びわこの計画が実行されたのはそれから1か月後だった。
 お寺で娘の法事を済ませ、借りていた空き家へとびわこは戻って来る。この空き家はびわこが借り、内装だけ美装をし古民家風の宿泊施設の様になっていた。庭には時期を過ぎ、花が散ってしまった彼岸花が植えてある。

「なぁ、ほんまに美沙の保険金がもらえるやろうな」
「……えぇ、手紙で送った通りです……」

 喪服姿のびわこが男を客間へと案内する。自殺では死亡保険金は降りない。そんな事も知らずこの男……美沙の旦那はのこのことやって来た。

「あぁ、疲れたわ。法事なんか今さら必要ないやろ。さっさと保険金と酒出しや」
「はい。ただいま――」

 私はこの古民家の女中のフリをし接客をする。そもそもこの古民家は宿泊施設でも何でもない。一部屋だけ綺麗にはなっているが、別の部屋を覗くと掃除もされず、手つかずの蜘蛛の巣がいくつもある。
 私は料理の準備をし、びわこが男にお金を渡す。

「ここに500万円あります。これがあなたにお支払いできる手切れ金になります」
「まぁええか。こんな田舎まで足を運んだんや。もう少し欲しい所やけど……。おいっ!酒はまだか!この旅館のもんはほんまとろいやっちゃのぉ」
「それとこちらが手紙で書いていた離婚届です。サインをお願いします」

 死後離婚――びわこはどうしてもこの男と美沙の婚姻関係を断ち切りたかった。その為に保険金等と嘘をつき500万円を用意していた。

「ほれ、これでええんか」
「はい、確かに……」

 サインを終えたタイミングで、私はこの男に酒を運んで来る。

「おぉ!ようやく酒やな」
「ごゆっくりどうぞ」
「なんや!おばさん、酌くらいせぇへんのかい」
「すいません、料理の準備がありますので――」
「あかんあかん!何やこの宿は!ボロい上に従業員までクソやないか」
「す、すいません」
「私が代わりに――」

 私の代わりにびわこが酌をする。びわこが怒り狂うのも無理はない。結婚当時は本当に良い青年だったそうだ。しかしギャンブルにのめり込み、仕事を辞めてからは毎日酒を飲むようになり、どんどんひどくなっていったと言う。
 しかし離婚届にサインはしない。美沙を働かせ、そのお金をまたギャンブルに注ぎ込む……その繰り返し。何度も美沙からは相談を受けたそうだ。
 今日ようやくそのサインをさせる事ができ、娘が亡くなって1年も過ぎてから願いが叶った。

「なんや……美沙やないか……そんなとこおらんと、こっちに来て酌をせんか……ヒック」
「……」

 1時間もしないうちに男は酔いが回り、誰もいないはずの庭に向かい男は独り言を話しだす。すでに酔っている男にこれ以上酒を勧めるのはよろしくはない。

「ささ、もう一杯……」
「おぉ……おばはん、おおきに。美沙!お前もこっちに来んかい!」
「にゃぁ?」

 庭先にいつの間にかいた猫に男は話しかける。だいぶん酔いが回っている様だ。
 そして深夜0時を過ぎた頃、男は急に静かになった。横になり寝息を立て始める。しかし寝息は浅く苦しそうにも見えた。

「ふぅ……ようやく寝たわね。先輩、協力ありがとうございました」
「びわちゃん……本当にこれで良かったの?」
「えぇ、すべてはこの瞬間の為に……私は生きて来たんです」

 びわこからまた鬼の様な雰囲気を感じる。あの日見た鬼の様な形相の顔は今でも忘れていない。

「そろそろですね……」
「……」

 びわこが時計と男を交互に見る回数が増えて来た。真っ赤だった男の顔は次第に青白くなっていく。それに合わせ呼吸もどんどん間隔が長くなる。

「苦しそうね……ふふ……いい気味ね……」
「びわちゃん……」

 この男の飲んだ酒には、彼岸花を主成分とした毒薬が混ぜてある。彼岸花の毒の主な症状は嘔吐下痢、呼吸困難だ。……しかしその成分の割合を変え、呼吸困難になるように調合された毒だ。

 ――それは私が作った劇薬だった。

 数分後、男の息が止まる。びわこは脈を取りながら、自分の口角が上がっている事に気付かない。
 笑っているのだ。男が死に行く姿を見ながら……!

「くっくっくっく……ふふふふふ……」

 私はびわこが恐ろしかった。そしてこの結果がわかっていた自分自身にも恐怖を覚えた。
 男が冷たくなっていく。人を殺したんだ……私の作った薬で、人を……!
 急に現実味が増し、足が震え出す。

「……大丈夫、夏子先輩は私の言われた通りの薬を処方しただけ。あなたは何も知らない……大丈夫……」
「びわちゃん……」

 びわこは全ての責任を一人で負うつもりなのだろう。目的を果たしたびわこはすでに上の空になっている。

「びわちゃん……埋めましょう」
「え?夏子先輩、何を……?」
「この男を……誰にもわからない所に!」
「!?」

 びわこはこのまま警察に自首するつもりだったのだろう。驚いた表情がそれを物語っている。

「で、でも夏子先輩!どこに!」
「……着いて来て」

 私は物置から布団のシーツを取り出す。そしてお風呂場に転がっていた物干し竿をシーツの両端に包む。
 これで簡易の担架の出来上がりだ。男を担架に乗せ、前に私、後ろをびわこが持ち上げる。女性二人でも何とか持ち上がった。
 外はあいにく風が強く小雨まで降っている。しかし私には好都合だった。深夜とは言え、ここは漁師の多い町。天候が良ければ船の明かりで誰かに見つかるかもしれない。
 小雨が降る中、暗闇を先導して歩く。人影は……無い。びわこは何も言わず、後ろを持ち着いて来る。
 自分でもなぜこうしたのかはわからない。びわこを助けたかったのか、あるいは自分の為だったのか……。

「着いたわ、びわちゃん。スコップを持って来るからここで待ってて……」
「はい……」

 お互いが気を遣う様に小声で話をする。
 私は家に帰り、倉庫からスコップを二本取り出す。明かりも点けず、なるべく音を立てない様に……。

「はぁはぁはぁ……びわちゃん、待ってて……!」

 私はびわちゃんが待っている防波堤まで、雨の中を全力で走る。死体は海へと沈めると数時間後には浮いてくる。その為、人目につかない私だけが知っている場所に穴を掘る事にしたのだ。
 それは防波堤の側にある彼岸花の畑……。ここは土も柔らかく、まして誰も来ない。青い彼岸花を育てる為に買った私の畑……。
 その畑を二人で掘る。雨でぬかるんではいるが何とか掘れそうだ。今日は釣り人もいない、まして車が通る気配も、船の明かりもない。黒い着物姿の二人が穴を掘るなんて思いもしなかった。着物はすでに雨と土で泥だらけになっている。

「はぁはぁはぁ……夏子先輩、このくらいで……はぁはぁはぁ」
「はぁはぁはぁ……そうね……埋めましょう」

 1メートル以上は掘っただろうか。男の死体をその穴へと転がし、上から土をかけていく。
 深夜1時過ぎ……雨と風はどんどん強くなっていた。
 男を埋め終わるとびわこの家へと戻り、着物やシーツをすべてゴミ袋に詰める。お風呂に入り汚れを落とす。

 終わったのだ。全部終わったのだ。

 明け方近くまでびわこの家で片付け等をし、雨が止むのを待って家へと帰る。真っ先にスコップを倉庫にしまい、そのまま寝室で泥の様に眠った。
 
 今日が日曜日で良かった……お店は開けなくていい……今はゆっくり休もう……全部終わったのだ……。


……
………

 目が覚めると時計は13時を指していた。カーテンを閉め切っていた為、昼夜の感覚がわからない。
 携帯を見ると、びわこからメールが入っている。

『夏子先輩ありがとうございました。夕方にでもまた改めてお伺いします。あとメールも削除をお願いします』
「びわちゃん……」

 びわこからのメールで目が覚め、昨夜の出来事は本当にあった事なのだと思い出す。そして自分の手を見ると落としたはずの土がまだ付いている気がし、またお風呂に入った。
 お風呂から上がると『夕方に防波堤で――』と一言だけ返信をし、そして携帯の画面をしばらく見つめる。
 ふと我に返り、返信メールとびわこから来たメールを証拠が残らない様に全て削除した。

「夏子先輩、昨日はありがとうございました」
「うぅん……」

 夕方、私とびわこは防波堤を歩きながら話をした。びわこの手には私が用意した花束が握られている。
 人影の無い防波堤。ここなら少しくらい昨日の話をしても大丈夫だと思い、防波堤で会う約束をしたのだ。

「びわちゃん、これからどうするの?」
「……わかりません。でも娘の仇は取りました。私は後悔していません」

 びわこは防波堤の側にある彼岸花の畑を目で追う。昨夜掘り起こした畑だ。

「いっそ……娘の亡くなったこの町に引っ越して、一生供養しても良いのかも……」
「生活していける?あっ昨夜のお金……」
「ふふ……。昨夜のお金は借りただけなので全額返してきます。美沙の保険金も全部嘘なので、お金はあまりありません。自首するつもりだったので生活費の事はあまり考えて無かったんです」
「何かごめん……」
「いえ!夏子先輩は悪くないです!後先考えて無いのは私の方なので!それに……当てが無いわけではないです」
「そうなの?」
「えぇ……」

 びわこは防波堤から見えるお寺の方を意味ありげに振り返る。そして、手にしていた花束を海へと投げた。夕日に染まる波が花束を寄せては返し、岸から徐々に遠ざけて行く。

「夏子先輩……私、一度帰って荷物を整理して来ます。そして、あの家で暮らします」
「分かった。その時は手伝いをするわ、また教えて――」
「いえ……もう十分です。次に私がこの町に帰って来た時は、びわちゃんでは無く『立花』と呼んで下さい」
「それってどういう――」
「この町では私達の関係を知ってる人はいません。ですから、万が一何かあっても……だから赤の他人になるんです」
「何かあっても……自分だけで責任を取るつもりなの?」
「当たり前です。私が撒いた種ですから……」
「ほんと、昔から変わらないわね。一度言い出したら聞かないんだから……」
「あははっ!夏子先輩は昔からずっと優しいですよね!」
「分かったわ。私の事も先輩ではなく『青井』って呼んでくれる?」
「青井さん……ふふ、何だか新鮮ですね」
「そお?立花さん」
「何ですか!にやにやして!青井さん!……ぷっ!」
「あははは!もうびわちゃん笑わせないでよ!」
「夏子先輩こそ!あっ……」
「あははは!」

 防波堤で日が暮れるまで、最後の時間をめいいっぱい楽しんだ。次に会う時はもう赤の他人になるのだから。

「夏子先輩……さようなら」
「えぇ、びわちゃんも元気で――」

 1ヶ月後、びわこは車云生町(くるいしまち)へとキャリーバック一つで帰って来た。その姿からは疲労感が漂い、急に年老いた様に見えた。

………
……


 あれから15年の歳月が流れ、私は今年で67歳になる。
 一時、男の失踪事件で警察も来ていたが行方不明のまま現在に至る。風の噂では身内も捜査に非協力的だったとか……。びわこも何度か事情聴衆には応じたが、知らぬ存ぜぬで通したそうだ。
 失踪から7年が経ち時効を迎えた。しかしあの日の夜の事は今でも忘れてはいない。心の奥底に死ぬまで隠し続けるだろう。

 ――今日も私は町内の空き地に彼岸花を植える。その中に青色の彼岸花は無い。
 実は大学の時に偶然見つけた青の彼岸花は、動物性タンパク質で育てた物だった。そのせいか、美しい見た目に反し毒性が強く危険な物だった。
 防波堤の畑に植えた白の彼岸花が青色に染まったのは翌年の事だった。白の彼岸花を植えていたのだが、動物性タンパク質のせいか、青の彼岸花が咲き乱れた。数年間その現象は続いたが、まさかその原因が畑に埋まっている死体だとは誰も気付かず、「綺麗」だと言って眺めている姿に心が痛んだ……。

「あだん……もう苗が無くなったわ。境までちょっこう出かけぇか……」

 注文も電話で済む話だが自分の目で見て苗を選び、後日運んでもらうのが私の楽しみだった。
 数時間に一本しかないバスに乗り、20分程海岸線を走って行く。境港駅に着くと近くの商店街の花屋と八百屋に寄り、買い物を済ませたらまたバス停のある駅へと戻る。
 駅に戻るとバス停には一人の女性が立っている。その姿は誰かと被って見えた。

「……あの姿。確か白河さんとこの郁子さんに似て……!?」
「へぇ……今はこんなんなってんのや……」
「あだんっ!?おめぇ、春子ちゃんでねぇか!」
「ご無沙汰してます。青井のおばちゃん、お元気そうで」
「あだぁ……ほんと春子ちゃんだわぁ……こげに大きいなってぇ……」
「はい、その節はお世話に――」
 
 その時、なぜか急に涙がこぼれた。それが立花美沙を思ってなのか、白河郁子を思ってなのかはわからない。ただただ、心の奥に閉まっていた感情が止まらなかった。

「元気で良がっだ!!ほんと良がっだ!!」

 ――輪廻転生。青色の彼岸花に私が付けた花言葉。この子にも教えてあげよう。
 彼岸花にはたくさんの花言葉がある事を……。

 そして今年も小さな港町には彼岸花が咲き誇る。それは私が大事に大事に育てた……私だけの彼岸花。


―完―


❀✾❀✾❀✾❀

 この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。