★
「まずい、このままでは魂が消えてしまう! 今すぐシャルロットを再生させなければ!」
狼狽したガルシアはセリアと交戦するヴェンダールに目を向ける。その瞬間、セリアの魔法が爆風となりヴェンダールの身体を天井に叩きつけた。
「まさか、ヴェンダールが打ち負かされただと!?」
気を失い、ゆったりと落ちてくるヴェンダールを目の当たりにしガルシアは茫然とする。
棺の中からはさらに魔力が蒸散してゆく。ガルシアは棺の中に身を寄せ、すがるようにシャルロットを抱き寄せる。
「シャルロット……お願いだ、逝かないでくれッ!」
その姿を眺めながら、アナスタシアもぽろぽろと涙をこぼす。ふたりはともに愛する者を失う痛みを受けている。そう察するアージェもまた、胸が締め付けられる思いだった。
「お母様……安らかに眠ってください……」
その時――アージェの胸のペンダントが光を放つ。淡青色の光が人の姿を描き出した。メメルだ。
「メメル? どうしたんだ!」
「アージェ、棺のそばに行けるかな」
「何か考えがあるのか?」
「もしかしたら、あたしの持つ秘石の力が役に立つかと思って。あたしだって秘石に護られて魂を繋いでいるんだから」
じっと見つめるメメルの瞳に、アージェはその意図を察する。
「わかった、メメルに任せるよ。だけどその前に俺、疑問に思っていたことがあるんだ。それだけたしかめさせてほしい」
アージェは棺のそばに歩み寄り、恨めしそうに睨み上げるガルシアに尋ねる。
「帝に聞きたいことがある。ヴェンダールがどうやって秘石を手に入れたか知っているのか」
「大陸で魔族を倒して手に入れた――それ以上の説明が必要か?」
「やっぱり知らなかったんだな」
「……どういうことだ?」
「ヴェンダールは魔族の信頼を得ることで秘石の場所を探し当てたんだ。そのために浮遊要塞の連中と手を組み、魔族の目の前で軍の部隊を殺していたんだ」
ガルシアが瞳を二倍にして驚いた。その表情に、アージェは自身の推測が正しいのだと確信を得る。察したアナスタシアもアージェに続く。
「ヴェルモア島行きの飛行艇が撃ち落とされたのだってヴェンダールの仕業よ。目的はアージェ君を仕留めるためだった。そのせいで冒険者や船長までも犠牲になったの」
ガルシアは愕然としてその場に崩れ落ちる。だがアナスタシアの言葉にアージェも驚きを隠せない。飛行艇が狙われたのが自分のせいだとはじめて知ったのだ。船長の悔しそうな顔が脳裏に甦る。
「そうだったのか……」
「ヴェンダールが私にその映像を見せて、アージェ君が死んだと思い込ませたの」
すべてがヴェンダールの独断だと考えると腑に落ちる。
「やっぱりな。民衆に信頼の厚い帝が罪のない人々を犠牲にするなんて、どうもおかしいと思っていたんだ」
ガルシアは肩を震わせ、ついにその事実を認めるにいたった。
「くっ! 精鋭部隊の者たちは、大陸での戦いに散ったと思っていたのだが……」
唇を噛み締めて血を滴らせるガルシアは、後悔と呵責の念に耐えかねていた。
「だがヴェンダールが非情な手段を選んだのも、すべては余への忠誠心の裏返しだ。この戦いは余の未練が招いた悲劇だったのだッ!」
するとガルシアの頭上から不思議な声が響く。やらわかくて慈愛に満ちた――そう、まるで天使の歌声のような音色の声。
『――ガルシア様、それ以上苦しまないでください』
はっとなって顔を上げると、棺の上には淡青色に輝く人の姿が映し出されていた。幻覚か――そう疑ったが、その人はゆっくりと口をしならせた。
心の奥で疼く痛みを包み込むような慈愛の笑顔を見せる。
「――シャルロット?」
隣ではメメルが棺を覗き込み、女王の躯に手をあてがっている。流れ込む魔力がその身体を伝い、魂を具現化させていたのだ。シャルロットは柔和な表情でガルシアに語りかける。
『あなたは私のような未亡人を引き取ってくださり、惜しみない愛を注いでくださいました。私は国を護り、人々を大切に思い、浮遊島の発展を願うあなたを心から尊敬していました』
女王との邂逅を願い続けてきたガルシアは、秘石のもたらした奇跡にうち震えている。
「シャルロット……余はおまえに褒められたものではなかった。こんなに大きな犠牲に気づかないなど、国を支える立場にあって許されることではなかったッ!」
『ただ――私が早世したことが事の発端です。あなたはとても情の深い人で、だから私の死を必要以上に悼んでしまったんですね』
「おまえのかわりなど、世界のどこにもいるはずもない! 魂の姿のままでいい、どうか余のそばにいてくれないか!」
ガルシアは両手を組んで祈りの姿を見せるが、シャルロットは悲し気な顔で返す。
『神の定めに抗う道を選択するつもりはありません。ただ、あなたには私の願いを叶えてほしいのです』
「余ができることならば、どんな願いでも叶えるぞ。言ってくれ、シャルロットよ」
シャルロットは一瞬の間を置いてから、諭すようにゆったりと語りかける。
『私は彼女の記憶から知りました。あなたが戦っていた大陸の民は、けっして悪しき存在ではありません。人間が魔法を希求したがために敵とみなされた罪無き者たちです。ですから私の願いとは――彼らにもあなたの持つ深い慈愛の心をお与えいただきたい、というものです』
その言葉にガルシアはしばし茫然とするも、気を取り直し「わかった。それがシャルロットの望むことならば」と、女王の意思を汲み取る。
メメルはアージェに振り向きウィンクをする。気づいたアージェは小さく首を縦に振った。
シャルロットはアナスタシアのほうを振り向いて手を伸ばす。奇跡の邂逅に茫然としていたアナスタシアだったが、懐かしい手を見て我を取り戻し、ゆらゆらと歩み寄って自身の手を差し出した。
けっして触れることはできないが、魔法使い同士、互いの魔力を感じあうことはできるのだ。
『アナスタシア、あなたにも伝えておきたいことがあります』
「お母様……」
『私が帝の妻となったことで、あなたには重い荷物を背負わせてしまいました。けれど人はひとりではありません。どうか頼れる仲間を集め、素敵な伴侶を見つけ、夢と希望に溢れた世界を創ってください。私の短かった人生の分を、あなたが取り戻してください』
「うん……うんっ! 私、お母様よりもずっと幸せになってみせます。だから心配しないで!」
アナスタシアは母を慕う娘の姿で涙をこぼす。けれどその涙を必死に拭い取り、二度と会えない母の姿を目に焼き付けた。
「よかった、あなたが強い娘に育って」
皆が見つめる中、シャルロットはメメルに目を向けて首を横に振る。これでおしまいにする、という意味が込められていた。メメルは一瞬、はっとなったが、シャルロットの覚悟を察して手を引いた。
身体への魔力の流込が止むと、具現化したシャルロットの姿が徐々に薄らいでゆく。ガルシアもアナスタシアも黙って見送る。別れの覚悟を決めたようだった。
『ガルシア様、アナスタシア、そしてこの世界のすべてを、私は愛し続けています――』
その言葉を最後に、シャルロットの魂は夜空に舞い上がっていった。
皆、それぞれの想いを胸に抱いてシャルロットを見送っていた。無言の時間が流れてゆく。月は天の頂を超え、雲の中に姿を隠しかけていた。
「アージェ!」
背後から声をかけられ振り向くと、ラドラが剣を杖がわりにして近寄ってきた。
「大丈夫ですか、ラドラ先生!」
「ああ、油断してすまなかった。だがヴェンダールのほうはセリアの活躍でなんとかなったようだ」
セリアは背後に目を向けて床を指さした。そこには気を失ったヴェンダールが横たわっている。
「まさかヴェンダールを倒すなんて、すげえ……」
「わたしも自分がこんなに力を発揮できるなんて思わなかった。ドンペル先生との秘密の特訓のおかげかな」
肩をすくめてぺろっと舌を出すセリア。
「ははっ、俺がいない間も修練を怠らなかったんだな」
「アージェが頑張っているのに、わたしだけさぼっていられないでしょう?」
思わず笑みがこぼれ、ようやっと戦いが終結した実感が湧く。
その時、アージェは大聖堂の空気が重く冷たく変化したことに気づいた。祭壇から湿った音とうめき声が聞こえる。
ズチャッ、ズチャッ……。
グル……グルル……。
皆、気づいて音のほうに目を向ける。据えられた秘石から黒色の泡沫が溢れ出していた。それはずるずると伸びて床に落ち、人の形に変形してゆく。のっそりと立ち上がった。
頭がぼとりと落ち、潰れて液体となり床に広がる。粘り気のある液体は足元から吸い込まれ、ふたたび新たな頭が現れた。何度もそれを繰り返す。
頭部の姿も表情もまちまちだった。老若男女、それも大陸の民も、人間の顔も混ざっていた。鼻をつくような腐敗臭が大聖堂に広がる。
「なんだ、この物体は……」
アージェの直感が働く。目の前の異様な物体は、この世界のものではない何かなのだと。
「強い魔力を含んでいるが、明らかに四元魔素とは異なる性質の魔力だ」
魔力を感知したガルシアは真剣な表情で言う。その物体はかすれたうめき声を上げ始める。怒りや苦しみ、そして悲しみの表情を覗かせながら。
それを見たラドラがアージェに尋ねる。
「大陸の墓地でピピンが言っていたことを覚えているか」
「墓地で……ですか?」
アージェは墓地でのやり取りを思い出した。
大陸の民は亡骸を森の土に還す風習がある。魔力が神聖な存在の一部になると信じられているから、という話だ。
「わかっていると思うが、魔力とは個々の魂に宿るものだ」
「ということは――これは秘石の魔力によって具現化した亡者の魂、ってことですか」
「ああ、しかもその魂塊――ソウルクラスター――は、相当に強い負の感情を宿しているようだ」
「ヒト…………バ、セ……イタ…………ル……」
ソウルクラスターが声を発し始める。けれどざらついた声は完全に捉えきれない。
「スベ……ケシ…………、セン……クル…………オトズ……イ……」
――まさかこれは、魔法戦争で亡くなった者の魂が発する怨言?
ボコボコと泡音をたてながら巨大化してゆく。不吉な予感がすると同時にメメルが叫んだ。
『みんな逃げて!』
声を上げた直後、突き上げるような振動を感じ、天井が爆音を立てて砕け散った。大聖堂に瓦礫が降り注ぐ。ガルシアがすかさず魔法で草の蔓を張り巡らせて瓦礫の直撃を防いだ。塔の上部は粉砕され、夜空がぽっかりと口を開けている。
ソウルクラスターの姿はその場から消えていた。深夜の街から悲鳴や叫び声が上がっている。砕けた破片が街に降り注いだのか、それともさらに悪い事態に発展しているのか。
『凄まじい破壊の衝動を感じたよ。あのソウルクラスターっていうの、止めないとまずい!』
メメルが皆に向かって叫ぶ。即座に行動に移したのはガルシアだった。
「ソウルクラスターが生まれたのは戦争を起こした余の責任だ。だからあの暴走は余が食い止める。たとえ命に懸けてもな!」
ガルシアはそう言うと同時に空に飛び立ち、破壊された天井を抜けてゆく。直後、地響きが鳴り、城がずるずると傾いた。
「まずい、城が崩れる。脱出するぞ! 魔力を残しているのは誰だ!」
ラドラはそう言ってドンペルを担ぎ上げる。ヴェンダールまで連れて逃げる余裕はない。
「俺は、魔力はあるけど役に立たない! メメルの魔力でも全員は無理だ! セリアとリリコは!?」
「わたしはもう戦いで使い切っちゃった!」
「私は多少なら使えるけれど、全員を飛ばすのは無理!」
「まじか……」
皆が憔悴する中、柱の陰から声が上がる。
「ふふふ、ついに僕の出番が来たようだな。いいアイディアがあるんだ、任せてくれないか!」
それは激甚の戦闘の中、忘れかけられていた若者の声だった。
「まずい、このままでは魂が消えてしまう! 今すぐシャルロットを再生させなければ!」
狼狽したガルシアはセリアと交戦するヴェンダールに目を向ける。その瞬間、セリアの魔法が爆風となりヴェンダールの身体を天井に叩きつけた。
「まさか、ヴェンダールが打ち負かされただと!?」
気を失い、ゆったりと落ちてくるヴェンダールを目の当たりにしガルシアは茫然とする。
棺の中からはさらに魔力が蒸散してゆく。ガルシアは棺の中に身を寄せ、すがるようにシャルロットを抱き寄せる。
「シャルロット……お願いだ、逝かないでくれッ!」
その姿を眺めながら、アナスタシアもぽろぽろと涙をこぼす。ふたりはともに愛する者を失う痛みを受けている。そう察するアージェもまた、胸が締め付けられる思いだった。
「お母様……安らかに眠ってください……」
その時――アージェの胸のペンダントが光を放つ。淡青色の光が人の姿を描き出した。メメルだ。
「メメル? どうしたんだ!」
「アージェ、棺のそばに行けるかな」
「何か考えがあるのか?」
「もしかしたら、あたしの持つ秘石の力が役に立つかと思って。あたしだって秘石に護られて魂を繋いでいるんだから」
じっと見つめるメメルの瞳に、アージェはその意図を察する。
「わかった、メメルに任せるよ。だけどその前に俺、疑問に思っていたことがあるんだ。それだけたしかめさせてほしい」
アージェは棺のそばに歩み寄り、恨めしそうに睨み上げるガルシアに尋ねる。
「帝に聞きたいことがある。ヴェンダールがどうやって秘石を手に入れたか知っているのか」
「大陸で魔族を倒して手に入れた――それ以上の説明が必要か?」
「やっぱり知らなかったんだな」
「……どういうことだ?」
「ヴェンダールは魔族の信頼を得ることで秘石の場所を探し当てたんだ。そのために浮遊要塞の連中と手を組み、魔族の目の前で軍の部隊を殺していたんだ」
ガルシアが瞳を二倍にして驚いた。その表情に、アージェは自身の推測が正しいのだと確信を得る。察したアナスタシアもアージェに続く。
「ヴェルモア島行きの飛行艇が撃ち落とされたのだってヴェンダールの仕業よ。目的はアージェ君を仕留めるためだった。そのせいで冒険者や船長までも犠牲になったの」
ガルシアは愕然としてその場に崩れ落ちる。だがアナスタシアの言葉にアージェも驚きを隠せない。飛行艇が狙われたのが自分のせいだとはじめて知ったのだ。船長の悔しそうな顔が脳裏に甦る。
「そうだったのか……」
「ヴェンダールが私にその映像を見せて、アージェ君が死んだと思い込ませたの」
すべてがヴェンダールの独断だと考えると腑に落ちる。
「やっぱりな。民衆に信頼の厚い帝が罪のない人々を犠牲にするなんて、どうもおかしいと思っていたんだ」
ガルシアは肩を震わせ、ついにその事実を認めるにいたった。
「くっ! 精鋭部隊の者たちは、大陸での戦いに散ったと思っていたのだが……」
唇を噛み締めて血を滴らせるガルシアは、後悔と呵責の念に耐えかねていた。
「だがヴェンダールが非情な手段を選んだのも、すべては余への忠誠心の裏返しだ。この戦いは余の未練が招いた悲劇だったのだッ!」
するとガルシアの頭上から不思議な声が響く。やらわかくて慈愛に満ちた――そう、まるで天使の歌声のような音色の声。
『――ガルシア様、それ以上苦しまないでください』
はっとなって顔を上げると、棺の上には淡青色に輝く人の姿が映し出されていた。幻覚か――そう疑ったが、その人はゆっくりと口をしならせた。
心の奥で疼く痛みを包み込むような慈愛の笑顔を見せる。
「――シャルロット?」
隣ではメメルが棺を覗き込み、女王の躯に手をあてがっている。流れ込む魔力がその身体を伝い、魂を具現化させていたのだ。シャルロットは柔和な表情でガルシアに語りかける。
『あなたは私のような未亡人を引き取ってくださり、惜しみない愛を注いでくださいました。私は国を護り、人々を大切に思い、浮遊島の発展を願うあなたを心から尊敬していました』
女王との邂逅を願い続けてきたガルシアは、秘石のもたらした奇跡にうち震えている。
「シャルロット……余はおまえに褒められたものではなかった。こんなに大きな犠牲に気づかないなど、国を支える立場にあって許されることではなかったッ!」
『ただ――私が早世したことが事の発端です。あなたはとても情の深い人で、だから私の死を必要以上に悼んでしまったんですね』
「おまえのかわりなど、世界のどこにもいるはずもない! 魂の姿のままでいい、どうか余のそばにいてくれないか!」
ガルシアは両手を組んで祈りの姿を見せるが、シャルロットは悲し気な顔で返す。
『神の定めに抗う道を選択するつもりはありません。ただ、あなたには私の願いを叶えてほしいのです』
「余ができることならば、どんな願いでも叶えるぞ。言ってくれ、シャルロットよ」
シャルロットは一瞬の間を置いてから、諭すようにゆったりと語りかける。
『私は彼女の記憶から知りました。あなたが戦っていた大陸の民は、けっして悪しき存在ではありません。人間が魔法を希求したがために敵とみなされた罪無き者たちです。ですから私の願いとは――彼らにもあなたの持つ深い慈愛の心をお与えいただきたい、というものです』
その言葉にガルシアはしばし茫然とするも、気を取り直し「わかった。それがシャルロットの望むことならば」と、女王の意思を汲み取る。
メメルはアージェに振り向きウィンクをする。気づいたアージェは小さく首を縦に振った。
シャルロットはアナスタシアのほうを振り向いて手を伸ばす。奇跡の邂逅に茫然としていたアナスタシアだったが、懐かしい手を見て我を取り戻し、ゆらゆらと歩み寄って自身の手を差し出した。
けっして触れることはできないが、魔法使い同士、互いの魔力を感じあうことはできるのだ。
『アナスタシア、あなたにも伝えておきたいことがあります』
「お母様……」
『私が帝の妻となったことで、あなたには重い荷物を背負わせてしまいました。けれど人はひとりではありません。どうか頼れる仲間を集め、素敵な伴侶を見つけ、夢と希望に溢れた世界を創ってください。私の短かった人生の分を、あなたが取り戻してください』
「うん……うんっ! 私、お母様よりもずっと幸せになってみせます。だから心配しないで!」
アナスタシアは母を慕う娘の姿で涙をこぼす。けれどその涙を必死に拭い取り、二度と会えない母の姿を目に焼き付けた。
「よかった、あなたが強い娘に育って」
皆が見つめる中、シャルロットはメメルに目を向けて首を横に振る。これでおしまいにする、という意味が込められていた。メメルは一瞬、はっとなったが、シャルロットの覚悟を察して手を引いた。
身体への魔力の流込が止むと、具現化したシャルロットの姿が徐々に薄らいでゆく。ガルシアもアナスタシアも黙って見送る。別れの覚悟を決めたようだった。
『ガルシア様、アナスタシア、そしてこの世界のすべてを、私は愛し続けています――』
その言葉を最後に、シャルロットの魂は夜空に舞い上がっていった。
皆、それぞれの想いを胸に抱いてシャルロットを見送っていた。無言の時間が流れてゆく。月は天の頂を超え、雲の中に姿を隠しかけていた。
「アージェ!」
背後から声をかけられ振り向くと、ラドラが剣を杖がわりにして近寄ってきた。
「大丈夫ですか、ラドラ先生!」
「ああ、油断してすまなかった。だがヴェンダールのほうはセリアの活躍でなんとかなったようだ」
セリアは背後に目を向けて床を指さした。そこには気を失ったヴェンダールが横たわっている。
「まさかヴェンダールを倒すなんて、すげえ……」
「わたしも自分がこんなに力を発揮できるなんて思わなかった。ドンペル先生との秘密の特訓のおかげかな」
肩をすくめてぺろっと舌を出すセリア。
「ははっ、俺がいない間も修練を怠らなかったんだな」
「アージェが頑張っているのに、わたしだけさぼっていられないでしょう?」
思わず笑みがこぼれ、ようやっと戦いが終結した実感が湧く。
その時、アージェは大聖堂の空気が重く冷たく変化したことに気づいた。祭壇から湿った音とうめき声が聞こえる。
ズチャッ、ズチャッ……。
グル……グルル……。
皆、気づいて音のほうに目を向ける。据えられた秘石から黒色の泡沫が溢れ出していた。それはずるずると伸びて床に落ち、人の形に変形してゆく。のっそりと立ち上がった。
頭がぼとりと落ち、潰れて液体となり床に広がる。粘り気のある液体は足元から吸い込まれ、ふたたび新たな頭が現れた。何度もそれを繰り返す。
頭部の姿も表情もまちまちだった。老若男女、それも大陸の民も、人間の顔も混ざっていた。鼻をつくような腐敗臭が大聖堂に広がる。
「なんだ、この物体は……」
アージェの直感が働く。目の前の異様な物体は、この世界のものではない何かなのだと。
「強い魔力を含んでいるが、明らかに四元魔素とは異なる性質の魔力だ」
魔力を感知したガルシアは真剣な表情で言う。その物体はかすれたうめき声を上げ始める。怒りや苦しみ、そして悲しみの表情を覗かせながら。
それを見たラドラがアージェに尋ねる。
「大陸の墓地でピピンが言っていたことを覚えているか」
「墓地で……ですか?」
アージェは墓地でのやり取りを思い出した。
大陸の民は亡骸を森の土に還す風習がある。魔力が神聖な存在の一部になると信じられているから、という話だ。
「わかっていると思うが、魔力とは個々の魂に宿るものだ」
「ということは――これは秘石の魔力によって具現化した亡者の魂、ってことですか」
「ああ、しかもその魂塊――ソウルクラスター――は、相当に強い負の感情を宿しているようだ」
「ヒト…………バ、セ……イタ…………ル……」
ソウルクラスターが声を発し始める。けれどざらついた声は完全に捉えきれない。
「スベ……ケシ…………、セン……クル…………オトズ……イ……」
――まさかこれは、魔法戦争で亡くなった者の魂が発する怨言?
ボコボコと泡音をたてながら巨大化してゆく。不吉な予感がすると同時にメメルが叫んだ。
『みんな逃げて!』
声を上げた直後、突き上げるような振動を感じ、天井が爆音を立てて砕け散った。大聖堂に瓦礫が降り注ぐ。ガルシアがすかさず魔法で草の蔓を張り巡らせて瓦礫の直撃を防いだ。塔の上部は粉砕され、夜空がぽっかりと口を開けている。
ソウルクラスターの姿はその場から消えていた。深夜の街から悲鳴や叫び声が上がっている。砕けた破片が街に降り注いだのか、それともさらに悪い事態に発展しているのか。
『凄まじい破壊の衝動を感じたよ。あのソウルクラスターっていうの、止めないとまずい!』
メメルが皆に向かって叫ぶ。即座に行動に移したのはガルシアだった。
「ソウルクラスターが生まれたのは戦争を起こした余の責任だ。だからあの暴走は余が食い止める。たとえ命に懸けてもな!」
ガルシアはそう言うと同時に空に飛び立ち、破壊された天井を抜けてゆく。直後、地響きが鳴り、城がずるずると傾いた。
「まずい、城が崩れる。脱出するぞ! 魔力を残しているのは誰だ!」
ラドラはそう言ってドンペルを担ぎ上げる。ヴェンダールまで連れて逃げる余裕はない。
「俺は、魔力はあるけど役に立たない! メメルの魔力でも全員は無理だ! セリアとリリコは!?」
「わたしはもう戦いで使い切っちゃった!」
「私は多少なら使えるけれど、全員を飛ばすのは無理!」
「まじか……」
皆が憔悴する中、柱の陰から声が上がる。
「ふふふ、ついに僕の出番が来たようだな。いいアイディアがあるんだ、任せてくれないか!」
それは激甚の戦闘の中、忘れかけられていた若者の声だった。