そのとき店内のウィンドチャイムが美しい音色を鳴らしたかと思うと、一羽の梟が羽ばたきながら椅子の手摺りにとまった。 
「そろそろ、時間のようだな」
 おじいちゃんが呟くと、その梟が突然唄い出した。

   銀貨を渡せ 闇に光る梟
   銀貨を渡せ 闇に光る梟
   ひとつなにか新しいものを
   旅人が旅先で惨めな思いをせぬよう
   ひとつなにか古いものを
   旅人が旅先で自分の匂いを忘れぬよう
   ひとつなにか青いものを
   旅人が旅先で心落ち着けるよう
   ひとつなにか借りたものを
   旅人が旅先で故郷を忘れてしまわぬよう
   銀貨を渡せ 闇を進む梟
   銀貨を渡せ 闇を進む梟

 聴いたこともないような唄を、ウィンドチャイムの音色とともに梟は翼を広げながら唄う。
「この唄は?」
 パパを見上げるけど、パパもわからないようだった。
「冥銭の唄だね」虹色の蛙が呟いた。
「冥銭の唄?」
 みんなが虹色の蛙に注目すると、彼は得意げに喉を鳴らす。
「マザーグースや、結婚式のサムシング4なんかと同じ、古い語り唄でね、旅人の無事を祈る唄なんだよ」
 物知りそうな虹色の蛙はさらに続ける。
「梟ってのはとても賢いとされる生き物でね。彼に運賃である銀貨を渡し、旅仕度を整えた旅人は無事に旅を終えるって唄なんだ」
 ぼくはテーブルに差し出したコインを手に取って訊いた。
「じゃあ、唄に出てくる銀貨ってのは?」
 虹色の蛙は大きく頷いて言う。
「そう! 君の持つ6ペンスコインだって言い伝えもあるんだよ」
 梟は羽をばたつかせながら唄い、ウィンドチャイムは不思議と鳴り止むことをしない。
「さぁ、そろそろ行こうか?」
 おじいちゃんが席を立ち上がると、パパは小さく頷いた。パパのぼくを抱きしめる力がいっそう強くなってぼくの身体を包み込む。そのとき、言葉はなかったけど、パパがこう言うのがぼくにはわかった。
『お前たちと離れたくないよ! フィリー。でも、行かなくちゃならないんだ。本当にごめんね』って。
 だからぼくも言葉には出さなかったけど、パパにこう返したんだ。
『ぼくもだよ! パパ! 愛してるよ! いつまでもぼくたちのことを傍で見守っていて!』って。
 おじいちゃんがぼくの肩に手を置いて優しく言った。
「これは驚いた。本当にお前は大きくなったね、フィリップス。さっきまでのダディールーが、懐かしくさえ感じるよ」
 ぼくは驚いておじいちゃんを見る。初めてぼくを本名で呼んでくれたおじいちゃんを……。

 ――本当に大きくなったね、フィリップス……。

 店内に響くウィンドチャイムの音色が次第に大きく弾むように美しくぼくたちを包むと、梟は精一杯羽を広げて唄い続ける。その体が金色に輝き出すと梟は飛び上がり、列車の方へと羽ばたいていった。

 徐々に鳴り止むウィンドチャイムの美しい音色に、おじいちゃんとパパの出発の時刻が迫っていた。
「じゃあな、フィリー。みんなによろしく伝えておくれ」
 おじいちゃんが優しく笑いながらぼくの頭を撫でて消えていく。
「フィリー、みんなのことをよろしく頼んだよ。それと、パパの部屋のものは、すべてお前にあげるよ」
 そういってパパはぼくの頬に口づけすると、おじいちゃんと同じように消えていった。
 おじいちゃん! パパ! いつでもぼくたちのことを見ていてね! 
 ぼくが悪いことをしたなら、思い出のなかで叱ってほしい。
 ぼくが躓いたなら、思い出のなかで励ましてほしい。
 ぼくが迷ったなら、思い出のなかで諭してほしい。
 ぼくが良いことをしたなら、思い出のなかで褒めてほしい。
 ぼくはコインを握りしめながら涙を拭いてお店を飛び出した。
 ウィンドチャイムの美しい音色とともに列車は激しく蒸気を上げて動き始める。汽笛が構内にこだまする。ウィンドチャイムの音色が耳のなかに微かに残る。列車の車輪がグルグルと回転すると、後に残ったのは機関車の蒸気と微かに聞こえる汽笛、そして耳鳴りのように頭のなかに響く美しい音色だった。
 ぼくはコインを握りしめたまま、いつまでも列車を見送っていたかった。たとえ、この夢から醒めてしまいそうになっても、ぼくはいつまでもパパたちの乗る列車を見送っていたかった。――その列車が、ぼくの視界から綺麗に消えてしまっても。
 そんなぼくの後ろからぼくを呼ぶ声が聞こえてくる。
「フィリー! フィリー!」
 ぼくを呼ぶ声が、この神殿のようなアムトラックの駅構内に響き渡るんだ。
 ――帰らなくちゃ。
 ぼくは心のなかで小さく呟いて目を閉じた。