沿いでいつものように小説を取り返そうとしている時。
人の気配に振り返る。拓実がいた。
手招きすると彼は僕らの元に来た。
「よ、お前ら相変わらず仲がいいな」
拓実の言葉に真美は、嬉しそうに反応している。可愛い。
「そりゃ、付き合ってますから」
「彼女できるとうざくなるタイプだったのかお前」
彼は冷たくいう。
「元カノいた時の拓実もこんな感じだった」
頷く真美。可愛い。
「やめろ、元カノの話なんかするな」
やはり元カノのことは思い出したくないのかもしれない。
他の話題で軽く話が弾んでいたのに、拓実は僕らに気を遣ったのかそろそろ帰ると言って帰っていった。
車道が上を走る日陰で、僕は彼女から取り返した本を座って読む。
隣にしゃがみ込む彼女がニッと笑う。
「私のこと好き?」
何か企むその目とか、慣れていない僕は顔を赤くしているだろう。
カバンに入れていたペットボトルの水を飲む。カバンにしまわず、コンクリートの上に置くと喉をならす。
一呼吸置く。
「好きだよ」
赤面しているであろう僕。
僕の唇に触れた彼女の唇。
例えば、僕が拓実だったなら余裕のある行動が取れただろう。
でも、僕にはそれができず、ただただ顔を赤くしていくだけだった。
彼女はそれを見て微笑んでいた。思わず僕も笑ってしまった。